米スタンフォード大学と神奈川県は、2019年5月28日~29日の2日間、「2019年第4回 スタンフォード・神奈川シンポジウム」を米カリフォルニア州のスタンフォード大学で開催した。日本とアメリカのヘルスケア・イノベーションの最前線を同シンポジウムから紹介します。

協力:スタンフォード大学 SLDDDRS

 スタンフォード大学医学部と神奈川県は、2016年に覚書を締結した。超高齢化社会に対応するために、双方の臨床研究支援拠点間での協働を推進するとともに、「未病産業の国際展開」や「人材育成」などにおける連携するのが目的だ。

 今回のシンポジウムのテーマは「Innovations In Drug, Device Development, And Healthcare」。革新的医薬品開発や医療機器開発、レギュラトリーサイエンス、超高齢化社会に対するイノベーションなどについて、日米の研究機関や企業、行政機関から、多くの著名人が最先端の知見を発表するとともに、活発な議論を展開した。神奈川県は、このシンポジウムで得た情報を持ち帰り、県が推進する「ヘルスケア・ニューフロンティア政策」に反映させていく。

 以下、「スタンフォード・神奈川シンポジウム」の2日間の講演の中からトピックスを紹介する。

神奈川県は“未病の改善”を目指し再生・細胞医療を推進

 まずは神奈川県の取り組みを紹介しよう。ヘルスケア・ニューフロンティア推進統括官の金井信高氏が、「神奈川県における再生・細胞医療などの先端医療技術の推進」と題して講演した。県は健康寿命日本一および新たな市場・産業の創出を目指している。具体的には、科学技術の活用として最先端医療・最新技術の追求と、個人の行動変容として未病の改善を、国内外の様々な組織と連携しながら進めている。

神奈川県のヘルスケア・ニューフロンティア政策
神奈川県のヘルスケア・ニューフロンティア政策

 未病とは、健康と病気を2つの明確に分けられる概念としてとらえるのではなく、心身の状態は健康と病気の間を連続的に変化するものととらえ、このすべての変化の過程を表す概念である。「未病の改善」とは、心身の日々の状況を確認(可視化)し、将来の自分への投資を兼ねて、あらゆる段階で「健康側」に少しでも近づけることである。そこで、神奈川県では、「ME-BYO」を国際商標登録し、毎年、特徴的な製品・サービスを「未病ブランド」として認定することで海外展開を支援している。

 また、未病リビングラボの取り組みを通じて実証フィールドの提供などを行い、未病の市場化を促進している。羽田国際空港に隣接する殿町地区は、ここ数年で国際的なメディカルクラスターとして急成長を遂げている。2016年4月、神奈川県は、川崎市殿町に再生・細胞医療の産業化拠点としてライフイノベーションセンターを整備し、ファンドを創設するなどしてバイオベンチャーを支援しながら、再生・細胞医療に携わる様々な企業が交流することによって新たなイノベーションの創出を促す取り組みを推進している。

“集団健康”に最新技術や科学を導入

 こうした「未病の改善」のために最新技術を積極的に取り入れる研究の発表にも注目が集まった。

 スタンフォード・ヘルスケアの会長兼CEOであるデビッド・エントウィスル氏は、スタンフォード大学病院における医療や研究を大きな視点から捉え、医療の進むべき道を考える立場にある。同氏の講演は、スタンフォード大学病院がテクノロジーやデータを利用できる新しい時代に、どのような意識を持って何を行っているかに触れたものだ。

 とりわけ「Population Health」に関わる観点からの発言が特徴的だった。世界保健機関は、Population Health(集団健康)を「組織された地域社会の努力を通して、疾病を予防し、生命を延長し、身体的、精神的機能の増進をはかる科学であり技術である」と定義している。エントウィスル氏は、「集団健康は、米国では最優先課題として捉えられるようになっている」という。その理由は何と言っても医療コストだ。

スタンフォード・ヘルスケア会長兼CEOのデビッド・エントウィスル(David Entwistle)氏
スタンフォード・ヘルスケア会長兼CEOのデビッド・エントウィスル(David Entwistle)氏

 「医学では、すさまじいブレークスルーが起こり続けている。しかし、2055年には地球の人口が100億人を超える。その現実を捉えると、どんなブレークスルーも追いつかないほどのコストがかかることが予想される」

