日本でSNSの活用の歴史は約10年。企業と顧客の関係性をどう変えて何をもたらしたのか。「日経クロストレンド FORUM 2019」で顧客時間の風間公太氏と、ピースオブケイクの徳力基彦氏が語り合った。
風間 ソーシャルメディアの歴史を振り返ると、2004年にFacebook、06年にTwitterがサービスを開始していますが、日本で使えるようになったのは両方とも08年のこと。この年はiPhoneが発売された年でもあります。
スマートフォンがあったからこそ、多くの人がソーシャルメディアを当然のように使うようになったわけで、翌09年が日本のソーシャルメディア活用の原点と言えるでしょう。そして、この時期に存在感を示していたのがブログです。徳力さんはいつから企業ブログのサポートをしていたのでしょうか。
徳力 日本のブログブームは03年から04年にかけてだと言われています。企業がいわゆるCGM(コンシューマー・ジェネレーテッド・メディア)をマーケティングに使い始めたのが05年ごろです。09年以前は「ソーシャルメディアマーケティング」という言葉もありませんでした。09年はマスメディアに加えて個人のメディアをどう使うかを考えるようになった年です。Twitterの場合は、相互フォローの仕組みが画期的でした。Twitterの登場で、企業がアカウントをつくるようになり、本格的に個人とコミュニケーションをするようになったのです。
風間 企業視点で見ると、顧客と同じ立場でコミュニケーションを取れる場ができたことは大きな意味がありました。09年から11年にかけてのソーシャルメディア黎明(れいめい)期は、資本力よりも人間力がものをいう時代だったと思います。それまでは企業が情報を伝えようとすると、マスメディアしかないがために、ある程度お金をかける必要がありましたが、ソーシャルメディアでは「中の人」と呼ばれる担当者の力量次第でフォロワーやリーチを増やすことができたのです。
東日本大震災でSNS広告に変化
徳力 最近ソーシャルメディアを使い始めた人たちにはピンとこないと思いますが、この頃のソーシャルメディアには広告メニューがなかったのです。うまく運用できていたのは、概して広告宣伝費予算が少なく、テレビCMにお金を使わない企業の担当者の創意工夫によるところが大きかったですね。
風間 黎明期には、実店舗を持つ小売業や飲食業が接客の延長線上で運用するスキルを発揮していました。対照的にメーカーは苦労していましたね。普段、顧客と直接的な接点がないためか、面白キャラをつくり込まないといけないという思い込みがあったように思います。
徳力 マスメディアでやっていた宣伝を、ソーシャルメディアでやればいいと思ってしまったのが誤りだったのでしょう。
風間 黎明期の投稿例に「かっこいい自転車はありますか」と尋ねたものがあります。この投稿の特徴は2つあります。1つは、電話やWebの問い合わせフォームではしない質問をしていること。もう1つは無印良品だけでなく、東急ハンズにも尋ねていることです。企業の垣根を越え、顧客とフラットな立場でコミュニケーションをするようになった例として印象的でした。
徳力 ソーシャルメディアがコミュニケーションの場であることを理解するのに良い例ですね。これを特殊と思うか、普通と思うかは企業によって差があるでしょう。当時は、公式アカウントに対して、「軟式アカウント」という言葉もありました。軟式アカウントであれば、「受けないといけない」「ふざけないといけない」と思い込んだ担当者もいました。
風間 小売業では店舗での会話は珍しいことではありません。デジタル接点ができても同じように顧客と会話しただけです。この他に、問い合わせが来る前に困っていそうなことを見つけてアプローチする「アクティブサポート」という運用も注目を集めました。
そして11年に東日本大震災が起きます。震災前と後でタイムラインの雰囲気が大きく変わりました。また、アカウント運用の後継者問題が浮上したのがこの頃でした。属人的なスキルに依存する部分が大きかったため、人事異動で担当者が変わると、これまでのような運用を継続できなくなったのです。
徳力 東日本大震災は、日本のソーシャルメディアの中でもTwitterに大きな影響を及ぼしました。携帯電話のインフラが止まるという教訓を得て、地方自治体が一気にインフラとして使うようになったのです。ネットに抱く悪いイメージが払拭された半面、組織としてやるべきことを担当者一人に押し付ける傾向が見られました。これもソーシャルメディアをコミュニケーションの場だと考えていなかったからだと思います。ソーシャルメディアをキャンペーンや宣伝の場と捉えるのか、コミュニケーションの場と捉えるのか。いまだにその問題は残っています。
風間 同じことが繰り返されていますよね。Webサイトの場合は担当者が辞めるからといって、閉鎖することはあり得ません。ソーシャルメディアの価値がそこまで高まっていないということだと思います。13年から18年をどう見ていますか。
徳力 この時期は広告安定期だと思います。TwitterもFacebookも広告メニューを整備したので、マスメディア全盛期と同じように、広告に多くの予算を投じることのできる企業がうまくソーシャルメディアを運用しているように見えました。ソーシャルメディア黎明期を知っている人間にとっては、マスメディアと同じようになったと感じるかもしれません。
ブランドを人格化するか、人をブランド化するか
風間 広告プラットフォームに成長した影響は大きいですね。今回、徳力さんにぜひ聞いてみたいのは、ブランドを人格化するか、人(担当者)をブランド化するかというテーマです。先ほどの後継者問題にもつながると思うのですが、考えを聞かせてもらえますか。
徳力 私の意見はかなり過激なので、少し割り引いて聞いてください。私はブロガーですから、企業も人としてソーシャルメディアを使ったほうがいいという立場です。日本では会社を代表して個人が意見を言うことが否定される傾向にありますが、顧客の立場から聞かれたことに答えることで、一人ひとりが「半分会社、半分個人」という立場でコミュニケーションをしてもいいと思います。
風間 企業アカウントの場合、とかく柔らかいコミュニケーションに注目が集まりますが、企業として正式なコミュニケーション窓口と位置付けるのであれば、中長期的視点が必要です。
その意味では、ソーシャルメディアの売り上げへの貢献をどう考えるかは企業にとっての大きな関心事です。良品計画時代、ある商品を投稿で紹介したところ、一気に人気が高まり、盛り上がった翌日には全国400店舗の売り場で目立つ位置を確保したことがありました。これができるのは、ソーシャルメディアの取り組み内容と価値を全社で共有しているからです。
また、森美術館のように、顧客に積極的に発信してもらう環境をつくることで、来場を増やすことに役立てている例もあります。個人がメディアになる時代には、ソーシャルメディアで場をつくることが重要になると思います。
徳力 今の美術館の例は、炎上と表裏一体の話ですね。風間さんの言うように、今のソーシャルメディアで起きていることは「ユーザーによるメディア化」です。ユーザーの怒りが可視化されると炎上が起きますが、逆に感動が可視化されるとビジネスに良い影響が出るのだと思います。
風間 企業ソーシャルメディアの活用事例の中には、この他にも知られていない数多くの成功があると思います。企業と顧客をつなぎ、関係を深めるための窓口としてソーシャルメディアが発展するよう、私たちは運用担当者を応援していくつもりです。
(写真/新関雅士)