9月20~23日、千葉・幕張メッセで「東京ゲームショウ2018」が開催される。日経トレンディネットでは今年も特報サイトを開設。開催期間中は会場から出展ブースや話題のゲーム、eスポーツ大会の情報などを即時レポートする。

 今年は特報サイトのゲストリポーターとして、ゴールデンボンバーの歌広場淳さんを招請。格闘ゲーム好きとして知られ、EVOなどのeスポーツの大会などにも参戦している。昨年はプライベートで東京ゲームショウに来場したという筋金入りのゲーム好きだ。担当編集はそのことを歌広場さんのTwitterで知り、「プライベートでいらっしゃるくらいなら、トレンディネットで取材に行きませんか」とゲストリポーターを依頼した。ゲームショウ当日は、ゲームファン代表としてゲームショウの楽しさを伝えていただく予定だ。

 まずはその前に、歌広場さんに自身のゲーム遍歴やゲームとの付き合い方などについてインタビュー。その模様を全3回にわたってお送りする。今回はその第1回目。

歌広場淳(うたひろば・じゅん):ヴィジュアル系エアーバンド「ゴールデンボンバー」のベース担当。代表曲「女々しくて」ではNHK紅白歌合戦に4年連続出場、カラオケランキング歴代1位となる51週連続1位を獲得。9月1日にドラムの樽美酒研二が作詞作曲歌唱を行った「タツオ⋯嫁を俺にくれ」を発売した。大のゲーム好きであり、全国ツアー中は各地へアーケードコントローラーを持ち回り、会場や宿泊ホテルでゲームを行う
歌広場淳(うたひろば・じゅん):ヴィジュアル系エアーバンド「ゴールデンボンバー」のベース担当。代表曲「女々しくて」ではNHK紅白歌合戦に4年連続出場、カラオケランキング歴代1位となる51週連続1位を獲得。9月1日にドラムの樽美酒研二が作詞作曲歌唱を行った「タツオ⋯嫁を俺にくれ」を発売した。大のゲーム好きであり、全国ツアー中は各地へアーケードコントローラーを持ち回り、会場や宿泊ホテルでゲームを行う

ゲームで初めて「大の大人も悔しがる」ことを知った

――歌広場さんが初めてゲームを遊んだのはいつごろのことでしょう?

歌広場: 僕の原体験は、小学1~2年生のころに父親と遊んだ『ファミスタ'91』か『ファミスタ'92』なんですよ。

――格闘ゲーム好きとうかがっているので、野球ゲームとは意外です。

歌広場: ゲームって、遊んでいる人には伝わる“常識”みたいなものがありますよね? 例えば「穴に落ちたら死ぬ」とか「棘に触れたら死ぬ」とか。当時、父にも僕にもそういうゲームの常識がなかったので、分かりやすい「野球」を選んだんだと思います。

 でもそのとき僕は初めて「大の大人が負けて悔しがることがある」ということを知りました。父親がよそ見をしているあいだにストレートを3球投げてアウトを取ったら、「ズルい!」とすごく怒ったんですよ(笑)。僕は子供心に「勝てばいい」と思ってやったんですが、父が怒る姿を見て「どうやらそういうことではないらしいぞ?」と気づいて。「楽しくないし、お父さんも怒るし、なんかイヤだな」っていうのが、僕のゲームにまつわる最初の記憶なんです。

――ずいぶんほろ苦いファーストコンタクトですね。

歌広場: 僕が野球を知らなかったということもあるんですが、やはりゲームって人それぞれにジャンルの向き・不向きがあって、僕はどうやら野球とかスポーツ系のゲームに向いていなかった。そこから自分の好きなジャンルを探し始めて、本格的にゲームと付き合うようになったんです。

 もしあの初体験が本当に楽しいものだったら、僕のゲーム人生ってもっと開かれたものになったかもしれない。でも僕の場合は「好きなものをやらないと人とぶつかることがあり得る」ということを最初に思い知ったようで、それがその後の「好きなものを徹底的にやっていく」というスタイルにつながったように思います。これは今のゴールデンボンバーでの活動姿勢にもつながっているんじゃないかな。僕のゲーム人生を最初に作ったのは、僕が一番苦手なジャンルのゲームだったというのも不思議なものですね。

たとえマイナーでも自分で選ぶゲームが面白い

――では最初は好きなゲームを探すところから始まったんですね。

歌広場: 探すという行為自体がゲームをやっているような感覚で、ワクワクしましたね。今でもあるのかもしれませんが、当時はゲームショップやおもちゃ屋が新聞の折り込み広告を出していたんです。野菜や肉の写真が並んだスーパーの広告と同じように、ゲームタイトルとパッケージがひたすら並んでいました。

 それを眺めてパッケージやタイトルからゲームの内容を想像するんです。「これは面白そう」「これはサッカーゲームだから自分には合わないかも」とか。ゲームソフトって安くないからお小遣いで買えないので、テストで100点を取ったら買ってもらうとか、そんな感じでした。

――最初に買ってもらったのは、どんなソフトだったんですか?

