瀬戸内海の12の島々と香川県、岡山県にまたがって行われる瀬戸内国際芸術祭が2019年で4回目を迎えた。2010年から始まったこの芸術祭が、国内外問わず人気を集めている。今回の春会期の来場者数は、前回から5割増しの約39万人[注1]に達した。地方の芸術祭の人気の裏に、人々の価値観の変化を見た。

瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内海に点在する島々を巡りつつ楽しむ
瀬戸内国際芸術祭は、瀬戸内海に点在する島々を巡りつつ楽しむ

 瀬戸内国際芸術祭は3年に1度行われる“トリエンナーレ”。これまでの春会期は3月末から4月の、いわば“子どもの春休み”時期だったが、19年の春会期は、10連休の“大人もたっぷり休める”ゴールデンウイークに重なっており、来場者数の大幅増はタイミングが大きな理由だと、瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局は分析している。

 ただ、夏会期でも1日当たりの平均来場者数は前回の8183人から8619人と5%増加。海外からも多くの人を集めており、春会期の来場者のうち21.7%は海外からだった。「回を重ねて芸術祭が浸透してきたこともあるが、ナショナル・ジオグラフィック・トラベラー英国版で、2019年に行くべきデスティネーションとして、SETOUCHIが1位に選出されたことに続き、ニューヨーク・タイムズでも同様のテーマで日本で唯一選定されたことが要因ではないか」(同事務局)という。

リピーターを引き付ける3つの特色

 筆者(コバヤシ)は、年間500ほどの展覧会を訪れ、自らが運営するアートのウェブメディアで注目の展覧会をリポートしているが、瀬戸内国際芸術祭を訪れると、他の展覧会やアートイベントにはない「特異点」を感じる。あくまで鑑賞者としての視点だが、それは主に3つに絞られると考えている。

鑑賞者から見た「瀬戸内国際芸術祭 3つの特異点」
鑑賞者から見た「瀬戸内国際芸術祭 3つの特異点」

 1つめは、作品に“出会うまでのプロセスを楽しめる”こと。図のように、作品は大小合わせ12の島、香川県の高松港、岡山県の宇野港などに散らばっている。主にフェリーか高速船で、数十分から1時間ほどかけて、島へと向かう。大きな島は1日、小さな島は半日を目安とし、時刻表と照らし合わせながら、予定を組む。来場者それぞれが、思い思いのルートで好みの作品や場所をプランニングしていくわけだ。

12の島々と香川、岡山にまたがって開催される(瀬戸内国際芸術祭2019公式ホームページから)
12の島々と香川、岡山にまたがって開催される(瀬戸内国際芸術祭2019公式ホームページから)
フェリーや高速船で島を行き来する。島に着いたら、徒歩や電動自転車で作品を探していく
フェリーや高速船で島を行き来する。島に着いたら、徒歩や電動自転車で作品を探していく

 最近は若者から高齢者まで広くアートブームが広がっており、都会の美術館での大型展覧会に行列ができるなど人気を集めているが、これはいわば対極にあるプロセス。美術館にさえ行けば、作品にすぐに出会えるのとは異なり、12もの島々にわたっているため、船で巡り、島に着けば、歩いたり、バスを利用したり、電動自転車やレンタカーで走ったりして、作品を探していく。

 もちろん、地方で開催される他の芸術祭でも同じ側面はあるものの、これほど“作品に出会えるまでのプロセス”を多様に楽しめるアートイベントは少ないのではないだろうか。

 多くの島にはコンビニもない。次の船便を待つ間、ゆっくりとした時間が流れていく。作品を見る合間に地元の人々と関わり合うなかで、便利で効率化された日々では忘れてしまった感覚がよみがえり、なんとも心地よい。人気観光地によくある、レールのように敷かれた定番コースに縛られない。瀬戸内のそういった地域性は、旅先での偶然の出会いを楽しむことにたけている人には、心くすぐる場所でもあろう。

 2つめは、その土地に合わせて創られる“サイトスペシフィック”な作品だ。美術館の「ホワイトキューブ」と呼ばれるギャラリーの白い壁は、展示物が映えるように個性を排除し、作品の背後で存在を消している。そんな美術館を中心とする、いわゆる「箱型」の芸術祭もあるが、瀬戸内国際芸術祭は、「里山型」の芸術祭に分類される。里山型の特徴は、その場自体の個性を生かして、アーティストたちが創るサイトスペシフィックな作品だ。

