東急やJR東日本などが静岡県の伊豆エリアで取り組んできた観光型MaaS「Izuko(イズコ)」。2度にわたる実証実験を牽引してきた「中の人」であり、書籍『MaaS戦記 伊豆に未来の街を創る』を出版した東急の森田創氏による寄稿の後編。アフターコロナ時代の観光型MaaSの在り方を考える。

Izukoの舞台である伊豆・下田で運航するペリーの黒船を再現した遊覧船「サスケハナ号」。実証実験中はIzukoでデジタルチケットも販売された(写真/Shutterstock)
Izukoの舞台である伊豆・下田で運航するペリーの黒船を再現した遊覧船「サスケハナ号」。実証実験中はIzukoでデジタルチケットも販売された(写真/Shutterstock)

 (森田創氏の寄稿前編はこちら

 私(東急・森田創)の住む、鎌倉の海岸の向こうには、黒々と横たわる伊豆半島が見える。夕方には、手が届きそうなほどに近くに感じられる。程なく向こうの町に明かりがともる。あれは伊東だろうか、あそこは伊豆高原かと思いを巡らせながら、「ステイホーム」の自粛期間中、私は逆にホームシックにかかっていた。

 伊豆の観光型MaaS「Izuko(イズコ)」の実証実験が、2020年3月10日に一旦終了してから、程なく下田の私の居所も閉鎖され、様子を確かめに行くこともできない。こうして毎日、浜辺で対岸を眺めながら、気をもんでいる。なじみの場所や人々は、一体どうしているのだろう。

 悶々(もんもん)とした思いを抱えながら、6月初旬、2カ月半ぶりに伊豆を訪れた。20年秋に再開予定のIzuko実証実験フェーズ3に向けて、店舗交渉をするためだ。「こっちはMaaSどころじゃない!」と怒鳴り込まれたらどうしようかと思っていたが、地元では「観光客が増える可能性があるなら、やってみよう」という好意的な反応が多かった。スマホで決済画面を見せる観光客を通せばよいという、対人接触を避けられるIzukoの利点を評価してくれたのは、withコロナ時代ならではの反応というべきだろう。

公共交通の乗り降りや、対象の観光施設の入場は、Izukoアプリの画面を見せるだけ
公共交通の乗り降りや、対象の観光施設の入場は、Izukoアプリの画面を見せるだけ

 新型コロナウイルス感染症の流行は、MaaSが広がるきっかけになるはずだ。対人接触を避けながら安全に観光したいニーズが高まるから、交通や観光のチケットを事前決済し、スマホの画面を提示するだけで、周遊できる点は見直される。「スマホ操作は面倒臭い」と言っていた人たちも、「新しい生活様式の到来」により、重たい腰を上げ始めるに違いない。何年かかってもできなかった遠隔医療が、わずか10日強で実現するなど、新型コロナ禍によるリモート化の波が、日本人のITリテラシーを向上させている。19年度のIzukoの実証実験で、私の前に立ちはだかった「スマホの壁」に、風穴が開く日も遠いことではない。

 これからの観光型MaaSは、withコロナ時代における観光行動に寄り添ったものであるべきだ。混雑回避しながら行動したいというニーズには、交通機関や観光施設の混雑状況を楽しい時間潰しの方法と併せて表示することで、周遊促進をもたらしながら対応することが望ましい。混んでいる場所に並ぶことも避けたいだろうから、観光地や飲食店を事前予約できる仕組みも求められるだろう。施設側も、予約制にすることで、事前の受け入れ準備が組みやすくなり、省力効果が見込めるかもしれない。伊豆のように観光需要の季節変動が激しい地域では、特定時期の混雑を分散化させるべく、混雑状況に応じた運賃や入場料金を変える、ダイナミックプライシングの導入も検討する価値がある。

 新型コロナは、マスから個へと時代を変えたともいわれる。観光地においても、特定の繁忙期に電車やバスで大量に送客するスタイルから、個別化されたタイミングやニーズに基づく体験価値の提供へと、徐々に変わっていくのではないだろうか。だとすると、観光型MaaSも、移動の心理的なハードルが上がった分だけ、交通手段の選択肢に加え、個々の価値観に合った観光体験をきめ細やかに提供していく必要がある。観光客の属性データや移動データを分析することで、プロファイル像の仮説を作って検証しながら、日々PDCAを回すマーケティングプロセスがより重要になる。

 19年度のIzukoは、東伊豆や中伊豆で、デジタルフリーパスやデジタルパスなど30種類の電子商品を造成し、6166枚の販売実績を上げたものの、従来型の観光からパラダイムシフトしたといえる水準にはなかった。スマホ1つで、複数の交通や観光施設がシームレスに利用できる体験価値は新しかったが、デジタルフリーパスやデジタルパスは、紙の企画乗車券や観光施設の割引入場券を電子化しただけとも言えた。日本初の観光型MaaSと呼ばれてはいたけれど、既存の枠組みの中での業務改善にとどまっている間は、大きな成功もなければ失敗もない、安全な浅瀬で泳いでいるに過ぎない。

 しかし、新型コロナによって観光行動が変質する中で、観光型MaaSも、デジタルトランスフォーメーション(DX)が可能とする、より個別化されたサービス提供へと向かうことは確実だ。19年度の実証実験とは、大きな一線を画すことになるだろう。これまでの顧客像や観光行動という固定観念から抜け出し、データに基づいた仮説検証を通じて、サービスを改善し続けることが、生き残りへの唯一の道となる。先行きを保証するものは何もない。日々、走り続けるしかない。18年6月、MaaSの勉強で訪れたフィンランドで耳にした、「MaaSに共通解はないのだ」という有識者たちの声が、今でも耳でこだまする。

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