歌広場: ファミコンの『ハイドライド3 闇からの訪問者』※というゲームでした。タイトルの意味は全く分からないけれど、子供ながらに「3作目まで出ているならそう悪いものではないだろう」と思ったんです。ところがこれが、大人でも「どうすればいいんだ?」と頭を抱えてしまうような難度の高いアクションRPGで、子供がうかつに手を出しちゃいけないものだったんです。

※『ハイドライド3 闇からの訪問者』:オリジナルであるPC版の開発はT&E SOFT。ファミコン版は「ナムコット ファミリーコンピュータゲームシリーズ」として当時のナムコ、現バンダイナムコエンターテインメントが発売

――当時のアクションRPGって、今よりかなりマイナーな存在でしたし、かなり不親切な分かりにくいものでしたからね。

歌広場: そうなんです。当然、クリアどころか全然進まないんですが、それでも僕には楽しくて仕方がなかった。「自分で選んだゲーム」だったからでしょうね。そのときに、たとえマイナーなタイトルでも、人から与えてもらったゲームより自分で選んだゲームのほうが100倍面白いと気づきました。

ゲームを通じて受けた人付き合いにおける“予防接種”

――今、プレーしているのは格闘ゲームが中心ですか?

歌広場: はい、ほぼ格闘ゲームです。きっかけはゲームセンター。小学6年生くらいからよく行くようになったんです。当時、学校などでは、小学生がゲームセンターに行くのは「あまり良くないこと」とされていたんですが、僕はその「あまり良くないこと」がしたかった。小学校で児童会長とかやっていて、周りから見るときちんとした子供だったと思いますが、だからこそ「周りの人が求めているものと僕がやりたいことが違う」と思い始めていたんです。一般的には中学とか高校でくる反抗期が小学6年生くらいにきたんでしょうか。家出をしてみたり学校をサボってみたりもしましたね。

 ゲームセンターにおける当時の花形は、やはり格闘ゲームでした。『ストリートファイターII』とか『バーチャファイター』を大人に混ざって遊ぶのが楽しかった。

 ゲームセンターに通っていると年上の知り合いが増えるんです。向こうはこっちを対等に見ているわけではなかったでしょうが、僕には大人の知り合いが増えることがうれしかった。今考えると、ゲームそのものより、「大人に混ざって同じことをする」のが楽しかったんだと思います。

 今でも僕にとっての「ゲーム」は「誰かと楽しむもの」です。1人でプレーできるものも多いので、1人で楽しむ人も多いでしょうが、僕が好きなのは誰かと戦う格闘ゲーム。相手がいて初めてプレーできる。こうしたゲームを通して、僕は人と付き合ううえでの“予防接種”を受けたと思っているんです。

ゲームは自分も相手も楽しまなくちゃ

――“予防接種”というのは?

歌広場: 教訓のようなものですかね? ゲームはただ勝てばいいものではないんです。この画面の向こう側には実在の人がいて、その人がお金を入れてくれないとゲームが成立しないというのは、ゲームセンターで学んだとても当たり前で大事なことだと思います。

 ゲームセンターに通い始めて僕はメキメキと強くなったんですが、ある日、周りの人が誰も僕と対戦してくれないことがありました。「だってつまんねぇんだもん」と。「え? なんで?楽しくないの?」って聞き返したら、「100円入れてもいいけど無駄になるだけだから」と言われました。

 当時の僕は父とやった『ファミスタ』同様、また勘違いをしていて、相手から100円を巻き上げることをゲームだと考えていたところがありました。その100円で相手を楽しませようという気持ちはなかったし、「勝てばいい」だけで自分たちが楽しもうという気持ちも多分ありませんでした。

 思い返せばハメ技をやったり、確かに相手につまらない思いをさせていました。当時はまだ文化が未成熟だったから、ハメ技を見つけること自体が一つの功績のように思われていたところもありました。でも、システム的に100%反撃が不可能なら、それはプレーヤーとしての強さでもなんでもない。

※ハメ技:システム上の不備をついて相手が完全に反撃不能な状態に追い込んで勝ちをもぎ取ること


 子供だったからと言えばそれまでですが、相手に対する配慮が全くできていませんでした。この出来事をきっかけに「ではどうすれば一緒にいる人が楽しんでくれるのか?」「どうすれば自分の強さを認めさせられるのか?」ということを考えるようになりました。

――ある意味、“本当の強さ”を求めるようになったんですね。

歌広場: はい。そのためには自分がやりたいことだけをやっていてはダメだし、どんな最強のプレーヤーも台の向こうに相手が座って対戦してくれないとそれを証明できないということです。実社会にもこれに似たことは結構あると思いますが、僕は割と幼いうちにそれをゲームから学びました。

 学ぶことが抜群に多かったから自然と格闘ゲームにハマっていったし、それ以外のゲームを遊ぶ必要が僕にはなかったですね。「行ってはいけない」と言われていたゲームセンターで、格闘ゲームを通じて僕はかなり多くのことを学ばせてもらいました。

◇  ◇  ◇

 ゲームは「誰かと共に楽しむもの」と語り、これを通じてさまざまな人付き合いの教訓を得たという歌広場淳さん。次回、話題は「コミュニケーションツールとしてのゲーム」という、さらにディープな方向へと進んでいく。9月17日掲載の第2回もお見逃しなく。

(文/稲垣宗彦、写真/酒井康治)

【ゴールデンボンバー・歌広場淳さんインタビュー記事】

・「人生の大事なことはゲームセンターで学んだ」(1):この記事
・「格闘ゲームは相手を深く知れるから楽しい」(2):9月17日公開
・「eスポーツは過渡期だから面白い」(3):9月18日公開


東京ゲームショウ期間中の歌広場さんの連載はこちら
日経トレンディネットの特報サイトでは、9月21日から歌広場淳さんの東京ゲームショウ2018レポートを集中連載として掲載します。特報サイトと併せてお楽しみに!
【TGS2018】金爆・歌広場淳の「ゲームは人生の教科書だ」
「東京ゲームショウ2018」特報サイト


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