トヨタ自動車が米国に設立した、人工知能(AI)の研究所「TOYOTA RESEARCH INSTITUTE」。ここでは、AIを使った自動車の安全性向上や自動運転だけでなく、介護やロボットなど、人々の暮らしにAIを生かす方法を研究している。トヨタ自動車がなぜAIに注目したのか、近い将来どのような製品・サービスが登場するのか。同研究所設立に携わった岡島氏に聞いた。

岡島博司(おかじま・ひろし)氏<br>トヨタ自動車 先進技術統括部 主査 担当部長<br>(前TOYOTA RESEARCH INSTITUTE Chief Liaison Officer (チーフ・リアゾン・オフィサー)
岡島博司(おかじま・ひろし)氏
トヨタ自動車 先進技術統括部 主査 担当部長
(前TOYOTA RESEARCH INSTITUTE Chief Liaison Officer (チーフ・リアゾン・オフィサー)
1965年生まれ。1991年、名古屋工業大学大学院工学系研究科物質工学専攻博士前期課程修了、トヨタ自動車入社。材料技術部でHVモータ用磁性材料の開発、技術統括部で先端研究の戦略・マネジメントなどを担当し、現在に至る。専門は環境・エネルギー材料、磁石、蓄電池。希少資源代替プロジェクトDy低減磁石,革新型蓄電池先端科学基礎研究事業などの政策提言、国家プロジェクト立案に関わる。近年は「次世代エネルギー・社会システム実証」の企画、豊田市低炭素社会システム実証の全体取りまとめを行う。近年はAI研究戦略を策定,本年1月TOYOTA RESEARCH INSTITUTEを設立した
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運転を「自動化」するだけではない

――トヨタ自動車(以下、トヨタ)が、クルマの自動運転の研究を始めたのはいつからでしょう。

岡島博司氏(以下、岡島): 2008年から研究を始めています。それ以前、1990年代からも前走車との車間距離や速度を一定に保つ「レーダークルーズコントロール」、レーンをはみ出したときに警告する「レーンキーピングアシスト」、緊急時に自動でブレーキがかかる「ブレーキアシスト」といった、ドライバーを支援する機能は開発していました。

――これらの機能開発が、自動運転研究につながったということでしょうか。

岡島: 開発の発想や手法には、多くの共通点があります。基本的には「速度を一定に保ちたい」というように必要な機能を決めて、その実現を目指して技術開発を「積み上げる」ことになります。自動運転技術も、「さまざまな走行シーンに対して、ドライバーの関わる度合いを下げたい」という目標を目指して、様々な開発を積み上げてきました。

――トヨタが提唱する自動運転は、「ドライバー不要」という発想ではありませんね

岡島: 運転する楽しみや喜びは保ちつつ、自動運転技術でドライバーだけでなく、社会にどのような貢献ができるか、これが、トヨタが目指す自動運転です。「運転を自動にする」という機能を追い求めるのではなく、近年の大きなうねりである人工知能(AI)やビッグデータ、インターネットがすべてのモノやコトにつながり新しいサービスを提供するというInternet of Things(IoT)、こういった技術革新をトヨタのクルマ作りをつなげたら、どのようなことが実現できるのか。そのひとつの姿が自動運転の開発だと考えています。

トヨタ自動車は、「Mobility Teammate Concept」に基づいて新型の自動運転実験車「Highway Teammate」を開発。自動車専用道路において入口ランプウェイから出口ランプウェイまでを自動走行する

シリコンバレーの逸材を確保し、開発を加速

――自動運転の開発を加速するため、米国に開発会社を設立しました。

岡島: 自動運転技術だけではなく、人工知能とその応用技術を研究する企業として今年1月、米国にToyota Research Institute(TRI)を設立しました。最高経営責任者(CEO)には、米国の国防高等研究計画局(DARPA、Defense Advanced Research Projects Agency)でロボティクス・チャレンジのプログラム・マネジャーを務めたギル・プラット博士が就任。私はチーフ・リエゾン・オフィサーとして、設立準備から関わってきました。

 自動車業界を取り巻く環境は、急速に変わってきています。自動車に直接関係していない企業や様々な分野の専門家が、「クルマの在り方」について興味を持ち、新しい製品やサービスを実現しようとしています。たとえばGoogleがクルマの自動運転について研究している、ということはよく知られています。想像で言えば、Appleがクルマに大きな影響を与える技術や製品を研究しているかもしれません。

 クルマのことは自動車メーカーに任せておけ、という世の中ではなくなっている、という認識があります。クルマ単体だけでなく、クルマに関わるビジネスモデルも同じ。これまでは「良いクルマを販売する」「所有してもらう」というのが主流でした。しかし今は違っています。クルマを共同で利用しようというカーシェアリングの考え方は広まっていますし、それ自体を事業化している企業も出てきています。Uberのように、手軽にタクシーを呼んだり、ライドシェアができる仕組みを作れば、いわゆる「自家用車」は必要ない、と考える人も増えてくるでしょう。

 こういった環境の変化に自動車メーカーがどう対応するのか。その選択肢として自動運転技術があるのです。

――なぜ、米国で開発強化するのでしょうか。

岡島: トヨタ社内だけで開発するより、ITやAIの先端研究が盛んな地域に出向き、大学や企業と協業して進めたほうが良い結果を得られると考えたからです。

 自動車メーカーとしての開発、生産力はもちろん世界トップの自信があります。しかし、AIの研究、その研究結果を自動車に応用する技術開発はどうか。私が説明用に作ったプレゼンテーションがあるので、それを見ていただくとよくわかります。AIやIT分野には、トヨタよりはるか先を走る巨大企業がいます。こういったライバルと競争し、自分たちが目指す分野で勝つには、その分野のトップクラスの人材が必要になります。その人材が得やすいのが米国、シリコンバレーやマサチューセッツだったということです。

