グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン……。今、世界をリードしている企業に共通するのは、各分野でイノベーションを起こしているということ。では、イノベーションとは何か。なぜ日本企業はイノベーションを起こせないと言われるのか。米アップルで本社副社長を務めた前刀禎明氏は新刊『学び続ける知性 ワンダーラーニングでいこう』で、その理由やイノベーションを起こすためにマーケターができることを語っている。その一部を紹介しよう。
イノベーションは技術革新とは限らない
「イノベーション」という言葉は、この10~15年ほどで急に広まりました。こうした言葉には、あっという間に廃れてしまうものも多いのですが、すっかり定着した、そういう意味では珍しい言葉かもしれません。しかし、このイノベーションとはいったい、何なのでしょうか。
何かは分からないけれど、この言葉で焦りや強迫観念に駆られるという人は多いようです。「会社が収益を上げるには、イノベーションを起こさなければ」「GAFA(グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル)はイノベーションを起こしているけれど、日本企業にはそれができない」「うちの会社の古い体質では到底イノベーションなど起こせそうにない」。企業の経営者からもよく聞きます。実際、今、大きく成長している企業の多くは、この10~20年の間にイノベーションを起こした会社です。
米アップルは、iPodシリーズで携帯音楽プレーヤーを革新。今のスマートフォンの先駆けとなるタッチインターフェースを採用し、一気に普及させました。他社のスマートフォンより1年以上先行して投入されたiPhoneは世界的なシェアを誇っています。米グーグルは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスして使えるようにすること」を掲げ、情報検索の分野にイノベーションをもたらしました。その後も、クラウドや音声認識、画像認識で世界をリードしています。
最近の例で言えば、Zoomのインパクトも大きかった。パソコンやスマートフォンさえあれば、誰もが電話をかけるように手軽にビデオ会議ができるようになりました。こうした企業は、その製品やサービスの独自性でユーザーを獲得し、今や社会のプラットフォームとなりました。
イノベーションというと、単に技術革新のことだと捉えてしまう向きもありますが、僕の考えは違います。僕が思うイノベーションとは、1つの目的に対して、新しい解決方法を提示すること。あるいは提示した結果の製品やサービス、そのプロセスです。固定観念を打ち破る、常識にとらわれない、思考停止に陥ることなく探究する――そんな姿勢で、世の中に新しい課題解決の方法を送り出していくわけです。
ですから、新しい技術を用いていなくても、「この課題をこんな技術で解決するのか」という新たなアプローチがあれば、それはイノベーションと呼ぶに値すると考えます。僕がAOLジャパンでマーケティング担当の副社長をしていたときも、自分たちが目指すのは「Not technology, but convenience」だと社内で確認し合っていました。技術そのものに価値があるのではなくて、人々に快適さを届けることに価値があるのです。
そういう意味で大きなイノベーションを引き起こしたのは、米アマゾン・ドット・コムのネット通販サービスです。特に、2009年に「当日お急ぎ便」の提供が始まり、注文の翌日に商品が届くようになったことは革新的でした。それまでは手元に商品が届くスピードの差も考慮して実店舗と使い分けていた人にとって、もはや選択の余地がなくなります。アマゾンにあるものはアマゾンで買えばいい。明らかに、人々の行動を変え、生活を変えました。近所に生活用品などを買えるお店が豊富になくても、今はアマゾンがあるから大丈夫、といった調子で、住む場所の選び方にまで影響を与えている気がします。
未知のニーズが市場をつくる
このように、イノベーションには社会全体に影響を与え、昨日までの常識をガラリと変えてしまう力があります。ではどんなものがイノベーションになり得るのか。それは3つの円を描いてみると理解しやすいでしょう。
1つは、市場のニーズ。もう1つは、他社ができること(他社の事業)。最後に、自社ができること(自社の事業)。3つの円がすべて重なる部分は、いわゆるレッドオーシャンです。需要があり、多くの企業が参入して激しい競争が繰り広げられる市場。一方、ニーズと自社、2つの円だけが重なる部分、これがスイートスポットです。これを獲得するのがイノベーションであるという言い方もできます。
ニーズが目に見えると他社が追随してくるので、スイートスポットはやがてレッドオーシャンに変わっていく。しかし、その前の段階で、最初は小さかったスイートスポットが急速に大きくなることもあります。それは、まだ顕在化していない市場のニーズを自社だけが掘り当てたときです。
