キリンホールディングスは2022年9月7日、人体に影響しない微弱な電流で減塩食の塩味を約5割増強する食器「エレキソルト」を発表した。同社は塩分を取りすぎる日本人の健康課題に着目し、19年から明治大学総合数理学部先端メディアサイエンス学科の宮下芳明研究室と共同研究に取り組んでいる。

電源と制御コンピューター内蔵の「エレキソルト 椀」と「エレキソルト スプーン」。減塩の食事療法に取り組む人たちに食べたいけれど我慢しているものを聞くと、ラーメンと味噌汁という声が多かったという。そこで、薄味に仕上げた汁物をおいしく食べられるように、おわん型のデバイスを開発した
電源と制御コンピューター内蔵の「エレキソルト 椀」と「エレキソルト スプーン」。減塩の食事療法に取り組む人たちに食べたいけれど我慢しているものを聞くと、ラーメンと味噌汁という声が多かったという。そこで、薄味に仕上げた汁物をおいしく食べられるように、おわん型のデバイスを開発した

 デバイスを用いた健康的な食体験の提供を目指し、2022年4月に減塩食の塩味をコントロールする独自の電流波形と、はし型のデバイスを発表した。エレキソルトは、その進化版。今回新たに、おわん型とスプーン型のデバイスを開発した。

 おわん型とスプーン型のデバイスはコード類もなく、シンプルに仕上げた。スプーンの柄と器の側面にあるスイッチを入れて、好みの塩味の強度を選択し、あとはスプーンを持ち、おわんの底に手を添えて食事をするだけ。すると食品を介して電流が流れ、塩味が強く感じられる。

 この事業を起案したキリンホールディングス ヘルスサイエンス事業部 新規事業グループの佐藤愛氏は「はし型のデバイスは、食事をする前に腕に電流装置を装着して使用する。そのため、食事療法のためのデバイスを使っていることを意識してしまうという課題があった。心の満足度が下がり、食事のおいしさや楽しさが損なわれるのでは意味がない。通常の食事と同じ動作で使用できるデバイスを目指した」と話す。

既存事業の枠を越えた挑戦

 22年9月からは、日常生活での実証実験を開始。減塩専門店「無塩ドットコム」を運営するノルト(兵庫県宝塚市)と、オレンジページ(東京・港)が発行する食を起点に暮らしの情報発信をしている雑誌「オレンジページ」の会員に、エレキソルトのデバイスと塩分を控えた食事をセットで提供し、減塩食の満足度の調査を行う。有用性を検証し、23年には国内での商品化を目指すという。

「エレキソルト」デバイスを使用しているときの電流の流れ方。スプ−ンは先端から、おわんは底部を手で持つことで微弱な電流が流れ効果を発揮する
「エレキソルト」デバイスを使用しているときの電流の流れ方。スプ−ンは先端から、おわんは底部を手で持つことで微弱な電流が流れ効果を発揮する

 エレキソルトは、「キリンビジネスチャレンジ」から事業化を目指す案件だ。キリンビジネスチャレンジは17年に始まった新規事業を支援するプログラムで、キリングループの国内全社員が応募できる。プログラムの特徴は、起案から事業化まで会社がサポートすることと、その事業はキリンホールディングスの既存事業の枠を越えても構わないというルールだ。

 キリンホールディングス ヘルスサイエンス事業部 新規事業グループ主査の長谷川幸司氏は「キリングループは現在、医から食まで幅広く事業を展開しており、その中で既存事業にとらわれない新規事業の創出を目指している。キリングループの保有資産やステークホルダーとのつながりを活用しながら、成功の確率を高めていく」と言う。キリンビジネスチャレンジに応募し、研修やワークショップを経て最終審査を通過すると本業として認められる。21年は150件以上のエントリーがあったという。

減塩食品をよりおいしく

 佐藤氏がエレキソルトの研究を始めたのは17年ごろ。減塩した食事療法の難しさを知ったことがきっかけだった。当時、キリングループの研究所に所属していた佐藤氏が大学病院である研究をしていたとき、食事療法に関する悩みを抱える患者の存在に気づいたという。「食べ慣れない薄味の食事で、満足感や食欲が落ちてしまう人は少なくなかった」(佐藤氏)

 そんな課題に直面していたとき、佐藤氏は明治大学の宮下芳明研究室の電気信号で味覚を再現する研究を知り、食事療法の課題を宮下氏に相談したという。その後、キリンビジネスチャレンジに応募し、19年から本格的に共同研究が始まった。

2019年にキリンビジネスチャレンジに応募し、まずははし型のプロトタイプの開発に着手した
2019年にキリンビジネスチャレンジに応募し、まずははし型のプロトタイプの開発に着手した
22年4月に発表したはし型のプロトタイプ
22年4月に発表したはし型のプロトタイプ

 日本人の1日当たりの食塩摂取量は、WHO(世界保健機関)が掲げる食塩摂取基準と比較しても非常に多いという。健康志向の高まりから、日本の減塩・無塩食品市場は拡大を続けており、15年から19年までの5年間で約26%成長している(富士経済「ウエルネス食品市場の将来展望2019」より)。その一方、キリンホールディングスが21年6月に実施したアンケート調査では、塩分を控えた食事を行っている人と、行う意思のある人の約63%が減塩食に課題を感じていることが判明。そのうちの8割の人が味に対する不満があることも分かったという。

 「健康な人たちの6、7割が塩分の過剰摂取に関心を寄せ、気にしていることも分かった。そんな健康意識の高い30代から40代の方々にとっても、減塩するための補助ツールになることを目指す」(佐藤氏)

 当初は、食事療法をしている人に向けて起案したが、研究過程で潜在的なニーズに気づき、より多くの人が活用できるものへと発展している。減塩の食習慣を広げる、インクルーシブデザインの事例ともいえるだろう。

(写真提供/キリンホールディングス)

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