ゲーミングデバイス、特にヘッドセットなどの音響製品に注力する新ブランド「EPOS(イーポス)」が2020年7月に誕生した。EPOSはもともと音響機器ブランドとして知られる「ゼンハイザー」のゲーミングデバイス事業。ドイツのゼンハイザーエレクトロニクスとデンマークのウィリアム・デマント・ホールディングの合弁会社ゼンハイザーコミュニケーションズとしてビジネスを展開してきたが、このたび独立し、新たな名前でスタートした。ゼンハイザーという世界的ブランドを捨てるに至った背景をマーケティング責任者らに取材した。

2020年7月に立ち上がったゲーミングデバイスの新ブランド「EPOS」
2020年7月に立ち上がったゲーミングデバイスの新ブランド「EPOS」
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 eスポーツやゲーム実況、動画配信などをきっかけに、PCや家庭用ゲーム機周辺で利用するオーディオ機器の需要が高まっている。

 ヘッドホンとマイクが一体となったヘッドセットもその1つ。特にeスポーツにおいて「音」はゲームの状況を把握したり、チームメートと連携したりするのに重要な役割を果たす。クリアで音像定位のはっきりしたヘッドホンはゲームへの没入感と集中力を高め、明瞭でノイズのない音声を伝えるマイクは仲間との快適なコミュニケーションに不可欠だ。よりよい結果を求めるコアなゲーマーにとって、良質なヘッドセットは必須のアイテムなのだ。

 2000円程度から買えるゲーミング用のヘッドセットも多い中、需要が伸びているのが数万円もするハイエンド製品だ。これにはeスポーツ選手やストリーマー(動画配信者)たちの活躍も大きく影響している。著名プレーヤーが選ぶこだわりの製品がファンに注目され、市場をけん引するからだ。

 こうしたハイエンド市場で高い評価を得てきたブランドの1つに、「ゼンハイザー」がある。コンシューマー向けのヘッドホンやマイクに加え、録音スタジオやライブ会場、映画制作などで用いられるようなプロ用機器も数多く手掛けている。

 そのゼンハイザーからゲーミング事業を引き継ぐのが、20年7月に立ち上がった新会社EPOSだ。これまでゼンハイザーコミュニケーションズとして展開してきたゲーミングデバイスなどの事業が独立。新ブランドとしてのスタートを切った。

EPOS設立前からある製品は今後、「EPOS | SENNHEISER」というダブルブランドで展開する。写真はフラッグシップモデルの「GSP 600」2万8800円(税込み)
EPOS設立前からある製品は今後、「EPOS | SENNHEISER」というダブルブランドで展開する。写真はフラッグシップモデルの「GSP 600」2万8800円(税込み)
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決断の背景に伸びるゲーミング市場

 今回の決断の裏にあるのは、ゲーミング市場の世界的な拡大だ。EPOSでマーケティング責任者を務めるマーヤ・サンド・グリムニッツ氏は「近年、市場が大きく変化している中、成果を出すには製造から販売まで一貫して取り組むことが重要だ。特にゲーミング事業のR&D(研究開発)には今こそ注力すべきだと判断した」と言う。つまり、活気づくゲーミング市場に向けて付加価値の高い製品を開発、提供するために、事業のリソースを集中させ、ブランドとして独立させる決断をしたというわけだ。

EPOSのマーケティング責任者を務めるマーヤ・サンド・グリムニッツ氏
EPOSのマーケティング責任者を務めるマーヤ・サンド・グリムニッツ氏
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 ここで気になるのは、ゼンハイザーコミュニケーションズがEPOSへと生まれ変わるに当たって製品の開発態勢などにどんな影響があるかという点だ。

 同社でプロダクトマネジメント&マーケティング部門のシニアディレクターを務めるアンドレアス・ジェッセン氏は、「開発モデルや品質プロセスに直接的な影響はない」と言い切る。

