「泣くことはストレス解消になり、健康にもいいらしい」とばかりに、泣くためにわざわざ「泣ける映画」を見るのがはやったのは7~8年前だろうか。抑え込まれた感情を泣くことで発散させ、すっきりして精神衛生上も良いと言われていた。その発展形として、今、「涙活(るいかつ)」というものを取り入れている企業がある。感涙療法士を招き、“能動的な泣き”で心のデトックスをして、健康的な精神を取り戻すことが目的だ。こうした「涙活」を提唱している寺井広樹氏と、彼が主宰する、一緒にメソメソ泣いてくれるイケメンの感涙療法士を派遣するサービス「イケメソ宅泣便」をレポートする。
お互いが泣く姿を見ると結束が固くなる?
まず、感涙療法士とはどういうものなのだろうか? これは、心を癒し、安定感や平常心をもたらすといわれる脳内物質「セロトニン」研究の第一人者である東邦大学医学部名誉教授 有田秀穂氏が指導するセミナーを受講し、認定テストを受けて取れるというもので、寺井氏が会長を務める全米感涙協会が認定している新しい医療職だという。
「私は“離婚式”といって、これから離婚する夫婦の新たな旅立ちのためのセレモニーをプランニングする仕事もしているのですが、離婚式では男性が号泣するんですね。それはもう、みんなが引くくらいに。一方、女性はめったに泣かない。というのも、女性はそこに至るまでにさんざん泣いてきたんですよ。だから、離婚式の頃には出る涙もないというか、態度は冷ややかです。男性は今までため込んだものが決壊してしまい号泣してしまうものなのです」(寺井氏)。女性はストレスを小出しに発散できているから離婚式の頃には気持ちの整理もできていて泣かないのだという。
「男は泣くものではないとしつけられていたり、自我が芽生える前から男とはそういうものだと思い込んでいたりします。ストレスを抱えた男性たちの心を解放する助けになるのではないか、また今後そういうものが求められる世の中になるのではないか、と感涙療法士という資格を作り、企業を対象に“出張涙活”というものを始めたのです」(寺井氏)
出張涙活とは、寺井氏の編み出した涙活テクニックによって“能動的”に泣き、心を開放し、ストレスを発散させるというもの。普段は百戦錬磨の企業戦士たちも、お互いが泣く姿を見合うことにより結束が固くなったり、コミュニケーションづくりに役立つ一面もあると評判をよぶ。
「そこから派生したのが、イケメンの感涙療法士を企業に派遣して涙活をする『イケメソ宅泣便』です。こちらも法人限定でお受けしているのですが、福利厚生の一環として定期的に依頼してくる企業もあります」(寺井氏)
イケメソに所属する感涙療法士は弟系イケメソ、オラオラ系イケメソ、癒し系イケメソなど、バラエティーに富む。イケメンが感動の物語を朗読したり、一緒に動画を見て泣く、というものだが、それに加えて壁ドンならぬ「頬ポン」サービスというものもある。涙をハンカチでぬぐってくれるこのサービス、女性には大人気だという。そこで実際にイケメソ宅泣便を利用している企業に潜入してみることにした。
イケメソも一緒に泣いてくれる!?
