日本IBMが高齢化社会へ向けた幅広い取り組みの一環として、同社のAI「IBM Watson(ワトソン)」を活用して「第二の人生(セカンドライフ)」の適職を診断するアプリケーションを開発。国際ジャーナリストのモーリー・ロバートソン氏を招いて先行体験会を実施した。
シニアの活力を社会に活用するために
日本IBMは「高齢化社会に希望を」という目標を掲げ、いくつかの大学や企業とさまざまな取り組みを行っている。2019年8月27日に公開した適職診断アプリケーション「Meet Your Second Life」は、東京大学と共同で行っているシニアの活力を社会に生かす研究で培われた技術や、各企業と共同開発したシステムが活用されている。
東大との共同研究では、日本の高齢者の労働に対するモチベーションが高いことに着目。シニア世代の8割に達するという“アクティブシニア”が社会を支える仕組みを確立することで、実質的な意味で「人口ピラミッドをひっくり返す」ような社会システムを構築するのを狙いとしている。
そのためには労働意欲を持ったシニア世代と、労働力を求める職場とのマッチングが必要だ。しかし現状はシニア側、職場側、それぞれの情報がデータ化されていない。働き手と仕事をマッチングさせる現状のシステムが、基本的にシニア世代“以外”を対象としているからだ。新しい働き方を支える新たなテクノロジーを開発したとしても、それがシニアに活用されないという問題もある。
日本IBMはこうした問題を解決するための実証実験や、シニア世代と職業とをマッチングさせるシステムを開発してきた。その成果を基に作られたのが、今回の適職診断アプリケーションだ。
実証実験でより明らかになったのは、シニア世代はスマートフォンやタブレット端末といったIT機器を手にしても、必要な機能を使うのに終始し、新たな機能やアプリを積極的に使いこなすのが苦手な傾向があるということ。例えばメールに対する返信はできても、積極的に自分からメールを送ることが苦手な人が少なくないという。シニア世代は新技術に対して受け身な人が多いのだ。
今回の適職診断アプリケーションには、そうした活動から得た知見が生かされているという。その一例が音声入力による一問一答形式の採用だ。音声入力ならITスキルが高くなくても利用しやすい。実際、受け身の高齢者に対して質問を積極的に投げかけ、一問一答形式で返答してもらったところ、好結果が得られたそうだ。
本文中、担当者の氏名に誤りがありました。「浅利乙香氏」とあったのは「浅里乙香氏」の間違いでした。本文は修正済みです。お詫びして訂正します。[2019/09/03 13:55]
モーリー・ロバートソン氏の適職は「マジシャン」
先行体験会ではゲストとしてモーリー・ロバートソン氏が登場した。国際ジャーナリスト、ミュージシャン、コメンテーター、DJと幅広い分野で活躍する同氏が、画面表示と音声によって出される質問に次々と答えていく。
「人前で話すのが得意ですか?」「新たな職場環境になじむことは得意ですか?」といったパーソナリティーに関する質問に、5段階で答えるものから始まる。その後、「あなたが好きな音楽と、どんなときに聴くかを教えていただけますか?」「10年後、どんなふうに過ごしていたいですか?」「あなたが好きなクルマと、好きな理由を教えてもらえますか?」といった質問が続く。こうした後半の質問には、人間に話しかけるように“文章”として答えていく。
音楽の質問に対しては「ダブステップです。クラブでDJをするときにかけています」、クルマの質問には、「ランボルギーニです。『パープル・ランボルギーニ』という曲が大好きなので、そのラップの曲の通りに足を上げた状態でランボルギーニに乗りたい!」といったように、ユーモラスに返答を重ねていくロバートソン氏。
適職診断アプリケーションが示した最適なセカンドライフのキャリアは「マジシャン」。他には「家事代行」「秘書」「カフェオーナー」などが上がっていた。
質問への返答を振り返りつつ、ロバートソン氏は「深層心理を言い当てているかも」。ディベートのときに相手の視点や論点をそらせる話術が必要なことは、マジシャンに通じるものがあるらしい。「質問にはマジで答えていたからな。マジじゃん」と周囲を笑わせることも忘れていなかった。
筆者が体験したところ、「農家」「秘書」「フードコーディネーター」、さらには「花屋」「ビール職人」「ファッション小売店経営」といった職業が上がっていた。現職のライターに関係する仕事が一切出てこないのが気になったが、セカンドキャリアの提示としては意外性があって逆に有効なのかもしれない。
ワトソンが声の調子や話し方を判断
体験を終え、適職診断アプリケーションについて日本IBMのマーケティング&コミュニケーション ブランド推進・宣伝の浅里乙香氏と、IBM Data and AI事業部 Watsonエヴァンジェリストの戸田亮氏に話を聞いた。
最も気になったのは、第二の人生に適した職業を診断する目的でありながら、現職に関する質問が全くなかったこと。これに対して浅里氏は、「そもそも今の職業がその人に適したものかどうか分からないため」と説明する。このアプリケーションでは「人前で話したり、会話をしたり、一緒に仕事をすることが好きかどうかといったように、仕事に必要となる性格的な部分についての問いかけをする」(浅里氏)。これが適職診断アプリケーションの特徴であり、こだわった部分。「今までされてきた仕事にかかわらず、性格や趣味趣向に沿った仕事を提案する」と浅里氏。
適職診断アプリケーションでワトソンが担った役割について戸田氏に質問したところ、「マイクから入力された音声をテキストに変換するのに加え、話者の性格に関する分析を行っている」とのこと。音声という非構造化データを構造化データに変換。さらにその音声を基にワトソンが話者の性格を分析し、適した職業を提示する仕組みだそうだ。
途中の質問から自由文での返答を求めてくる点も、このアプリケーションの特徴だ。ワトソンはどこまで詳細に分析しているかについて、戸田氏はこう語る。
「文章全体を判断している。ポイントは話している内容よりも、話し方の部分。特に自分を僕と呼ぶか、私と呼ぶか、あるいは“てにをは”をどれくらいきちんと含めるか、省略するか、さらに否定と肯定のどちらの言葉が多いかなど、“どんな言葉遣いをするか”に注目している」(戸田氏)
これは日本語の使い方が性格と強くリンクしているという研究結果を踏まえてのものだという。文意そのものよりも、文章を構成する要素のほうを重視しているわけだ。
「“てにをは”を省略する人はフランクで人当たりが柔らかかったり、逆に省かない人は相手に対して協調性や誠実性が高かったりといった判断をしている。性格だけがどんな職業に適しているかを決定する要素ではないが、重要な要素であることは間違いない」(戸田氏)
(写真/稲垣宗彦)