長きにわたり、銀座・数寄屋橋交差点の象徴だったソニービルが現在改装中だ。これまでの進捗状況について、「銀座ソニーパークプロジェクト」を推進するソニー企業の永野大輔社長に、現在の進捗状況や50年間も銀座一等地にあったビルならではのエピソードを聞いた。

 東京・銀座の数寄屋橋交差点にあったソニービルが、2017年3月31日に閉館してから、ちょうど1年が経過した。現在は工事中で、2018年7月を目標に地上部分および地下部分を「銀座ソニーパーク」という公園としてオープンする。2020年秋には、これらを再び閉鎖し、新たなビルを竣工する予定である。

公開されているソニーパークの模型
公開されているソニーパークの模型
[画像のクリックで拡大表示]
現在のソニービル跡地の様子
現在のソニービル跡地の様子
[画像のクリックで拡大表示]
大型のショベルカーが平地にならしていた
大型のショベルカーが平地にならしていた
[画像のクリックで拡大表示]
ソニー通り側から見た様子
ソニー通り側から見た様子
[画像のクリックで拡大表示]
夜はエルメスビルが灯籠のように光って見える
夜はエルメスビルが灯籠のように光って見える
[画像のクリックで拡大表示]

最終日には平井一夫社長とスカパラが共演

 そもそも、ソニービルは、1966年4月29日にオープンしたショールームビルだった。ソニー創業者の盛田昭夫氏が「こんな地価が高いところでは、どんな商品を売っても採算が合わない」と判断。ソニーだけでなく、自動車メーカーや楽器メーカー、化粧品メーカーなど、異業種企業の製品を展示する総合ショールームとしてスタートさせたのが始まりだ。

建設中のソニービルの様子。1965年の写真だ
建設中のソニービルの様子。1965年の写真だ
[画像のクリックで拡大表示]
オープン直後はクルマなども展示されていた
オープン直後はクルマなども展示されていた
[画像のクリックで拡大表示]

 その後、マキシム・ド・パリやサバティーニ・ディ・フィレンツェなどの高級レストランが同ビルに入居したことで話題を呼び、最先端トレンドを生み出す情報発信基地としてのポジションを確立。だが、50年間の歳月とともに建物は老朽化し、2010年代には最新ビルが立ち並ぶ銀座の中でも古い建物に位置づけられるようになっていた。

 そこでソニーは、約5年前にソニービルの建て替え計画に取り掛かった。2016年8月28日には、ソニーショールームおよびソニーストア銀座の営業をひと足早く終了し、同年9月24日には、銀座4丁目交差点のGINZA PLACEにソニーショールーム/ソニーストア銀座を再オープンした。

2016年3月下旬ごろのソニービル
2016年3月下旬ごろのソニービル
[画像のクリックで拡大表示]
壁面には「ソニーが銀座に空き地をつくる?」のメッセージで、銀座ソニーパークプロジェクトを発信
壁面には「ソニーが銀座に空き地をつくる?」のメッセージで、銀座ソニーパークプロジェクトを発信
[画像のクリックで拡大表示]

 2017年3月31日には、ソニービルの営業をすべて終了。ソニーの平井一夫社長(当時)が、1カ月前から始めたというサックスを手に東京スカパラダイスオーケストラと演奏し、最後の日を盛り上げた。ソニーや入居テナントがビルから退去すると、2017年5月からは、地上部分の解体作業を始める。8階部分から10カ月かけて徐々に解体し、2018年2月中旬には、地上8フロア分の解体作業が完了。この間は、平井社長も何度か解体作業の現場を訪れていたという。

2017年3月31日のソニービル最終日の様子。別れを惜しむように雨の1日だった
2017年3月31日のソニービル最終日の様子。別れを惜しむように雨の1日だった
[画像のクリックで拡大表示]
ソニーの平井一夫社長(中央)と東京スカパラダイスオーケストラが共演して最終日を飾った
ソニーの平井一夫社長(中央)と東京スカパラダイスオーケストラが共演して最終日を飾った
[画像のクリックで拡大表示]
ソニーショールームとソニーストア銀座は銀座4丁目交差点のGINZA PLACEで営業している
ソニーショールームとソニーストア銀座は銀座4丁目交差点のGINZA PLACEで営業している
[画像のクリックで拡大表示]

解体前の花びら構造は維持

 解体前のソニービルは、「花びら構造」と呼ばれる階段状にフロアを組み合わせたユニークなフロア構成となっていたが、1階から2階までの基本構造は、銀座ソニーパークでもそのまま使用する。このため、それらを残しつつ解体し、更地の状態にする「減築」と呼ばれる方法がとられている。一方、地下1階から地下4階も、従来の構造を残しながら、ソニーパークとして利用する。こちらは改装となる。

