ビジネスパーソンが自らのキャリア形成を考えるとき、「転職」は重要な選択肢になりつつある。『ファクトフルネス』など、翻訳した書籍が次々にヒットする関美和氏も、実は転職を重ねながら現在に至っている。そんな関氏と、エグゼクティブサーチ会社のハイドリック&ストラグルズジャパン(東京・港)でパートナーとして活躍する渡辺紀子氏が、前後編にわたって対談。前編では、「計画性や自己主張がほとんどない」という関氏のキャリアの変遷を追いながら、仕事の進め方などについて語り合った。

関美和氏(写真左)と渡辺紀子氏(写真右)
関美和氏(写真左)と渡辺紀子氏(写真右)

 関美和氏は現在、恐らく日本で最も著名な翻訳家の一人だ。世界で300万部、日本で100万部を突破した『FACTFULNESS(ファクトフルネス)』をはじめ、訳したビジネス書は立て続けにベストセラーとなり、多くの出版社が彼女の出番待ちをしている。原書もヒットしたケースがほとんどだが、著者がさほど知られていないせいか、訳者がスター扱いされるのだ。

 だが、そもそも関氏はマルチな才能の持ち主で、米ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得したファンドマネジャーであり、各社の社外取締役や大学教員も務めている。そして2021年5月には、同年生まれで同じハーバード出身のゴールドマン・サックス(GS)証券元副会長のキャシー松井氏、元国連職員・GS社員で経済協力開発機構前東京センター所長の村上由美子氏とともに、日本初のESG(環境: Environment・社会:Social・管理: Governance)重視型グローバル・ベンチャーキャピタル・ファンド「MPower Partners Fund(エムパワー・パートナーズ・ファンド)」を立ち上げた。そんなオールラウンダーである関氏に憧れる若い女性は数多い。

 関氏の生家は福岡県田川市にある松尾製菓。今では全国に知らぬ者のいない「チロルチョコ」を製造販売する会社だ。田川市は盆踊りでお馴染(なじ)みの「炭坑節」の発祥地としても知られる、筑豊最大の炭都だった。しかし、1960年代に石炭は石油に取って代わられ、71年には市内の炭鉱はすべて閉山。本拠地が衰退する一方で、石油ショックなど幾度もの逆境を乗り越え、松尾製菓は隆盛を誇る。だからずっと、関氏は自らの恵まれた境遇と周囲とのギャップに違和感を抱えてきた。

 本誌でも連載「異能のキャリアを掘り起こす」を担当した渡辺紀子氏は、公立高校の教員を父に持ち、平均的な中流家庭の育ちだが、東京で「女子御三家」と呼ばれる私学3校の筆頭である桜蔭学園に中学から通った。同校はお嬢さん校でもあり、渡辺氏は周囲の生徒との懸隔を感じることも多々あった。渡辺氏に言わせれば、関氏のような「優秀かつ気品のある人は母校にも数少なかった」そうで、だからこそ初めて会ったときは「とても緊張してしまった」のだという。

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 しかし、実際の関氏は人に威圧感を与えるどころか、話すうちに放つ、おっとりした空気で相手を包み込んでしまう。エグゼクティブ女性にありがちな自己主張を一切感じさせない物言いをし、順調に見えるキャリアも「ブレまくっている」と謙遜する。うまくいったのも、人や機会に恵まれたからで、「たまたまにすぎない」と繰り返す。しかし、それがまったく嫌みに聞こえない。現に躓(つまず)きを重ねてきたからだ。

 内心では葛藤を抱えているのに、余裕綽々(しゃくしゃく)に見えてしまうのも、幸か不幸か関氏の才覚かもしれない。だが、社会人としてのキャリアのスタート時点から、関氏は躓いてしまった。慶應義塾大学文学部を出て、入社したのも誰もが羨(うらや)む電通(現電通グループ)だったが、たまたま居合わせた部署が肌に合わず、1年そこそこで辞めてしまうのだ。渡辺氏はそんな関氏を「思い切りがいい」と褒めそやすが、実態はちょっと違ったようで……。

「電通は居心地が悪かったんです……」

渡辺紀子氏(以下、渡辺) 私と関さんのなれ初めをまずお話ししますと、共通の大手商社に勤務していた友人がいまして、関さんとは大学がご一緒で、実は私が転職をお世話しようとした方なんです。あるとき、「とてもすてきな女性がいるから紹介しましょう。渡辺さんにとってとても刺激になるはずですよ」と、その方から言われ、東京・恵比寿にあるウェスティンホテルのラウンジでお目にかかったんです。ちょうど今、お世話になっている大手不動産企業の社外取締役の件を受注した直後で、なかなかふさわしい人が見つからず、困ったなというときにご紹介いただいたんで、「これは神のお導きだ」と思い、早くお会いしたくて仕方なかった(笑)。

関美和氏(以下、関) その節はありがとうございました。

渡辺 私はひと月に150人ぐらいのクライアントや候補者と面談しますが、緊張する相手は社長格含め、せいぜい2~3人と滅多(めった)にいないのに、関さんのご経歴を拝見すると、これはとんでもない人だと。優秀だし品はあるしと、すごく緊張したのを覚えてます。私が関さんに伺いたかったのは、まず電通のような会社にはなかなか入れないじゃないですか、なのに思い切って辞めちゃうとか、なんかとてもさっぱりしてるというか、決断がすごくできる人だなと感じるんです。どこにそうしたルーツがあるんでしょう?

 会社に行くのが嫌になってしまったんです……(笑)。たまたま配属された部署が合わなかったのかもしれないです。実際、同期で入った女性の大半は残ってますし、居心地もよさそうですしね。私がダメすぎて誰の役にも立っていなかったし、やる気も出せず……(笑)。

関美和氏
関 美和 氏
翻訳家 「MPower Partners Fund(エムパワー・パートナーズ・ファンド)」ゼネラル・パートナー
1965年福岡県生まれ。慶応義塾大学文学部・法学部卒業。電通、スミス・バーニー勤務の後、米ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得。モルガン・スタンレー投資銀行を経てクレイ・フィンレイ投資顧問東京支店長を務める。その間2009年より翻訳を始め、10年間で約50冊を訳出。本文で紹介した以外の主な訳書には、『アイデアの99%』(英治出版)、『TED TALKS』『 Airbnb Story』(日経BP)、『ハーバード式「超」効率仕事術』(早川書房)、『えんぴつの約束』(飛鳥新社)、『シェア』『MAKERS』『ゼロ・トゥ・ワン』(NHK出版)など。また、アジア女子大学(バングラデシュ)支援財団の理事も務める

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