ポイント(1)モザイクタイルに象徴される職人の手仕事
今は中国から低価格な石を大量に仕入れているし、技術の発達で高価な石を極薄にカットして表面にだけ貼りつけることもできる。だが1960年~1970年代には石は高価で、職人の工賃は今よりもはるかに安かった。そのため、モザイクタイルで壁を飾ったり、石材を細かく砕いてモルタルに混ぜた「テラゾー」という人造石で境い目の模様を形作ったりするなど、職人の手仕事を多用した装飾が多く用いられた。
「有楽町ビルなど、民芸調のタイル模様とモダンなデザインの融合がすばらしい。丸の内にある国際ビルのエレベーターホールや新東京ビルの床のモザイクタイルなど、今見てもほれぼれするほど美しいですよね」(鈴木氏)
ポイント(2)階段の美しさに注目
目黒区総合庁舎のエントランスホール付近の流れるようなフォルムのらせん階段は、「階段の魔術師」と呼ばれた村野藤吾の作品として名高い。日本橋高島屋の増築部分の階段も、村野藤吾氏のデザイン。1950年にタイから贈られ、クレーンで屋上に上げられた子象の高子ちゃんが4年後、成長したために上野動物園に移された際、一歩ずつ歩いて下りた階段でもある。
パレスサイドビル(竹橋、1966年竣工)の地下と1階を結ぶ「夢の階段」、ニュー新橋ビル(1971年竣工)烏森口側1階から3階の階段など、味わい深い美しさの階段が多く掲載されている。ふだん、何気なく通り過ぎている階段も多いが、足を止めて味わってみては。
ポイント(3)遊園地のような娯楽性
ビルに遊園地的な楽しみを作っていた。その代表が、銀座にあるソニービル。「花びら構造」と呼ばれた「スキップフロア」や、上り下りすることで音階を奏でる「ドレミ階段(現・メロディステップ)が子供にも大人にも受けた。「私も子供のころ、オーディオ好きの父親に連れていかれ、用もないのに階段を行き来した思い出があります。スキップフロアも、4つのフロアを一周すると一階分上がるという仕組みにワクワクしました。当時は特別な用事がなくても、そのビルに行くこと自体に楽しさがありました」(鈴木氏)。当時、建設されたビルにはシースルーエレベーターなども採用され始め、それも楽しかったという。また回転スカイラウンジも流行し、ニューオータニ(紀尾井町)、東京交通会館のほか、郊外にもいくつかできている。