AIは「歴史が塗り替わるチャンス」でもある
栗俣: さきほどのマジックをするタクシー運転手は、まさにすき間ですよね。
山田: 最初はすき間かもしれないけど、みんなそうじゃないですか、世の中って。だって、パソコンだって最初はすき間だったわけですよ。誰もそんなものが本当に必要になると思ってなかったわけですから。「家にこんなコンピューターがあったって何に使うんだ」と。でも、そこのすき間にきっと何かあると思って一生懸命開発していったから普及していったわけです。 だから、チャンスなんですよ、AIの登場って。歴史が塗り変わるチャンスですから。職がなくなる、つらい、みたいな考え方もありますが、むしろ世の中が引っかき回されるチャンスだから新しいことをしたいと考えている人にとっては、いい時代だと思います。漫画だって、今はアシスタントさんを使っているけれども、もしかしたら絵を描けなくてもそれなりのものをつくれるようになるかもしれない。アニメだって、原画をある程度用意すれば中継ぎは全部勝手にやってくれるみたいな時代になるかも(笑)。 中継ぎしかできない人にとっては、無職になるかもしれないという話ですが、「才能はあるけれどもつくれない」「アニメーションの世界に属してないから無理」だという人にとっては、チャンスなんですよ。自分で創意工夫してやっていこうという気持ちを持っていれば、きっとチャレンジするだけの甲斐があることがどんどん出てくると思います。だから、それを探すためにAIの情報をいろいろ収集していくといいと思います。「自分の仕事と絡めるなら、どういうことが考えられるか」みたいな。
どんなAIが必要か議論する時期が来ている
栗俣: 『AIの遺電子』を読んでいると、ヒューマノイドやAIに対して脅威のようなものはまったく感じないんですよ。むしろこういう未来がやってくるというのが楽しみになるような作品だと思います。
山田: 未来のシナリオは1つではないですよね。フィクションの役割として、さまざまな可能性を見せることで人が何を選択したいのかということを考える手助けになると考えています。 映画『ターミネーター』にもターミネーターの役割というのがあって、ああいう世界になる可能性はないとは言い切れないと思います。そういう世界にしたくないのならどういうAIをつくっていけばいいのか、そもそもつくったほうがいいのかつくらないほうがいいのか、さまざまな議論をしないといけない時期にきているとは思います。 こういう話を描いているけれど、意外と悲観的というか、危機意識を持っていないといけないとは思っているんですよ。だから、本当にこういうふうにどんどん進んで行ってもいいかというと、そうではなくて、その都度よく考えてステップを踏んでいかないといけないのではないかと思うことはあります。 現時点で格差がどうこうという話がありますよね。AIが出てきたら、もうそれどころではなくなるわけです。普通の資本主義にAIが出てきたら。 でも、進化は止められないし、競争の中でどんどん進んでいってしまう。「AI止めた」とか「もう俺は車に乗らない」とか「縄文時代に帰る」とか、無理ですよね。だから、いいことばかりではないけれど、なるべく良い未来にしていこうというヒントのようなものを感じてもらえたらと思って描いています。
栗俣: 今の僕たち次第というわけですね。
山田: でも、インターネットも結局そうだったじゃないですか。いろいろな犯罪にも使われたりもしますが、インターネットで幸せになっている人もいる。オフ会で知り合った人と結婚しましたとか。励まされたり、今までできないことができるようになったりとか、ポジティブな面もたくさんあるわけです。AIも同じように両面があると思います。そのバランスをどうやって人間がコントロールしていくのかが重要です。
(構成/樋口可奈子、写真/稲垣純也)