蒼井優がブームにひと役買っていた?

 かき氷が一般に普及するのは、明治に入ってから。中川嘉兵衛なる人物が、函館の五稜郭外濠の天然氷(詳しくは後述)を横浜に輸送することに成功したのがきっかけだ。この天然氷は「函館氷」と呼ばれ、1874年ころには市場に十分に出回るようになり、飲食にも適していたことからかき氷が庶民の味として定着したという。その後は、ご存じの通り、日本の夏にはなくてはならないスイーツとして現在に至るまで楽しまれている。

雑誌「サライ」(小学館)の1998年7月16日号。天然氷の特別企画が掲載されている
雑誌「サライ」(小学館)の1998年7月16日号。天然氷の特別企画が掲載されている
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 そのかき氷に再びスポットライトが当たり、ブームとなった発端は1990年代に遡る。埼玉県秩父郡にある天然氷の蔵元「阿左美冷蔵」がかき氷の販売を始めたのだ。フワフワの氷に果汁感のあるシロップなどを組み合わせた、こだわりのかき氷はすぐに評判となり、テレビや雑誌で取り上げられて話題に。お店には長蛇の列ができた。同じころ栃木県日光市にある天然氷の蔵元「松月氷室」でも、果汁感のあるかき氷の販売を開始した。1998年の雑誌「サライ」(小学館)では、阿左美冷蔵と松月氷室の天然氷が紹介されている。

 2000年代に入ると、首都圏でもこだわりのかき氷が食べられるお店が登場する。有名なのは神奈川県藤沢市の「埜庵」だろう。ほかにも埼玉県熊谷市の「慈げん」、世田谷区の「しもきた茶苑大山」、北区の「だるまや餅菓子店」などが有名だ。こうしたお店がマスコミに紹介されたことで、かき氷が冬でも食べられるスイーツとして認知され始めた。その後も、こだわりのかき氷を提供するお店は徐々に増えていった。とはいえ、かき氷を食べ歩くようなマニアはまだまだ一部だった。

多くのかき氷ファンを生み出したと言われる蒼井優の「今日も かき氷」(マガジンハウス)。2011年7月に初版が発行されている
多くのかき氷ファンを生み出したと言われる蒼井優の「今日も かき氷」(マガジンハウス)。2011年7月に初版が発行されている
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 ブームが加速したのは2011年の夏。その要因は2つある。まず女優の蒼井優が「今日も かき氷」(マガジンハウス)を出版したこと。この本は、雑誌「カーサ ブルータス」の連載をベースにした内容だが、こだわりのかき氷が食べられるお店が全国にたくさん存在することを多くの人に印象付けた。加えて、自然体で活動を続ける彼女のキャラクターは、若い女性からの好感度が高く、彼女と同じようにかき氷を食べ歩く女性を増やしたであろうことは言うまでもない。

 もう1つの要因は東日本大震災である。2011年の夏は、全国的に電力不足が叫ばれ、省エネが推奨された。自宅のエアコンにスイッチを入れることに罪悪感があったことは記憶に新しい。そんな中、手軽に涼を取れるものとしてかき氷が見直されたのだ。これも現在のかき氷ブームにつながっている。また、同じころ台東区の「ひみつ堂」が店舗をオープンし、その後も世田谷区の「和キッチンかんな」、港区の「yelo(イエロ)」など現在の人気店が次々に続いた。

 現在は首都圏だけでなく関西や中部にも通年でこだわりのかき氷を提供するお店が増えている。ブームは全国に広がっている。

■変更履歴
初出では「阿左美冷蔵」を「阿佐美冷蔵」と記載しておりました。お詫びして修正いたします。