例えば、アップルは07年6月にiPhoneを発売しました。当時はまだフィーチャーフォンが全盛。スマートフォンと呼ばれる端末として「BlackBerry」などがありましたが、ビジネスパーソンが仕事で使う程度でした。小さな端末の半分ほどを物理キーボードが占め、画面は小さく、一般の人が使いやすいものとは言えなかったのです。これを変えたのがiPhoneです。1つの端末に、携帯音楽プレーヤーのiPodとインターネット接続端末、電話の機能を搭載。スクリーンに表示するソフトウエアキーボードとタッチ操作によるインターフェースの採用で、画面を大きく、広く使えるようにしました。
今では当たり前のことですが、iPhoneの登場によって、スマートフォンは初めて一般の人も使いたい端末になったのです。市場のニーズに自社だけが応えたとき、その会社は「市場をつくった」と言える。アップルは、まさにスマートフォン市場を創造したと言っていいでしょう。
発売当初はニーズが大きくなかったとしても、世に出た製品がニーズを掘り起こして、市場は広がる。今までになかったものを創って価値を提供した結果、人々が実はそれを欲していたことに気づいたり、新たに欲するようになったりする。すると今度は市場のニーズのほうから、自社ができることに近寄ってきて、スイートスポットが拡大します。
イノベーションが新市場をつくるというのはこういうことです。イノベーションが起こせれば、市場をつくり出すことができて、先行者利益が得られる。逆にできなければ、他社に追随する立場なので、激しい競争にさらされ、利益の少ないビジネスを強いられます。マーケティングの力でうまく製品を売ろうとしたところで、二番手、三番手に甘んじることになります。
スイートスポットを広げ、それを長く持続させるには、顕在化する前のニーズをかぎつけなければいけません。これが難しいところであり、イノベーションの勘所でもある。「ペイン(苦痛)あるところに、それを解消したいというニーズがあるはずだ」とする理論もありますが、僕は必ずしもそうとは思いません。人々がペインの存在にさえ気づいていないことはままあるからです。
アマゾンの例で考えてみてください。当日お急ぎ便の登場前、ネット通販で注文から商品到着まで数日かかることに、誰が不便や苦痛を感じていたでしょうか。みんな当たり前に「ネット通販とはこういうものだ」と受け止めて、急ぎのときは実店舗を利用していたはずです。
逆に、イノベーションによってペインが増える側面はあると思います。注文後、すぐ商品が届くサービスを知ってしまうと、もう元には戻れません。僕らは別のオンライン通販に不満を持ってしまう。ブランドのダイレクトショップで商品を注文して、届くのが1週間後だったりすると、「時間がかかる」「遅い」と思ってしまいます。現状の製品やサービスの延長線上で実現できそうなことにとらわれず、こうならいいのに、と夢や理想を自由に思い描くことが、イノベーションへの第一歩なのです。
そして、イノベーションは次のイノベーションで上書きされるということも覚えておいてください。あるイノベーションによって増えたペインに応え、かつその先のニーズを掘り起こすことができれば、さらなるイノベーションを起こせます。かつて検索エンジンとして圧倒的シェアを誇っていたヤフーがグーグルに取って代わられたように、あるいはビデオ会議システムとして使われていたスカイプがZoomに取って代わられたように、トップランナーは次から次へと入れ替わる。だからこそ、あらゆる企業はあきらめず、まだ見ぬイノベーションを思い描くことが重要になるのです。
イノベーションのためにマーケターができること
こういう話をしていると、「イノベーションは商品企画や新規事業の担当者のもの」という印象を持つマーケターの方もいるかもしれません。しかし、イノベーションに対して、マーケターだけが果たせる特別な役割があります。それが、カスタマー・エデュケーションです。
新しい価値をつくり出したとしても、それが消費者に伝わらなければ、新たな市場はできません。重要なのは、その価値を受け取る人に理解してもらうこと。自社製品やサービスがたくさん売れるようにすることがマーケティングだと思っている人がいるかもしれませんが、マーケティングの本来の役割は、自分たちが作ったものの価値を世の中にきちんと知ってもらうことなのです。
このため、マーケティングの仕事は、自社の新しい製品やサービスの価値を深く理解するところから始まります。抽象的に聞こえるかもしれませんが、常に製品の価値という本質に立ち返って考え、どうすればそれを消費者に伝えられるのか、具体的な施策に落とし込む。それこそが、イノベーションを起こすためマーケターができることなのです。
※マーケターとして製品やサービスの価値をどう理解するか、それをどう消費者に伝えるかについては、ぜひ前刀氏の著書『学び続ける知性 ワンダーラーニングでいこう』をご一読ください。