学研の科学系ムック「大人の科学マガジン」2017年12月発売号の付録が話題だ。それが「小さな活版印刷機」だと発表されるやいなや、SNSなどで大ブレイクし、実際に発売された時点で初回出荷分はほぼ完売。ネット上の通販サイトでは次回発送は2月と告知が出たほどだった。書店に行けば買える場合もあったが、出版元には在庫がすでにないらしいから、ヒットといっても過言ではないだろう。

学研「大人の科学マガジン 小さな活版印刷機」(税込み3780円)
学研「大人の科学マガジン 小さな活版印刷機」(税込み3780円)
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 「印刷モノは、いつかやってみたいと思っていた」と、大人の科学マガジンの編集長を務める、学研プラス・次世代教育創造事業部STEAM事業部の吉野敏弘統括編集長。「企画を考えているときに、ほしおさなえさんの小説『活版印刷三日月堂』を読んで、自分で活字を拾って印刷するという体験をすごくやりたいと考えたのが、今回の企画の始まり」と吉野編集長は話す。

 活版印刷とは、文字の部分を凸型に高くした活字に、インキを塗り、紙を押し付けて印刷すること(大人の科学マガジンより)。実は今、毎年東京や大阪で開催される活版印刷のイベントに多くの若い女性が集まるなど、ちょっとしたブームなのだという。

   「今はやっている活版印刷は雑貨感覚というか、圧倒的に『かわいい』もの」と吉野編集長は言う。そこで印刷機を女性向きに作ろうと考え、活版印刷機の原型である、名刺やカードの印刷に用いられた手動式の平圧印刷機「手フート印刷機」(通称「テキン」)の武骨なデザインを小さくすることでかわいさが出せるのではと考えた。1つのハンドルの動きでインクを練る作業から印刷するまで、印刷のすべての構造と機構がきちんと組み込まれているテキンを小型化しているのが製品のポイントだったという。

学研プラス 次世代教育創造事業部STEAM事業部の吉野敏弘統括編集長。大人の科学マガジンの編集長を務める
学研プラス 次世代教育創造事業部STEAM事業部の吉野敏弘統括編集長。大人の科学マガジンの編集長を務める

 ただ、この「小型化する」のが難しかったそうだ。「素材もサイズも違うから、機構が同じでも同じように動くわけではない。それで試行錯誤が続いて、通常1カ月ほどで試作品が出来上がるのだが、試作品完成まで3カ月かかった。一部分のホリを深くするとか、厚みを出すとか、そういう小さな部分の改良を重ねて仕上げた」と吉野編集長。

 そして、実際に発売された「小さな活版印刷機」は、その期待に十分応える仕上がりだった。もちろん、小型化したものであり、3780円で買えてしまうものだから、本格的な印刷機として使うには無理がある。しかし、活版印刷というものがどういうものか、オフセット印刷やパソコンのプリンターとどう違うのか、どこに魅力があるのか、どこにデメリットがあるのか、といったことが十分理解できて、使い方次第で実用にも耐えうる印刷機に仕上がっていた。

 「初版の2万部はすぐに売り切れた。店頭分がなくなってしまうので、予約の受け付けをストップし、書店では1人2点までなどと制限をしたほどだった。大人の科学を毎号買ってくれている人たちまで届かなかったというのが実状」と吉野編集長は言う。大人の科学マガジンの歴代売り上げ最高はプラネタリウムの53万部。次は20万部超えたテルミン、17万部くらいの二眼レフカメラだという。小さな活版印刷機も10万部は超える見通しだそうだ。

女性向けを意識して作られた刷り見本
女性向けを意識して作られた刷り見本
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左が最終試作品。右は初期の試作品。試行錯誤を繰り返し、誰が組み立てても印刷できる完成度へと近づけていった
左が最終試作品。右は初期の試作品。試行錯誤を繰り返し、誰が組み立てても印刷できる完成度へと近づけていった
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いよいよ組み立て

小さな活版印刷機の部品はこれだけある
小さな活版印刷機の部品はこれだけある
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 小さな活版印刷機は付録なので、ユーザーが組み立てなければならない。組み立て方法は、本誌の「大人の科学マガジン」に詳しく書かれている。面倒がらずに、きちんと説明書きを読んで組み立てれば、不器用な人でも1時間かからずに組み立てられると思う。そこで、さっそく試用してみた。

本誌に詳細な組み立て方が書かれている
本誌に詳細な組み立て方が書かれている
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 パーツはそれほど多くなく、組み立てに必要なプラスドライバーまで付いているから、ほぼ何の準備もいらない。ただ数カ所、不器用な筆者には先端が磁石になっているドライバーでないとうまくできない箇所があった。不器用な人は磁石付きのドライバーを用意しておいたほうがいいだろう。また、アーム部分の左右が説明書では分かりにくかったので、そこも注意が必要かもしれない。

