「正しく怖がり、賢く嫌うことが大切」

 有吉課長が飼育員になったきっかけは、新聞の求人広告。いまから20年前のことだ。東京の美術学校を卒業後、帰郷。家具店などで働いたが、地元の優良企業の正社員になれるという理由だけで応募し、採用されることになった。

 しかし、もともと虫は大の苦手。ゴキブリが出ると大慌てで家族を呼び、蚊をたたくのも嫌だった。飼育室での初日の仕事は、バットの中に入れられたハエの幼虫をスプーンですくって移し変えることだった。あるとき、大量のハエを熱湯で処分したのを目にしてから、その姿に似たレーズンをしばらく食べられなくなった。

 とはいえ、人間の慣れとは恐ろしいもので、虫嫌いは変わらないものの、仕事にはすぐ慣れた。ハエの担当から始まり蚊、ゴキブリのほか、ネズミも担当。昔、蚊を担当していたときは、120個もあるバットから蚊のさなぎを茶こしで取り出してカップに入れてケージに移し替える作業を1人でやっていた。放っておくと羽化して部屋中が蚊だらけなるのでぼんやりしてはいられなかった。

 そして、害虫を飼育するうちにその生態を知り、いつのまにか恐怖心や偏見はなくなっていったという。

 「例えば、ゴキブリは人間を襲わないし、逆に人間を怖がっています。ゴキブリ部屋に入ると一斉に逃げ出します。もし、襲ってくるように見えるとしたら、それはパニックになっているのでは。ゴキブリは飛行するのも下手だし、触覚だけが頼りで視力もかなり悪い。ゴキブリのお尻のほうについている尾毛で空気の動きを敏感に感じとっているので、捕獲するなら、後ろよりも前からのほうがつかまえやすいといわれています。ただ、害虫は家の中に病原菌を運んだり、アレルギーの原因になったりするのがやっかいなんです。害虫の生態をまず知ることから始め、正しく怖がり、賢く嫌うことが大切だと思います」

飼育室では現在6人の飼育員が働いている。「新幹線並みの俊足を持つゴキブリでも、慣れてくれば捕まえられるようになります。虫嫌いでも手先が器用でなくても、責任感があれば務まる」と有吉課長
飼育室では現在6人の飼育員が働いている。「新幹線並みの俊足を持つゴキブリでも、慣れてくれば捕まえられるようになります。虫嫌いでも手先が器用でなくても、責任感があれば務まる」と有吉課長
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 害虫飼育員になって20年、虫の生態を知り尽くし、その造形美にも魅せられるようになった有吉課長。「生態系のなかで害虫にも役割があるのでむやみに殺すことはない」と言いつつ、虫嫌いであることには変わりない。害虫飼育では虫を殺すこともあるため、虫好きには向いていないという。

 ただ「好きじゃないけど、嫌いじゃない」(有吉課長)。その言葉からは、虫への愛着というよりも、害虫飼育という仕事への使命感ややりがいが伝わってきた。

(文/橋長初代)