 医療の進歩もさることながら、そもそも病気にならないように予防することが必須の課題ということになる。米疾病対策センター(CDC)の発表によると、心臓病の80%、2型糖尿病の80%、がんの40%は、生活スタイルの改善によって発病を防ぐことが可能なものだ。したがって、医療や科学における発展も重要だが、社会全体から成果を引き出すには、より精密なアプローチによって未病を実現するという観点が必要になると同氏は強調した。

ビッグデータ解析、スマートフォンなど最新技術を活用

 それでは、そうした視点からスタンフォード大学病院や医学部で行っていることは何か。エントウィスル氏は、いくつかの例を挙げた。いずれもデータと科学を組み合わせたものである。最初は、病気をいかに精密に予測し治療できるかに関するもので、アップルのスポンサーシップによる研究プロジェクトとして2017年から進められている『Apple Heart Study(Apple心臓観察)』がある。

 ウエアラブル・デバイスであるApple Watchを着用すると、心房細動が実際に起こる前にアルゴリズムがそれを感知できるようにする研究で、現在40万人以上が参加している。

 エントウィスル氏はAI(人工知能)の効用も説く。AIが役立つと期待される分野として3つを挙げる。最も大きなインパクトを持つのは、医療画像の分野だ。これまで技師が手がけてきたタスクの一部をAIが担うようになれば、革命的なこととなる。2つめが、「似たような患者」を比較することだ。これまで医師がよくやってきたことだが、その分析をAIが行えば、医療を全く新しいレベルへ推し進めることができるという。

 すでにスタンフォード大学病院では、米グーグルと提携して症状の記述から有用なデータを素早く検索できる仕組みを開発している。そのデータ・ウェアハウスに収められているのは、ゲノム配列決定や治療記録も含めた1億4000万人もの患者データである。3つ目の分野は、カルテ作りである。後ろに控えた「アンビエントAI」(周囲の状況や環境に応じて自律的に判断・処理する人工知能)が診察室での会話を聞き取り、全記録を取って自動的にカルテを作成する。医師は、コンピューター画面に向かう代わりに患者としっかりと向き合う時間を与えられる。

 同氏は、病気を未然に防ぐこと、そのためにテクノロジーを意味ある方法で利用することが、人口の多くを健康に保つために我々に与えられた機会だと締めくくった。

実験動物の高度化で薬開発に貢献する

 世界の医薬品開発には20年、2000億円以上がかかると言われているがその大半は臨床試験に費やされる。それにもかかわらず、実際に人に投与するフェーズ1に入ったとしても、最終的に新薬として世に出すことが出来るのはわずか10%程度と言われている。

 これを引き上げようと、実験動物の観点から革新に取り組んでいるのが、公益財団法人の実験動物中央研究所(実中研)だ。

実験動物中央研究所は「ヒト化マウス」など、ヒトに近い実験動物を開発している
実験動物中央研究所は「ヒト化マウス」など、ヒトに近い実験動物を開発している

 「ヒト化マウスは、従来の動物では考えられないようなレベルでヒトの細胞、組織、さらには臓器などを生着させることができた。これでヒトに近い動物実験システムを実現している」。実中研の野村龍太理事長は、世界で初めて開発し2002年に発表した新型マウスの意義についてこう説明する。

 ヒト化マウスは現在、医薬各社が注力している高分子化合物、抗体医薬、がん免疫薬の開発に必須の動物となっている。高齢化社会の発展に伴い必要性が増しているアルツハイマー病やパーキンソン病の研究などにも応用が期待されている。また、医薬品開発の成功確率を高めることにとどまらず、新たなメカニズムの新薬の開発や再生医療技術の実用化のための安全性試験などに貢献している。

 「今後、人の細胞と臓器、免疫システムなどの組み合わせで、個別化医療や、新たな治療法の確立もふくめ人類の健康に役立つ研究を目指していきたい」。野村氏はこう力を込める。

世界的脅威“感染症”予防にも注目が

 病気にならないためには、感染症対策は大きなテーマである。集団感染で世界中を脅かしている感染症にどう対応するかという観点での発表にも注目が集まった。日本医療研究開発機構(AMED)戦略推進部長で東京大学名誉教授の岩本愛吉医師が、日本での感染症対策の歴史について講演した。以下のような内容だった。

