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――前回の最後で、セブン-イレブン創業当初は小売りの経験がなかったと、伺いました。当初は、経営に関わられるつもりはなかったのですか?
鈴木:そうなんですよ。当時の私の役職はイトーヨーカ堂の人事部長で、そのままセブン-イレブンを手がけました。私ばかりでなく、最初のメンバーはみんな素人です。コンビニをやるといっても社員は手を挙げませんから、新聞広告で募集したわけです。それで集まってきたのが、自衛隊のパイロットや商社マンなど、異業種出身者ばかりでした。結果的に、それが幸いしました。流通の〝素人〞だから、常識に縛られないんです。米国のやり方では理屈が通らないから新しいことをやろうと提言すると、みんな「それはいい」と賛同しましたよ。
――米国の方法で、理屈が通らないのはどういうところでしたか?
鈴木:米国のセブン-イレブンは要するに、チェーンストアだったんです。チェーンストアは、19世紀後半に流通の合理化が進む米国で生まれた小売り形態です。本部が商品開発して配り、店はそれを売るだけという分業体制。日本でもヨーカドーやダイエーなどのスーパーは、この方式です。
だけど私は、日本のコンビニでは、そういう考え方は無理じゃないかと思った。何を売るかは店の発注によって決めるようにしたんです。すると商品部も必死になって、売れるものを開発しました。これが日本のセブン-イレブンです。チェーンストアは、消費が伸びている時代に通用する形態で、今では、その役目を終えています。
――それが共同配送やPOSの導入につながったわけですね。それでも、新しい試みを始めるたびに、社の内外に反対意見はあったと思います。どのように説得されてきたのですか?
鈴木:かっこよく言えば、意志を貫き、一つ一つの壁を破ってきました。その問題に集中するしかなかったですね。
――説得術を、もう少し具体的に教えていただけないでしょうか。
鈴木:口説き落とすしかないです。例えばパンの問題ですね。当時は正月といえば、スーパーも休んでいました。でも、365日営業のコンビニというからには、常に新鮮な商品をそろえなくてはいけません。それで山崎製パンさんに、お願いに行ったんです。まずは社長にお話して、続いて組合の方々とさんざん議論をし、「そこまで言うのなら」と納得していただきました。
問屋さんだって正月は休むから、商品の仕入れができなかった。自分たちのクルマで運ぶと言い出す社員もいましたが、「それはダメだ」と一喝しました。10店、20店の規模ならできるかもしれないが、1000店になったときに、それがやれるのか、と。将来をしっかりと見据えることも大事ですね。