EPOSのプロダクトマネジメント&マーケティング部門のシニアディレクター、アンドレアス・ジェッセン氏
EPOSのプロダクトマネジメント&マーケティング部門のシニアディレクター、アンドレアス・ジェッセン氏
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 実はゼンハイザーコミュニケーションズは、もともとドイツのオーディオメーカーのゼンハイザーエレクトロニクスと、デンマークに本部を置く補聴器の老舗メーカー、ウィリアム・デマント・ホールディング(以下、デマント)が50%ずつ出資した合弁会社だった。用途は違えど共に音響機器メーカーとして培ってきた技術を注ぎ込んだのが、同社のゲーミングデバイスだったのだ。

 特にゲーミングヘッドセットには、デマントが補聴器で培ってきた技術が生かされている。周囲の音をマイクで拾い、それを増幅して耳に届ける補聴器の技術は、構造上、ヘッドセットに用いられるものとよく似ている。ゼンハイザーブランドのゲーミングヘッドセットの開発は同社が主導してきたのだ。

ゼンハイザーブランドのゲーミングヘッドセットを開発、販売していたゼンハイザーコミュニケーションズ
ゼンハイザーブランドのゲーミングヘッドセットを開発、販売していたゼンハイザーコミュニケーションズ
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 この合弁事業が20年1月で終了。それを機に、ゼンハイザーコミュニケーションズのゲーミングデバイス事業は、ゼンハイザーブランドから独立し、デマント傘下でEPOSブランドとしての再始動に踏み切ったわけだ。

 それ故、開発体制はほとんどそのまま。本社はデンマーク・コペンハーゲンにあったゼンハイザーコミュニケーションズの拠点を引き継いだ。また、EPOS設立前からある製品については、「EPOS | SENNHEISER」という共同ブランドで取り扱う。

 現在はコペンハーゲンの本社がユーザー調査やトレンド分析、エンジニアリング、プロジェクト管理、マーケティング、営業などを担い、製品の製造は中国で行っている。既存のリソースを引き継ぎながらも独立したブランドを立ち上げることで、小回りが利く開発態勢を築き、市場のニーズにいち早く対応する製品作りができるという。

EPOSの本社社屋。よく見るとゼンハイザーコミュニケーションズの社屋と同じ建物だと分かる
EPOSの本社社屋。よく見るとゼンハイザーコミュニケーションズの社屋と同じ建物だと分かる
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EPOSというブランドが目指すところとは?

 とはいえ、既にポジションを確立したゼンハイザーブランドからの独立は、かなり大きな賭けでもある。新規のブランドとして、どのように事業を展開していくのか。

 戦略上、重要な鍵になるのが製品展開だ。独立したメーカーとして、ブランドとして、EPOSが独自のポジションを確立できるかは、今後発売される製品にかかっている。

 これについてグリムニッツ氏は、「EPOSが目指すのはゲーミングオーディオ中でも、高性能な高級ブランドと、ユーザーの生活や文化に根付くライフスタイルブランドの中間だ。製品を通して、ゲーム体験を向上させるような、新しくユニークな提案をしていきたい。年齢や性別を問わず、ゲーマーの数が急増している市場では、これは重要なことだ」という考えを示した。ゼンハイザーブランドでは高価格帯の製品を多数発表してきたが、EPOSになってもその方針は変わらないということだろう。

 その一方で、注目すべきは「性別を問わず」という部分。EPOSは女性ユーザーの拡大を視野に入れていることがうかがえる。

 それというのも、ゼンハイザーのヘッドセットは大ぶりで、デザインも少しごつごつとしたものが多い。もちろん意図してのことで、それがゼンハイザーらしさであり魅力でもあった。

 ジェッセン氏が説明する。「私たちがゲーミング市場を重視し始めたのは数年前だが、当時はプラスチック製の安っぽい製品が多く、品質も劣るという印象だった。そこで私たちが信条としたのが、おもちゃではなく“ツール(道具)”を作ること。製品の品質をゲーマーが使うに値する、オーディオマニアレベルにまで高めたいと思ってきた」。