日本医療研究開発機構(AMED)戦略推進部長で東京大学名誉教授の岩本愛吉医師
日本医療研究開発機構(AMED)戦略推進部長で東京大学名誉教授の岩本愛吉医師

 他の先進国と同様、日本でも天然痘、日本脳炎、結核などの主要な感染症は1950年~1960年代に減少した。1946年に国産のペニシリンが製造されるようになったこと、1948年に予防接種法により、ワクチンの強制接種(当初12疾患)が導入されたことなどが大きく貢献したものと推定される。

 しかし世界的に見れば、その後、エボラ出血熱(1976年)、AIDS(1981年)、腸管出血性大腸菌感染症(1982年:以下EHEC)、ヘンドラウイルス感染症(1994年)、ニパウイルス感染症(1999年)など、20世紀最後の四半期に次々と、新たな感染症が出現し、新たな病原体が同定された。1990年代、WHOや米国CDCが新興感染症や再興感染症に対する注意喚起を行った。

 日本では、明治時代(1897年)に制定され10種類の疾患のみを書き込んだ伝染病予防法が、100年以上、国の感染症対策の基本法律として施行されていた。上記のような事情から、伝染病予防法、性病予防法(1948年)、AIDS予防法(1989年)を統合し、4カテゴリー、73種類の疾患を対象とした感染症法(正式名称:感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律)が、1999年から施行された(その後の改正により、2015年には5カテゴリー、84疾患が対象)。

日本における感染症法の変遷
日本における感染症法の変遷

 2014年までの日本では、デング、チクングニア、ウエストナイル、黄熱、マラリアなど、感染症法が対象とする蚊媒介性の感染症に関して、日本脳炎以外は全て輸入感染症であると考えられていた。一方でデングの報告数は、増加が顕著であった。2014年、ある注意深い医師が、デング疑いの症例の血液を国立感染症研究所(感染研)に送り、検査を依頼した。

 この症例には渡航歴が無く、70年ぶりの国内デングウイルス感染例として確定された。感染研は、2014年の292例のデング患者のうち、149例が国内感染例であったと発表した。野外調査により、代々木公園で捕獲された蚊の一部から患者と同一のデングウイルスが検出された。従って、海外で感染した者を刺した蚊が媒介し、同公園で他者を刺して感染させたものと推定された。

 岩本氏は、「2015年には全てのデング症例が再び海外感染であったと報告されたが、昨今の国際旅行ブームを考慮すれば、2014年のような事例が再燃する可能性を否定できず、2020年の東京オリンピック関連はもとより、さらに将来的にも注意が必要である」と警告する。

超高齢化社会に挑むAMED

 岩本氏は、自身が所属する日本医療研究開発機構(AMED)の取り組みも紹介した。AMEDは、医学研究と開発を目的とした資金提供機関(ファンディング・エージェンシー)として2015年に設立された機関。内閣官房・健康医療戦略推進本部に直属し、文部科学省、厚生労働省、経済産業省の関連予算がAMEDに集約される。AMEDのミッションは、「医療分野の成果を一刻も早く実用化し、患者さんやご家族に届けること」である。

 AMEDは以下の9つの統合プロジェクトを持つ。(1)オールジャパンでの医薬品創出プロジェクト、(2)オールジャパンでの医療機器開発プロジェクト、(3)革新的医療技術創出拠点プロジェクト、(4)再生医療実現プロジェクト、(5)疾病克服に向けたゲノム医療実現化プロジェクト、(6)ジャパン・キャンサーリサーチ・プロジェクト、(7)脳とこころの健康大国実現プロジェクト、(8)新興・再興感染症制御プロジェクト、(9)難病克服プロジェクト――の9つである。

 日本は、出生数が減少する一方、65歳以上の人口が着実に増加している(2018年で28.1%)超高齢化社会である。現在約500万人の認知症の患者が生活しており、2050年までに700万人に増加すると推定されている。超高齢化社会への対応が、AMEDの重要な使命である。

 今回のシンポジウムにおいて、岩本氏が強調したのは3点。まず第1に、AMEDの研究基盤としてのゲノム研究とバイオバンク、第2に病院連携に基づいた希少未診断疾患研究イニシアティブ(IRUD)、第3に認知症の診断や治療開発の試みである。

独自のプロジェクト管理手法で5割以上の成功率を実現

 創薬、機器開発をはじめとして、膨大な開発費がかかると言われる医療の世界では、開発プロジェクトをどれだけ効率化して成功に導くことができるかどうかは世界的なテーマである。このテーマに挑んでいるのが、スタンフォード大学医学部のSPARKでディレクターを務めるダリア・モックリー=ローゼン(Daria Mochly-Rosen)医師だ。2006年にSPARK を創設し、現在も所長を務めている。