絵の具、スポイト、ドライバー、活字外し器と、組み立て、印刷に必要なものはひと通り用意されている。ドライバーは先端が磁石になっているものを用意すると組み立てがラクだ
絵の具、スポイト、ドライバー、活字外し器と、組み立て、印刷に必要なものはひと通り用意されている。ドライバーは先端が磁石になっているものを用意すると組み立てがラクだ
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 出来上がった小さな活版印刷機は、その構造や仕組みを19世紀半ばに実際に使われていた「手フート印刷機」をモデルにしている本格的なものだ。

組み立て完了。不器用な筆者がゆっくり組み立てても50分かからない程度で終わる
組み立て完了。不器用な筆者がゆっくり組み立てても50分かからない程度で終わる
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 ハンドルを動かすと、インクが付いたローラーが活字にインクを写し、そのまま活字が印刷面に押し付けられる一連の動作を見られる。その動きは自動スタンプ押し機みたいなものだ。ポイントはレバー操作だけで全工程を行えること。文字通り印刷機なのだ。

製作に最も時間がかかったのは「活字」だった

 組み立てが終ったら、次は活字を切り離す作業が待っている。ハッキリ言って、この作業が最も時間がかかって面倒だ。1文字ずつ切り離して、切り離したところに残るバリを取って行く作業は、たったの162文字なのに気が遠くなるほど終わらない。

用意されている活字は、全部で162文字。ひらがな、アルファベット大文字小文字、数字、記号類がそろっている
用意されている活字は、全部で162文字。ひらがな、アルファベット大文字小文字、数字、記号類がそろっている
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 活字を切り離す作業も大変だが、「活字を作る作業は本当に大変だった」と吉野編集長。「文字面がコンマ何ミリか立ち上がっていたり、つなぎの位置も上だったり、下にしてみたりと、どれもやってみないと分からないので、やっては直し、やっては直しを繰り返した」。本来、精度が必要だからこそ金属で作られる活字をプラスチックで再現するのだから、その大変さは想像に難くない。実際、活字の精度の高さに驚いたほどだ。

プラスチックの活字は成形時に収縮するが、厚みが違うと収縮の度合いも違ってくる。裏のピンが表の文字に影響して凹みができることもあるため、活字の製作には多くの時間がかかっている
プラスチックの活字は成形時に収縮するが、厚みが違うと収縮の度合いも違ってくる。裏のピンが表の文字に影響して凹みができることもあるため、活字の製作には多くの時間がかかっている
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 次は、実際に印刷に使う活字を拾い出して、活字台にセットする。小さな活版印刷機は、活字がひらがなとアルファベットと数字しかない。しかも、ひらがなは、50音+濁点文字+半濁点文字+小さな文字横書き用+小さな文字縦書き用+記号(句点、読点、音引きなど)の86文字。アルファベットは大文字+小文字(a、e、i、o、p、u、yは2文字ずつ)+数字+記号(カンマやピリオド、?、!、ハイフンなど)の76文字。これらを組み合わせて、文字列を作る必要がある。

必要な活字を1文字ずつ拾い出していく
必要な活字を1文字ずつ拾い出していく
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 筆者の名前「のうとみやすくに」には重なる文字がないから、まずはひらがなの名刺を作ることにした。活字の山から、「のうとみやすくに」の8文字を探すのに手間がかかる。説明書にあるように、文字列順に並べてシール付きのスチロールパネルなどにくっつけておけば良かったと少し反省した。

 活版印刷の場合、この必要な活字をピックアップすることを「活字を拾う」というのだが、実際に自分でやってみると、その大変さが身に染みる。これを、漢字も含めて本1冊分も拾う当時の印刷会社の人々の苦労がしのばれる。活字を拾う現場に何度か立ち合ったことがあり、ものすごい速さで文字を拾っていく職人に驚いたものだが、この作業は本当に過酷だ。

 ともあれ、文字を拾って、活字台にセットしていく。「らいたー」という文字も入れて、ついでに、アルファベットでTwitterのIDである「@notomi」も入れることした。都合が良いことに、「o」は2文字用意されていたから、全部を1回の刷りで完了できる。活字は追加販売されているので、追加購入すれば、メールアドレスも入れられそうだ。

 今回用意されている活字は、「秀英明朝」という活版印刷華やかなりし明治時代に生まれた書体。現在もパソコン用のフォントとして使われている書体だ。毛筆の線を生かした味わい深い書体は、いかにも活版印刷という雰囲気が出る。この書体についてのコラムが本誌にあり、伝統書体と現代のフォントをつなぐ、とても興味深い内容だった。そういえば、かつてパソコン上で縦書きで文章を読むための「T-Time」というツールがあって、メインに使われていた書体も秀英明朝だった。日本語を読むための書体なのだ。

 活字台に活字を並べる際に注意するのは、左から読ませたい文字は、右からセットするということ。印鑑同様、活字は裏文字になっているから、刷ると左右が逆になる。うっかり間違えやすいので注意。活字を並べ直す際は、付属の活字外し器を使う。こういうものまで用意しているのが大人の科学マガジンの素晴らしいところだ。また、活字はしっかりと活字台に差し込む。ここで凹凸があるとうまく印刷できないのだ。