 ただ、その結果、女性が使うには少し大きすぎる製品になっているのも確かだ。今後はバリエーションが加わる可能性もある。

 eスポーツにおいて、ゲーミングデバイスは「他者に勝つための道具」だ。だが、競技としてプレーしないユーザーでも、快適さを求めるならより高品質のものを選ぶ価値がある。「例えばモニターなどの周辺機器に800ドル(約8万8000円)もかけるユーザーがいる中、たった30ドル(約3200円)のヘッドセットを買ったためにゲーム経験が台無しになってしまっては元も子もない」(ジェッセン氏)。年齢や性別にかかわらず快適に使えるヘッドセットは、それだけ潜在顧客を掘り起こす可能性を秘めている。

EPOSブランド発表後初の製品は、PC向けのヘッドセット用アンプ「GSX 300」。1万980円(税込み)。PCのサウンドを最大24bit/96kHzのステレオまたは16bit/kHzの7.1chサラウンドにアップグレードできる。本体カラーは真っ白な「Snow Edition」との2色展開
EPOSブランド発表後初の製品は、PC向けのヘッドセット用アンプ「GSX 300」。1万980円(税込み)。PCのサウンドを最大24bit/96kHzのステレオまたは16bit/kHzの7.1chサラウンドにアップグレードできる。本体カラーは真っ白な「Snow Edition」との2色展開
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近未来が舞台のブランドPVで思いを発信

 商品展開と並ぶブランド成長の鍵は、マーケティングだ。ゼンハイザーブランドの支持者をEPOSに引き込み、新たな顧客も取り込むには、ブランドを周知させる施策が課題となる。

 これに対して、マーケティング責任者のグリムニッツ氏は、「高品位なオーディオデバイスがゲーム体験に何をもたらすか。それを“見せる”ことに焦点を当てる」と語った。「EPOSの技術や製品を単にアピールするよりも、ハイレベルなオーディオ環境で得られるわくわく感を共有したい、そして私たちの製品によってユーザーのゲーム体験を次のレベルに引き上げられることを伝えたい」。

 その思いを込めた最初の施策が、20年7月7日のブランド・ローンチと同時に公開したブランドPV映像だ。没入感の高いオーディオが、ユーザーを別世界に導く――そんなメッセージを、映画『ブレードランナー』を思わせる近未来都市を舞台にした映像に託した。近年のオーディオブランドには、eスポーツの有名プレーヤーやインフルエンサーなどを活用したマーケティング施策を展開するところも多いが、まずはブランドとしての意思表示を優先した形だ。

20年7月7日から公開されているEPOSのティーザー映像。監督はデンマークアカデミー賞受賞歴を持つアンダース・ウォルター氏
20年7月7日から公開されているEPOSのティーザー映像。監督はデンマークアカデミー賞受賞歴を持つアンダース・ウォルター氏
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 一方でプロダクトマネジメントも担うジェッセン氏は、「今後の製品開発に当たっては、市場の動向に細心の注意を払う」と製品マーケティングの観点から説明する。

 ソニー・インタラクティブエンタテインメントの「PlayStation 5」やマイクロソフトの「Xbox Series X」といった次世代の家庭用ゲーム機はもちろん、近年はモバイルゲームでも高音質が求められるようになりつつある。そうした中、「上下方向まで含めた立体的な音響を実現するバイノーラルレンダリングやHRTF(頭部伝達関数)を用いたものなど、今までにないレベルの没入感をユーザーにもたらす技術も出てきている。そうした技術をどう生かすか。そうした課題に応える製品をEPOSとして出していきたい」(ジェッセン氏)。

 今回の記事は、EPOSの2人のキーパーソンにメールで行ったインタビューを基に構成した。新ブランド設立から日が浅く、製品の発売はこれからという段階。しかし、既存の資産を生かしながら、将来へ向けた新たな製品、ブランド作りへの強い意気込みが感じられた。ゲーミングに特化したオーディオデバイス専門機器メーカーとしての今後の展開に注目したい。

(写真提供/EPOS)