岡島氏作成の資料「イノベーション実現に向けた、AI・ロボティクス研究の新しい取り組み」より。ITのトップ人材を集めて、開発を促進しようという、TRIの狙いがわかる
岡島氏作成の資料「イノベーション実現に向けた、AI・ロボティクス研究の新しい取り組み」より。ITのトップ人材を集めて、開発を促進しようという、TRIの狙いがわかる
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――具体的には、どのような活動を。

岡島: 2008年に自動運転の開発を始め、本格化するため2010年には米国に開発拠点も作りました。しかし、それだけでは足りなかった。同じころにIT企業もAIを使った自動運転の開発を始め、短期間で大きな成果を挙げるようになっていました。

 自動車メーカーのモノづくりは、「ピラミッド型」の産業です。メーカーが仕様を決めて、それに合わせた部品、その部品のための部品などを、多くの企業に製造してもらいます。このピラミッドのなかに「AI」という分野はありません。どこか、これまでとは違ったところから調達しなくてはならないのです。

 従来の積み上げ型開発、改善とは違った発想が必要。そこで、何でもピラミッドのなかで解決するのではなく、これまでつながりのなかった企業、大学などと協業しよう、「脱自前主義」「オープンイノベーション」を掲げたのです。

 その具現化が、TRI設立です。人工知能、ロボット開発に多大な貢献をしてきたプラット博士をトップに、その知識や経験、人脈をフルに生かして、AI活用を研究しようというものです。TRIでは、設立から5年間で約10億ドルの予算を用意し、4つの目標を目指してAIの研究に取り組んでいます。その1つが、「事故を起こさないクルマ」を作るという究極の目標です。

自動運転ではなく、「事故ゼロ」を目指す

――クルマの安全性向上に、自動運転技術を活用するということでしょうか。

岡島: まず、TRIの4つの目標を紹介しましょう。トヨタは、自動運転のためだけにTRIを設立したのではありません。事故を起こさないクルマのほかに、「これまでより幅広い層の人々に運転の機会を提供する」「モビリティ技術を活用した屋内用ロボット開発」「AIや機械学習の知見を利用し、科学的・原理的な研究を加速」といった目標があります。

 これらの目標を、いまTRIが考えている「言葉」で説明すると、こうなります。交通事故ゼロを目指したい、これはトヨタが考えるクルマ作りの基本です。これを実現するために、いろいろな安全性を高める機能や装備を作り、「ドライバーをサポートするクルマ」を目指します。そこで自動運転という発想も出てくるのですが、ドライバーから運転する機会を奪うものにはしたくないのです。運転する喜びもあり、そして安全性も高められる自動運転、これをトヨタ、TRIは目指しているのです。

 クルマには、移動手段という単純明快な用途があり、その一方で、性能やデザイン、装備に幅があり趣味性が高いという一面もあります。この両方を満たすため、自動車メーカーとして日々開発していますが、そこに自動運転技術を加えることで、運転が楽しくできるのかどうか。ここがTRIの大きな研究課題となります。

 ドライバーに運転の楽しさを提供するのはもちろんですが、運転が苦手な人でも、自動運転機能がアシストすることで、自然と運転が上手になり、ドライブすることが喜びに変わるようにしたい。事故防止も、ABSやスピン防止といった既存機能に、AIによる先読み、自動運転による事故回避といった機能があれば、これまでより安心して、安全なドライブを楽しめます。

 日本をはじめとする先進各国はこれから、高齢化が進みます。高齢者は視力や認知判断力が衰え、運転免許を返上する、クルマを運転しなくなる、ということになります。その結果、なにが起きるでしょう。高齢者はそれまで以上に家から外へ出なくなり、体力は衰えます。高齢者でも運転できるクルマ、そのための自動運転があれば、外出する機会も増えることになります。この「安全性」と「アクセシビリティ」を高めることが、TRIが目下目指している自動運転の在り方の一つです。

TRI設立時のメンバー。後列中央に、ギル・プラット博士。その左側にいるのが岡島氏
TRI設立時のメンバー。後列中央に、ギル・プラット博士。その左側にいるのが岡島氏
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安全性を高める開発は容易ではない

――安全性の向上は必須ですが、取り組み甲斐のある課題です。

岡島: 自動運転実用化は、「多くの困難」を可能にする開発です。トヨタは毎年、約1000万台のクルマを販売しています。10年間で1億台です。この1台1台が年間1万キロ走るとすると、合計で年間1兆キロ走ることになります。一番の困難はこの1兆キロの信頼性を、どのようにして確保すればよいのか。人工知能はそこにどのように貢献できるのか。

 クルマは世界各国で走っています。必ずしも日本のように整備された道路ばかりではありません。道路のセンターラインや区分線を認識する機能を自動運転が使ったとしましょう。センターラインがない、または消えてしまった道路ではどうすればよいか。AIが囲碁のプロ棋士に勝つように、自動運転もありとあらゆる可能性を検討し、瞬時に判断できるようにしなくてはなりません。その判断とは何か、どのような行動を起こすようにプログラムし、それに対応するクルマを作ればいいのか。課題はたくさんあります。

 今後、ますますインターネットは普及し、クルマも常時インターネットに接続している時代が来るでしょう。その時に得られる情報をAIが学習し、安全性を高める機能と組み合わせることができれば、自動運転技術も使った新しいクルマとの生活が得られます。それはどのような社会になるのか、トレンドエキスポの講演でお話しできればと思っています。

(構成・文/持田智也、画像提供はすべてトヨタ自動車)

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