東京オリンピック・パラリンピックを間近に控える中、日本オリンピック委員会(JOC)がウェブ・SNSなどを活用したファンプラットフォーム構築を推進するデジタル戦略ディレクターの募集を開始した。なぜ今、ファンマーケティングを強化するのか、狙いは何か。JOC会長の山下泰裕氏に直撃した。

山下 泰裕 氏
日本オリンピック委員会(JOC)会長
1957年、熊本県生まれ。東海大学大学院体育学研究科修了。84年ロサンゼルスオリンピック無差別級で金メダルを獲得し、国民栄誉賞を受賞。85年に現役選手を引退。92~2000年には全日本柔道連盟ヘッドコーチを務める。11年から東海大学副学長に就任。現在、全日本柔道連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)会長、国際オリンピック委員会(IOC)委員などを兼務

 新型コロナウイルスの影響で延期となり、9カ月後に開催が予定されている東京オリンピック・パラリンピック。日本オリンピック委員会(JOC)もそのための準備を着々と進めている。中でも新しい取り組みの一つが、新しい「ファンプラットフォーム」の開発だ。そのために2020年11月18日には、デジタル戦略ディレクターの公募を開始した。

 JOCでは、ウェブサイトのほか、Twitter、Facebook、InstagramといったSNSを通じて情報を発信してきた。今回、オウンドメディアとしてファンプラットフォームを立ち上げる狙いを、JOC会長の山下泰裕氏はこう語る。

 「1つは、スポーツの魅力や価値を常に発信し続けていきたいということです。オリンピック期間中はさまざまなメディアで競技の結果や選手の活躍が取り上げられ、かなり注目してもらえます。ですが、オリンピック期間とそれ以外では、JOCやスポーツ界からの発信にも波があり、どうしてもオリンピックとオリンピックの間の期間は、社会的なスポーツに対する熱量が下がってしまいます。もう1つは、これまでJOCの活動内容について、十分発信をできていなかったという反省があります。ファンプラットフォームを通じてJOCのさまざまな活動についても理解してもらえるようになればと思っています」

 これまでJOCは、アスリート支援を強化し、オリンピックで勝つことに力を注いできた。例えば、1996年のアトランタオリンピックで金メダルを獲得できたのは柔道の3個のみ。2000年のシドニーオリンピックでも金メダルは女子マラソンの高橋尚子選手と柔道の4個の計5個だった。その後、関係機関と共に環境整備や選手の強化などを継続的に行ってきた結果、近年の日本代表選手の活躍はめざましいものとなっている。12年のロンドンオリンピックではボクシング、体操、レスリング、柔道で金メダルが合計7個、メダル数は38個だった。さらに16年のリオデジャネイロオリンピックでは、水泳や体操、レスリング、柔道、バドミントンで合計12個の金メダルを獲得。冬季大会でも、18年の平昌オリンピックでは、金メダル4個をはじめ、合計で13個のメダルを獲得した。

 結果が出てきたことに加え、今回の東京オリンピック・パラリンピックでの盛り上がりを礎に、スポーツ文化のさらなる発展を目指すのが、今回のファンプラットフォーム構築の戦略だ。

 「東京オリンピックの半年後には、北京冬季オリンピック、さらにその後には同じく中国の杭州市でアジア競技大会、24年にはパリオリンピックと大会は続いていきます。オリンピックのときだけ注目を集めるのではなく、さまざまなイベントや日々のコミュニケーションを組み合わせながら、スポーツの価値をより高め、広め、スポーツを『する』『見る』『支える』……いろいろな形で関心を持っていただく流れをつくっていきたい。そのために外部の人材の力を借りて、まずはファンのプラットフォームを構築したい」と、山下氏は語る。

ディレクターとつくり上げるファンプラットフォーム

 ファンプラットフォームを立ち上げ、継続するのは簡単ではない。多くの企業が挑戦し、苦労している。だからこそ、あえて外部人材の募集に踏み切った。「JOCにも優秀な人材はいますが、ファンプラットフォームを立ち上げていくには、ビジネスにおける高い知見、見識、さらにデジタルの専門的な知識が必要だと考えました。そこで、そういった人材を中心にして、一からつくっていけたらと思います。スポーツの専門家である必要性はまったくありません。むしろビジネスやデジタルの専門家であってほしい。スポーツの経験があってもいいですし、なくてもスポーツに対して興味関心があって、スポーツ界の力になりたいと考えくれる方なら良いですね」(山下氏)。

