「面白い」とは“差異”と“共感”の両輪である(画像)
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『哲子の部屋』『ブレイブ 勇敢なる者「Mr.トルネード」「えん罪弁護士」』など、独自の切り口のテレビ番組を企画・制作するNHKエデュケーショナルの佐々木健一氏が展開するコンテンツ論の第3回。そもそも、“面白い”って何?

 「あの番組は、面白かった!」

 そう言ってもらいたい。だから、テレビマンは面白い番組を作ろうと日夜励んでいる。ただ、私は、テレビ業界に入って以来、ずっとある言葉に引っかかっていた。

 「そもそも、“面白い”って何?」

 面白いという言葉は、実にあいまいな言葉だ。番組の感想を求められて、言葉に窮しても、「ああ、面白かったよ」と言っておけば、まず問題ない。相手もその言葉を聞いて安堵する。打ち合わせや会議でも、誰もが口々に「面白いものにしよう」「もっと面白く!」などと発言する。

 でも、“面白い”って一体、何なのか――。教えてくれる先輩もいなければ、話題にする仕事仲間もいなかった。話題にしたところで、「やっぱり、面白いって人それぞれだよね」という分かりきった結論を言われるのが目に見えていた。

 だが、世の中には主観的に見て「面白いもの」と「面白くないもの」が確かに存在している。それなのに、「面白さとは何か」をあいまいにしたまま、面白さを闇雲に追い求めるのはいかがなものか、と疑問に感じていた。そこで私は、自分なりに「面白いって何?」問題について考えを巡らせ、ある一つの結論に至った。

 「『面白い』とは“差異”と“共感”の両輪である」

 “共感”はピンと来るだろう。巷でもよく「共感が大事」などと盛んに喧伝されている。

 では、“差異”とは何か?

 「最近、面白かったことは?」と問われたら、何と答えるだろう。すぐに思いつく人もいれば、しばらく考えて「面白いことなんて何もない」と言う人もいるかもしれない。では「最近、腹が立ったことは?」。これなら一つや二つ、思い浮かぶだろう。面白いというと語弊があるかもしれないが、誰でも日常生活の中で、何らかの感情を動かされる瞬間があるはずだ。

 では、“喜怒哀楽”といった感情は、どんなときに感じているのだろう? 例えばこんなときでは?

 喜:「勝てないと思っていたのに、まさか勝っちゃった!」
 怒:「信じていたのに、だまされた!」
 哀:「相思相愛だと思っていたのに、浮気された!」

 喜び、怒り、哀しみ、感情はさまざまでも“ある共通点”が存在する。そこには、驚きやギャップ、意外性、落差といった“差異”が存在しているのだ。

 例えば、2015年ラグビーW杯で日本代表が優勝候補の南アフリカ代表に勝利し、「世紀の大番狂わせ」と世界中が衝撃を受けた。それはまさに、「ラグビー弱小国・日本が、強豪・南アフリカに勝てるわけがない」という前提に対するギャップがもたらした感情だ。

 私は深夜の生放送で試合を見て大興奮したが、翌朝の日本の報道があまりに小さくてガッカリしたのを覚えている。日本が南アに勝つという意味、すなわち差異を、当初、日本の多くのメディアは感じていなかった。注目度の低いラグビーW杯初戦の一勝という扱いに過ぎなかった。海外での大反響が聞こえてきて、どれほどすごいことかという差異を日本のメディアも感じて一気に報道が過熱した。人々の関心を呼ぶ話題とは、何らかの差異を含むものがほとんどなのだ。

 恋人に裏切られて大きな怒りや哀しみを感じるのも、“裏切られるとは思っていない”から差異が生じ、心が大きく揺さぶられるからだ。逆に、もともと破局を予感していたら、ガッカリはするが、上記の感情ほど大きなショックは受けないだろう。

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