ソニービルに直結していた地下鉄入口も閉鎖中
ソニービルに直結していた地下鉄入口も閉鎖中
[画像のクリックで拡大表示]
地下部分の改装工事の様子
地下部分の改装工事の様子
[画像のクリックで拡大表示]

 地上部分の解体と、地下部分の改装を並行して行うため、ソニービルの工事ではいくつかのユニークな作業をすることになった。

95トンの重しで浮きを抑える

 一つは、従来は機械室などとして使われていた地下5階部分に、約95トンもの銑鉄(せんてつ)や土砂を入れたことだ。

 先にも触れたように、銀座ソニーパークでは、地下部分は改装して残しながら、地上部分を解体する。その結果、上物部分の重量が一気に軽くなるという。ソニー企業の永野大輔社長によると、「東京の都心部は地下水が豊富で、地下水の水位も流動的だ。近くでビル建設が始まると、それによって地下水の水位も変わることになる。実は、ソニービルの上物部分が無くなったことで、浮力が生まれ、地下部分が浮いてくることが想定された。季節ごとの地下水量の変化、近隣の建物建設などを考慮した構造計算を行い、必要な重量の“重し”を一番低い場所に入れた」という。

地下部分に入れた銑鉄の様子。95トンもの重さになる
地下部分に入れた銑鉄の様子。95トンもの重さになる
[画像のクリックで拡大表示]

 地下4階までは店舗や駐車場があったため、かつては出入りができたが、地下5階は、もともと機械室として、一般には公開されていない場所だった。ここに、金の延べ棒のような形状の銑鉄を積み重ね、土砂を流し込んで重しとして利用。浮力を抑えているという。これは、2020年秋以降、新たなビルを建設する際には撤去することになる。

 もう一つは、改装している地下部分で、約50年前の壁が、偶然発見されたことに伴う。テナントが変わる度に、新たに壁を重ねたり、塗装をし直したりが繰り返されてきたが、今回の改装工事によって、オープン時の青いタイルの壁が、解体した壁の裏側から出てきたという。

 「工事の際にも慎重に作業し、従来の壁を壊さないようにした。この壁は、2018年7月の銀座ソニーパークのオープンにあわせて、多くの人に見ていただくことができるだろう」(永野社長)という。 銀座ソニーパークでは、オープンにあわせて、「解体をデザインする」というコンセプトで、ソニービルの面影を残すような取り組みを進めている。それを具現化するのが、この壁ということになる。

地下1階で偶然発見されたオープン当時のタイル
地下1階で偶然発見されたオープン当時のタイル
[画像のクリックで拡大表示]

あえて公園にしたのが「ソニーらしいところ」

 ただし、2020年の銀座ソニーパーク閉鎖後は、地下部分も完全に作り直されることから、50年前の壁を、現物として見られるのは、ソニーパーク閉鎖までの期間だ。

 実は、ソニービルの解体作業は、建設業界にとっても、ユニークな取り組みの一つだ。

 従来、古い建物に対する選択肢は、「残す」か「壊すか」のいずれかだった。昨今では、これに「リノベーション」という仕組みで「工夫して残す」という選択肢が増えた。だが、ソニービルはこれのいずれとも違う。建屋は壊しながらも、銀座ソニーパークという公園の形にして残す、つまり、「工夫して壊す」という新たな選択肢を実現するものになったからだ。

ソニー企業の永野大輔社長
ソニー企業の永野大輔社長
[画像のクリックで拡大表示]

 ソニー企業の永野社長は、「一度、公園にするという発想はこれまでの建設業界ではあまり見られなかったもの。公園を作ることで、街に緑が増えたり、街に新たなリズムが生まれたりする。人の流れも変わる。建て替えというスキームの中で、こうした新たな提案ができるきっかけになればと考えている」という。

 一時的に更地にする場合、コインパーキングとして利用したり、誰も入れないように囲ったりするケースはよくあるが、公園という開かれた場所にすることを選んだのも、ユニークな点だ。

 「2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、都心部は建設ラッシュ。そんな中、ビルを建てるのではなく、まずは壊して、オリンピック・パラリンピックが終わるまでビルを建てないという選択肢を選んだ。人のやらないことをやる、ソニーらしいところ」と永野社長は笑う。

 期間限定とはいえ、銀座の一等地を公園にすることで、ソニーパークは銀座の街を訪れた人たちが集ったり、憩いの場として利用したりだろう。外国人観光客の増加も期待されるなか、銀座の人の流れにもアクセントをつけることになりそうだ。

関連リンク