活字台に、活字を並べていく。左右が逆になることを考えてレイアウトしよう。レイアウトが決まったら、両面テープで活字を活字台にしっかり貼り付ける
活字台に、活字を並べていく。左右が逆になることを考えてレイアウトしよう。レイアウトが決まったら、両面テープで活字を活字台にしっかり貼り付ける
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印刷機に活字台をセットしたところ
印刷機に活字台をセットしたところ
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ローラーで印刷する楽しさを実感

 さて、いよいよ印刷である。黒インクが付属しているが、筆者は濃い赤茶色(アリザリン・クリムゾン)の水彩絵の具を使うことにした。インクは水彩絵の具が使えるので、好みの色があれば買っておこう。また、印刷用の紙は、本誌に「キャプタルラップ 120g/m2」という片面は光沢加工、片面は和紙のような風合いの紙と、「ハーフエア・コットン 209.4g/m2」という厚手の画用紙のような紙がA4サイズで2枚ずつ用意されているので、これらを使う。まずは厚手のハーフエア・コットンを名刺サイズにカットして使った。

 インキ台に付属の吸い取り紙をセット。次に活字台を版盤にセットし、紙を圧盤にセットしたら、付属のスポイトで吸い取り紙に水を垂らして、インキ台に吸い取り紙を貼り付ける。これで準備完了。インクは吸い取り紙の上に一直線に端から端まで出して、細い棒などでまんべんなく広げていく。そして、印刷機のハンドルを動かして、ローラーでインクをよく練ると同時に、ローラーにしっかりとインクを付ける。少しローラーを押さえるようにすると、インクがしっかり付くようだ。

インキ台に付属の吸い取り紙をセットし、スポイトで水滴を垂らしてインキ台に吸い取り紙を貼り付ける
インキ台に付属の吸い取り紙をセットし、スポイトで水滴を垂らしてインキ台に吸い取り紙を貼り付ける
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絵の具を吸い取り紙の上に真っ直ぐ出す。このとき、太さを均一にして出せれば、後の作業がスムーズだが、不器用な筆者はヨレヨレになってしまった
絵の具を吸い取り紙の上に真っ直ぐ出す。このとき、太さを均一にして出せれば、後の作業がスムーズだが、不器用な筆者はヨレヨレになってしまった
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レバーを動かして、ローラーでインクを練りながら、ローラーにインクを付けていく
レバーを動かして、ローラーでインクを練りながら、ローラーにインクを付けていく
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レバー操作だけでなく、直接ローラーをインク台に押し付けて転がすと、ローラーにインクが付きやすい
レバー操作だけでなく、直接ローラーをインク台に押し付けて転がすと、ローラーにインクが付きやすい
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 インクが十分に乗ったら、ハンドルを押し下げて活字を紙に押し付ける。あまり強く押し付けなくても、インクが活字に乗っていれば問題なく印刷できる。最初は試し刷りということで、インクの乗りを見て微調整しよう。何度か刷ってみて分かったのは、1回目以降はローラーを1往復させるくらいで活字に十分インクが乗るということ。

 印刷時に押し付け過ぎると紙に活字がくっつく場合があるので、あらかじめ両面テープで活字を固定しておくことが重要だ。インクの付け過ぎ、押し付け過ぎには注意しよう。印刷機というだけあって、一度うまく刷れれば、あとはレバーを上から下へと1回動かすだけで、どんどん刷れる。

ローラーで活字にインクを乗せているところ。最初だけは何度か往復させよう
ローラーで活字にインクを乗せているところ。最初だけは何度か往復させよう
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台をしっかり押さえてレバーを押し下げれば、印刷完了
台をしっかり押さえてレバーを押し下げれば、印刷完了
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レバーを戻すと、印刷できている。次の紙をセットして、レバーを押し下げれば、次の1枚も印刷できる
レバーを戻すと、印刷できている。次の紙をセットして、レバーを押し下げれば、次の1枚も印刷できる
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だんだん勝手が分かって、うまくいくようになった
だんだん勝手が分かって、うまくいくようになった
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 印刷の後は、活字や印刷台、ローラーをぬるま湯で洗って乾かせば、また次の印刷が行える。ローラーと活字を複数用意すれば多色印刷も簡単に行えるから、なかなか本格的だ。書体が良いおかげで、完成した名刺は風情があって、裏面に住所印と名前印を押せばビジネスにも使えそう。版面は名刺サイズだが、それより大きな紙もセットできるから、例えばハガキの下半分に印刷といったことも可能だ。

 使ってみると思った以上に簡単で実用的。2版以上使って多色刷りに挑戦するのも面白そうだ。複数の版で刷れば、同じ文字も何度でも使える。水彩絵の具は色が豊富で安価なので、少し変わった色で印刷するのも面白い。

 文字種については、漢字はあっても多分使いこなせないけれど、カタカナは欲しい。また、活字はレイアウトが決まったら、活字台に直接両面テープを貼り付けて、その上から活字を差し込むほうが早そうなので、次回はその方法を試してみたい。実際に使うと分かるが、“印刷している”という感覚はとても面白い。

(文・写真/納富廉邦)