不動産業界にデジタル化の波が押し寄せている。波にあらがうより、いかに波に乗るかを考えたい。デジタルを取り入れた不動産会社にも、既存の不動産知識を生かした新たなチャンスが待っている。不動産DXによって業界の仕事がどのように変わるのかをまとめた『不動産DX 未来の仕事図鑑』(日経BP)の著者であるGA technologiesの樋口龍氏が、不動産DXの最新動向を解説する連載。今回は業界の雄である三菱地所の不動産DX戦略について、同社の春日慶一氏と渋谷一太郎氏に話を聞いた(聞き手は樋口龍氏)。
――三菱地所が展開されている事業と、DXの取り組みを教えてください。
春日慶一氏(以下、春日) 当社(三菱地所)は、法人向けのビルや物流、商業施設、個人向けの住宅など、不動産全般の企画・運営管理を手掛ける会社です。2018年にDX(デジタルトランスフォーメーション)推進部の前身である経営企画部DX推進室を立ち上げ、デジタル技術の活用に取り組んできました。現在は、2021年に策定した「三菱地所デジタルビジョン」に向かって、既存事業をトランスフォームするとともに、新規事業の開発、新しい時代のインフラ整備などを進めています。

当社のDX事業で特徴的なのは、事業の大半がBtoBの会社でありながら、共通認証ID「Machi Pass」のように個人をターゲットにしたプロジェクトに挑んでいることです。このIDはオフィスワーカー向けのサービスや店舗でのポイントサービスなど、街のさまざまなサービスと連携していて、利用によって街での生活がより便利になる仕組みです。
たとえ直接的なお客様が店舗やオフィスといった法人であっても、そこで働く個人や来店する個人にまでサービスを届け、一人ひとりのQOL(Quality Of Life、生活の質)向上につなげたいという思いがあります。そのために、オフラインだけでなくオンラインも活用して、より安心安全・快適な街づくりを進めていきたいと思っています。
渋谷一太郎氏(以下、渋谷) DXの取り組みの一つに、配膳ロボットがあります。新型コロナウイルス感染症の流行下で、人と人との接触を避けるために導入されました。社員のスマートフォンにインストールされたアプリで好きなドリンクを選んでオーダーすると、カフェテリアからロボットが自動で運んできてくれます。もうすぐエレベーターにも乗れるようになるんですよ。

当初は「どうしてロボットに道を譲ってあげなくてはいけないの?」という声もありましたが、今はみんな当然のようにロボットを歓迎してくれるようになりました。カフェテリアの店員さんも、移動負担が削減できてありがたい、ずっとロボットにいてほしいとおっしゃっています。
他に警備ロボットや配送ロボットの導入にも取り組んでいます。配送ロボットについては、道路交通法の改正で2023年にはロボットが公道を走行可能になる予定のため、一気に実装に向けた動きが進んできました。最近では、オフィスからコンビニの商品を注文すると自分のフロアまで届けてくれるロボットもいます。今後は配送業者さんの労務問題など社会の課題を解決しつつ、オフィスワーカーにとっての利便性も上げられる、そんな未来が見えてきました。
このように、新しいテクノロジーをベースにどんなことができるか、どんな社会課題が解決できるかを、他社さんや行政の方とも協働しながら考えているところです。
「このままではいけない」現場の課題感から始まったDX
――DX推進部の前身であるDX推進室は、どのような経緯で立ち上がったのですか?
春日 経営企画部内で「中長期的成長のためにDX推進体制が必要」という経営課題認識の下、組織化の検討が進められました。その頃ちょうど渋谷さんと事業部若手の勉強会を始めていたこともあったと思いますが、私たちは兼務者として声を掛けてもらったのです。
勉強会は、各事業部の現場の課題共有から始まりました。当時、私は商業、物流、ホテルの事業企画の部署にいたのですが、社会のデジタル化がいよいよ進んできた2015年あたりから、既存業務に対する焦りを抱き始めていたんです。とにかく「このままではいけない」という思いがありました。当社は大企業に分類されると思いますが、国内外のスタートアップが多額の資金調達に成功しているニュースを見聞きすると、「個別事業の局地戦で勝ち続けることはできるのだろうか」と感じることもありました。
渋谷 ちょうど私も「どうすればいいんだろう」という気持ちを抱えていた時期でしたね。当時の私のメイン業務は、建物運営管理の効率化でした。関西でもビルの運営管理を担当していましたが、ビル管理は、清掃や警備など、人の力に頼る部分がとりわけ多い領域です。そういったアナログな管理の様子を目の当たりにした後に東京のオフィスに戻って気付いたのは、「テクノロジーの進歩と現場の実態がかい離している」ということでした。世の中には、現場の負担を減らせる可能性のあるテクノロジーが増えているのに、実際はそうしたテクノロジーをほとんど活用できていない。このギャップを埋めていく必要があると感じていたんです。
春日 大手町パークビルへの本社移転により他部署メンバーの顔が見えやすくなり、こういった「どうにかしないといけないよね」という会話がしやすくなったことも手伝って、たまたま隣のエリアにいた私と渋谷さんはじめ複数の事業グループの有志が集まって勉強会が始まったわけです。そこでも当然、デジタルの活用による事業アップデートが必要だという結論になりました。DXをやろうとしてDXを始めたのではなく、現場の課題をなんとかするための手段に、DXというワードが当てはまったというほうが近いですね。
結果、当時経営企画部のメンバー4人で立ち上げたDX推進室に兼務者として合流させていただきました。印象的だったのは、メンバーの事業分野や立場がそれぞれ異なるにもかかわらず、悩んでいることの本質がみんな同じだったことです。「ここに仲間がいたのか」とうれしく思ったことを覚えています。
――つまり、デジタルの専門家がいない状態でDXチームが立ち上がったんですね。
渋谷 そうですね。翌年、「DX推進部」として部署化されてもなお、チーム内に専門家はいませんでした。ゼロから学んで知識を身に付けていきましたね。経営層からも「新しい技術の伝道師になれ」と言われていて、いろいろなデジタル技術についてリサーチしていたんです。
そういった立ち上げ初期に私がたまたま出会ったのは、SEQSENSE(東京・千代田)というスタートアップが開発した警備ロボットでした。とても性能が良かったので、「どうしてうちの会社ではこのロボットを使わないんだろう?」と思って、警備ロボットについてもっと調べると、たくさんの会社が警備ロボットを作っていることが分かりました。それらをじっくり調査すると、「ロボットの性能と価格は必ずしも比例しない」ことが分かってきます。こうした経緯の末に、同社に5億円を出資して協業が始まり、今もロボット関連のプロジェクトに携わっています。
春日 ビル管理の専門家から、ロボットの専門家になったんですよね。渋谷さんは、社長にも「ロボ太郎」と呼ばれているんですよ(笑)
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