 なかでも国立ハンセン病療養所が今なお存在する大島では、その療養所の部屋を使ったアート作品を見られる。直接的なメッセージで、ハンセン病の歴史や、その対応の意味を問う作品が並び、胸が締め付けられる。そんななか、印象に残るのが鴻池朋子さんの「リングワンデルング」という作品だ。「リングワンデルング」とは、方向感覚を失い、無意識に円を描くように同一地点をさまよい歩くという意味のドイツ語だ。

ハンセン病療養所を用いた田島征三さんの作品。「Nさんの人生・大島七十年」─木製便器の部屋─
ハンセン病療養所を用いた田島征三さんの作品。「Nさんの人生・大島七十年」─木製便器の部屋─
鴻池朋子さんの「リングワンデルング」から見える風景
鴻池朋子さんの「リングワンデルング」から見える風景

 かつて療養所の青年団が切り開いた、海を望む散歩道「相愛の道」。鴻池さんは、この長い間閉ざされていたルートを、再び切り開き作品にしている。鑑賞者は、この散歩道約1.5キロメートルを20分ほどで巡る。

 彫刻、絵画、大きなインスタレーションなどが散歩道上に配置され、この道をかつて歩いたであろうハンセン病の人たちの視点や足跡に気持ちを重ねながら、鑑賞者は、彼らも見つめたであろう海の向こうに見える島々への光景に、感情を揺さぶられる。

 最も視界の良い場所に掲げられた大きなインスタレーション作品、通称「皮トンビ」は、瀬戸内の海や空にもつながるようなイメージで、ハンセン病の人たちやその家族の苦しみを解放するような、大きくてエネルギーを感じる作品だ。

 これらの作品は、これまでの歴史を、視覚や体験を通して伝え、アートならではの力を見せつける。

リングワンデルング内の「皮トンビ」
リングワンデルング内の「皮トンビ」

世界レベルの常設美術館も魅力

 ここまでは都会の美術館とは対極にある点を挙げてきたが、3つめとしては、ベネッセアートサイト直島が展開する世界的に稀少な、ベネッセハウス ミュージアムや、地中美術館、豊島美術館があることだろう。地中美術館や豊島美術館は、芸術祭の作品鑑賞パスポートは使えず、入場料を別途支払う必要があるが、芸術祭を訪れた人にとっては見ておきたいスポットとなっている。

写真は豊島美術館の外観
写真は豊島美術館の外観

 直島や豊島を中心とするこれらの常設美術館は、その土地に根差すように建てられた建築物や、選び尽くされた作品によって、鑑賞者からの熱い支持を受けている。しかも、自然や屋外の作品が多い里山型の瀬戸内国際芸術祭において、これら美術館の箱型の要素によって、芸術祭全体としての調和が図られているようにも感じられる。

 ベネッセハウス ミュージアムでは、有名アーティストの作品がぜいたくに並び、地中美術館にはクロード・モネの名作「睡蓮」シリーズや、ジェームズ・タレルの「オープン・フィールド」がある。豊島美術館を訪れた人は、その独特のたたずまいに、アートの奥深さを感じることになろう。

 この、アートを多面的に楽しめる3つの特異点によって、瀬戸内国際芸術祭は、国内外から多くの人を引き付けているのだろう。秋会期は9月28日から始まっており、11月4日までだ。

瀬戸内国際芸術祭の作品の数々。写真は「歩く方舟」(男木島)
瀬戸内国際芸術祭の作品の数々。写真は「歩く方舟」(男木島)
栗真由美さんの「記憶のボトル」(男木島)
栗真由美さんの「記憶のボトル」(男木島)
瓶の中に、島で見つけたものや島の人の思い出を入れている。暗い蔵の中に展示されている。上と同じ作品
瓶の中に、島で見つけたものや島の人の思い出を入れている。暗い蔵の中に展示されている。上と同じ作品
遠藤利克さんの「Trieb-家」(男木島)。会場は民家。天井から、水が落ちてくる迫力ある作品
[注1]来場者数は、瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局による。来場者数を正確に把握することが難しいため、カウント可能な基準施設を各会場に設定し、その合計を来場者数としている。2016年の第3回では、春夏秋の3会期で約104万人の来場者数と発表。ほとんどの作品を見られる作品鑑賞パスポートの販売数は、約8万枚と公表している。
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