専用サイトにてデジタル戦略ディレクターを募集。募集期間は20年11月18日から12月15日まで
専用サイトにてデジタル戦略ディレクターを募集。募集期間は20年11月18日から12月15日まで

 実は、JOCは日本代表選手団の編成・派遣や選手の強化といった競技に直接関わるもの以外にも、さまざまな活動を行ってきた。

 オリンピアン(オリンピック出場選手)と一般の人が触れ合えるイベントとしては、例えば、全国の中学校でオリンピアンが子供たちにオリンピックでの体験などを通じてスポーツの魅力や楽しさを伝える「オリンピック教室」、オリンピックデー(6月23日)を記念して日本各地で行われるジョギングイベント「オリンピックデーラン」、オリンピックの競技映像とオーケストラの演奏を融合したコンサート「オリンピックコンサート」などがある。

オリンピック教室は、オリンピアンを先生として中学2年生を対象に実施されている
オリンピック教室は、オリンピアンを先生として中学2年生を対象に実施されている
日本独自のイベントであるオリンピックコンサート。1997年にスタートした
日本独自のイベントであるオリンピックコンサート。1997年にスタートした

 それぞれのイベントに参加した人は非常に高い満足度が得られる一方、イベントに参加できる人数は限られており、参加していない人に価値を伝えるのは難しい。また、情報発信も単発になりがちだった。そこで、こういったイベントもパッケージとしてうまくつなげて発信していきたい考えだ。

 また、現在は、多くのアスリートがイベントやSNSなどを通じて、スポーツの魅力を発信している。コロナ禍では、トップアスリートもSNSでメッセージや動画を発信したり、自宅で楽しめるスポーツコンテンツを提供したり、チャリティーに参加したりした。「現役アスリートはもちろん、引退したアスリートたちもそれぞれ活動しています。トップアスリートが発信するメッセージには力があり、人々に夢や感動、大きな影響を与えます。個人や競技団体の活動、いろいろな情報がつながる仕組みづくりができれば」(山下氏)。調整は難しいかもしれないが、各競技の情報も集約したプラットフォームになれば、スポーツファンに注目されるのは間違いなさそうだ。

JOCが目指すのは“スポーツ フォー オール”

 山下氏は、現役引退後に1年間の英国留学を経験している。そのときの体験が今のスポーツ観につながっている。

 「欧州では、日本に比べると、多くの人が日常的にいろいろなスポーツを楽しんでいます。今でこそ日本でもジョギングをされる市民ランナーが多くいますが、そんなスポーツが身近にあることに驚きました」と山下氏は話す。その象徴として山下氏が挙げるのが、欧州で一番歴史のある柔道場で週に2回ぐらい指導していたときの出来事だ。ある日、山下氏に60歳ぐらいの人が稽古をしてくれと言ってきた。最初は軽く技をかけたところ、「真剣にやってくれ」と言われ、もう少し強く技をかけると「遠慮しないでくれ」と言う。であればと、山下氏が本気で投げたらものすごくうれしそうな顔をして「きょうは世界チャンピオンの偉大な柔道家の技を全身で受けることができた。こんな最高の日はない」と言ったというのだ。「勝ち負けだけではなく、多くの人が純粋にスポーツを楽しんでいるということがよく理解できました」。山下氏はこう振り返る。

 日本は、特にオリンピックや日本代表戦が好きな国民性を持つといわれる。「日本では、結果だけにフォーカスが当たることが多いのも事実です。でもそれは、ともすると勝利至上主義、勝つためには手段を選ばないことにつながる恐れもあります」と山下氏。勝つことだけでなく、スポーツを通じて心身の健康、人間らしい暮らし、生きがいなどに貢献していくことをJOCは目指しているという。「オリンピックを通じて、挑戦することは素晴らしいとスポーツの魅力に気づいてもらい、自らも体を動かす。すべての人にスポーツ参加を促す“スポーツ フォー オール”ですね。スポーツが誰かの人生を豊かにする、スポーツが社会づくりに貢献できる。そういう流れをつくるのがこれからの日本社会にとって極めて大事ではないでしょうか。そのためには、継続的にアスリートとファンが何かしらの形で触れ合う場が必要になると思います」(山下氏)。

(写真/竹井俊晴、写真提供/日本オリンピック委員会)

この記事をいいね!する