ある人物に肉迫したドキュメンタリー番組を見たときに、テレビ業界の人間が言う台詞として次のような慣用句がある。
「被写体との関係性ができていたね」
これは、別な言い方をすると「取材相手と仲良くなっていた、信頼関係が築けていた」ということだ。相手から信用されなければ、深い取材はできない。プライベートな部分や内に秘めた想いをカメラにおさめることもできない。だから、当然といえば当然だが、被写体と関係性を築くことの重要性が度々言及される。
しかし、私はこの「関係性を築く」という慣用句に少なからず違和感をおぼえてきた。それは、この言葉にどこか“計算高さ”や“嫌らしさ”を感じてしまうからだ。「取材や撮影をさせてもらうために関係性を築こうと近寄ってくる人間に、果たして本当に心を開くだろうか」などとうがった見方をしたりもする。
私はむしろ、取材相手との“関係性の変化”、あるいは“関係性そのもの”を見せることが、人物ドキュメンタリーの醍醐味ではないかと捉えている。実際、取材対象との間に一定の“緊張関係”があるからこそ撮影できるシーンもあるからだ。
何度かこのコラムでも取り上げた番組『ブレイブ 勇敢なる者』「えん罪弁護士」では、撮影序盤に被写体である今村核弁護士が、カメラを向けられるのを露骨に嫌がる場面が登場する。エレベーター内で「参っちゃうんだよね。ずっと撮影されているとさ」と鬼の形相でにらみ、その後、私が質問を投げかけても無視するシーンだ(実際には、撮影を始めて延べ2時間程度しか経っていなかったのだが……)。
もちろん事前に彼とは何度も会い、撮影を了承していただいた上で臨んだが、今、振り返れば「関係性ができている」という状態ではなかったのだろう。しかし、不機嫌さを隠さない彼の姿は、同僚の弁護士が「偏屈者で、いつも怒っているか、ムッとしてる」と証言する人物像そのものだった。
このとき、スタッフの間には動揺が広がった。長年、さまざまな番組で苦楽を共にしてきたカメラマンと音声マンは、「こんな調子でこの先の撮影が上手くいくのか……」と不安を吐露していた。
一方、ディレクターである私の受け止め方は違った。「無罪14件」という類いまれな実績を誇る今村弁護士の実像にますます興味を抱いていた。一般的に誰でもカメラを向けられれば“よそ行きの自分”になる。普段と違う自分を取り繕うこともできるのだ。しかし、彼はあまりに無防備にいつもの自分をさらけ出していた。「カメラの前でも嘘がつけない、不器用なほど正直な人」という印象を抱いた。
その後、ロケ期間が中盤に差し掛かるころ、自宅マンションのエレベーター内で彼は防犯カメラの映像を指さし、「自分の頭の白髪を見て、がく然とするんですよ」と言った。すかさず「撮影のストレス?」と尋ねると、「いやぁ、そこまでは……」と苦笑した。撮影序盤に見せた表情とはまるで違う、茶目っ気ある人柄が伝わってくるシーンだ。
やり取りから分かるように、1週間ほど経ったこのときには互いに冗談を言えるほどの仲になっていた。一方で、関係が深まってから彼の表情はつねに柔和で、偏屈者のような態度は示さなくなった。このころには、私との関係性はすっかり変わっていた。
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