とある企業の会議室。ここに終業時刻の18時に20代から30代の女性社員4人が集合していた。イケメソ宅泣便から派遣されてきたのは感涙療法士で“インテリイケメソ”の千葉司氏。千葉氏の本業はミュージシャンだ。「イケメソ歴は約半年です。知人の紹介でこの活動をするようになりました」(千葉氏)。
前出の寺井氏いわく、イケメソは基本的にスカウトだそうで、ルックスに関してまず厳しい審査があるそうだ。イケメソ千葉氏が涙に関する効用を説明することから始まり、泣ける本を朗読する。その後は、一番の泣きどころである「動画の観賞」だ。5分前後の動画を数本見るうちにすすり泣きが聞こえてくる。ふと隣を見ると、イケメソ千葉氏も泣いているではないか。動画の内容はいわゆる「いい話」系のものなのだが、夫婦愛、ペット愛、友情もの、バラエティーに富んでいる。そして、どうやら人によって泣きのツボが違うらしく、動画ごとに違う方向からすすり泣きが聞こえてくる。
この動画、寺井氏が制作した泣ける動画などを含む30分ほどのオムニバス形式にして見せるのだが、構成は工夫が必要だという。「見る側の人生経験によって共感できる動画とそうでないものがあります。例えば、高校で生徒たちに涙活するときは、夫婦愛ものやサラリーマンの奮闘記的なものは理解しづらい。クライアントに合った動画をセレクトすることで、徐々に感情を上げていき、最後にすっきりできるように気持ちの強弱も考えて構成します」(寺井氏)。
動画観賞が終わったところでお待ちかねの「頬ポン」タイムだ。イケメソが頬の涙を拭いてくれるこのサービス、される女性側はちょっと恥ずかしそうだがまんざらでもない様子。最後に千葉氏の本業でもある歌のパフォーマンスがあり終了となる。
泣きツボは人それぞれにある!
終了後にイケメソ千葉氏に話を聞いてみた。
――動画観賞の際に千葉さんも涙ぐんでいましたが、もともと涙もろいのでしょうか。
千葉氏: 「いいえ、実はこの活動を始める前までは最後に泣いたのが葬儀に参列した5年前、その前が15年前の卒業式なんです」
この2回はどうしても我慢ができなかったが、それまでは小さい頃から男は泣くものではないという先入観があり、泣きたくても感情を押し殺していたという。
千葉氏: 「昔から少林寺拳法をやっていて、“男らしくあること”を植えつけられていたような……。でもこの活動を始めてから、涙が出るようになりました」
あまり汗をかけない体質の人が、サウナに通い始めたら汗が出るようになった、というようなものなのだろうか。
――以前見たことがある動画が出てきても泣けますか?
千葉氏: 「僕も最初は、始まった瞬間に、あ、これ見たことあるから泣かないんじゃないかなと思っていました。でも、見たことがあるものでも、前回泣いてしまったものは、もう一度見ても泣けてくるんです。人それぞれに泣きツボがあるんだと思います」
――今まで宅泣便で派遣されて、印象に残っている企業はありますか?
千葉氏: 「イベント会社を訪問したときですね。コンサートの企画などを手がける企業だったのですが、女性社員がバリバリ働いているところでした。第一線で働く女性は男性と同じで泣きごとは言えない。でも、宅泣便ですっきりしていただけたようで、こちらも嬉しく思いました」
「イケメソ宅泣便を含めて、企業で、今後も涙活イベントの需要が増えている理由の一つに、ストレスチェックの義務化という背景があります。 過労死や自殺が社会問題になり、うつ病などの精神的疾患を未然に防ごうと、従業員50人以上の全事業所でストレスチェックを実施することを義務化する改正労働安全衛生法が2015年12月に施行されました。しかし、チェックはできても、その後の対応がうまくいっていないというのが現状。涙活はストレス発散に有効な手段ですから、今後も積極的に感涙療法を実施していきたいと考えています。また、将来的には海外でも活動展開したいですね」(寺井氏)。取材当日はアメリカ系の通信社とアジアのテレビ局も取材に来ていた。海外進出もありえない話ではなさそうだ。
ここ2~3年、広告業界でも「感涙もの」の流行がある。15~30秒のテレビコマーシャルとは別に特設サイトをつくり、3分ほどの“感動モノ”のショートムービーを公開する。そしてそのストーリーはSNSの流行で簡単に拡散されるようになった。このムーブメントは日本だけでなく、世界的な傾向でもある。「感動の涙」というものは人と分かち合いたくなるものなのかもしれない。職場の仲間と分かち合う涙、自宅でひっそり流す涙、涙の種類はいろいろだが、大切なのは悲しみや怒りの涙ではなく、感動の涙に限るということらしい。
(文/三井三奈子、写真/阿部雄介)