スタンフォード大学医学部 スタンフォード大学SPARK ディレクターのダリア・モックリー=ローゼン(Daria Mochly-Rosen) 医師
スタンフォード大学医学部 スタンフォード大学SPARK ディレクターのダリア・モックリー=ローゼン(Daria Mochly-Rosen) 医師

 SPARKは、アカデミアにおける医学を効率的、効果的に継承していくためのプログラムである。ローゼン医師からは、独自のプロジェクト管理手法を採用し、実に51%という成功率を実現したとの報告があった。これは産業界の5~10%と比べて驚異的に高い水準である。

 産業界の専門家を巻き込む近年「トランスレーショナル医療」、つまり研究室での基礎研究成果を臨床に応用するためのプロセスが注目を集めている。SPARKはそのために、研究者を育成し、医療、医薬品開発、臨床試験、知的財産法、補助金調達、プロジェクト管理などの産業界の専門家をアドバイザーとして迎えるという独自の方法論を編み出し、現在はそれを世界中の大学と共有するまでになっている。

 具体的にSPARKが研究を支援するために教え、提供しているのは、以下のようなことだ。

(1)最終的に目標とする製品を設定した上で研究を進める
(2)マイルストーン達成ごとに研究資金を与える
(3)プロジェクト管理のスキルを教える
(4)製品開発に焦点を当てた教育を提供する
(5)産業界のベテランによるメンターシップを提供する
(6)協力者、コントラクター、関連会社、投資家の紹介
(7)アントレプレナーシップの教育

 SPARKのようなプログラムでは、活動を効果的に進めるために成果をモニターすることが重要になる。モックリー=ローゼン氏によると、SPARKでは「プロジェクトが臨床試験に入ったか、あるいは既存の医薬品会社やスタートアップにIPがライセンスされた」ことを成功として位置付けている。

プロジェクトの成功率は51%で、106件の研究プロジェクトが次の段階へ
プロジェクトの成功率は51%で、106件の研究プロジェクトが次の段階へ

 このSPARK の方法論は世界中の大学に広められ、現在20カ国で同様のプログラムが進んでいる。日本では、京都大学、東京大学、筑波大学、大阪大学、山梨大学などにSPARKプログラムが設置されている。台湾でも、現在6大学で228 プロジェクトが進行中である。

 今回のシンポジウムはスタンフォード大学医学部内の組織であるStanford Laboratory for Drug, Device Development & Regulatory Science (SLDDDRS)が事務局を務めて主催した。SLDDDRSはスタンフォード創薬医療機器開発ラボとも呼ばれ、2015年4月に設立された。母体は238人の教授を抱える麻酔科であり、初代所長を同科チェアマンであるロナルド・G・パール教授、共同所長を西村俊彦氏が務めている。

スタンフォード大学 医学部の西村俊彦氏。Stanford Laboratory for Drug, Device Development & Regulatory Science(SLDDDRS)の共同所長を務める
スタンフォード大学 医学部の西村俊彦氏。Stanford Laboratory for Drug, Device Development & Regulatory Science(SLDDDRS)の共同所長を務める

 SLDDDRSのミッションについて、西村氏は「革新的な創薬や医療機器開発の最適化だ。法令対応が必要なレギュラトリーサイエンスによって出口を実現するための戦略を推進している。そのために、独自・共同研究、教育と訓練、外部機関や企業とのオープンイノベーションに取り組んでいる」と説明する。

 推進に必要なスタンフォード学内の他の組織や外部団体や企業との交渉や連携もSLDDDRSの役割である。「スタンフォード大学医学部麻酔科を中心に、医学部内の他科研究室や医学部以外のスタンフォード6学部の最先端の研究と技術を探索し最適な組み合わせを構築し連携している」(西村氏)。

 西村氏は「今回のシンポジウムでも多くの団体や企業、学生などの皆様に参加いただき、新たな貴重なネットワークが構築された。関係者の皆様に感謝したい」と述べた。

 シンポジウムは基本的にスタンフォード大学と日本の神奈川県で年間1回ずつ開催している。2020年11月には、スタンフォード大学で第5回のシンポジウムを開催する予定である。

協力:スタンフォード大学 SLDDDRS

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