「観戦数が3回を超えるとファンとして定着する」「川崎フロンターレ会員は競技場の北西部に多い」。Jリーグがビッグデータ分析を駆使してデジタルマーケティングの高度化を進めている。2014年に始まったデジタル活用の今とこれからをJリーグデジタル社長の出井宏明氏が明かした。

Jリーグにおけるデジタルマーケティング戦略のロードマップ。顧客体験の向上、ファンベースとビジネス機会の拡大を目指して2014年に戦略強化
Jリーグにおけるデジタルマーケティング戦略のロードマップ。顧客体験の向上、ファンベースとビジネス機会の拡大を目指して2014年に戦略強化

 サッカー「Jリーグ」の加盟クラブ数はJ1からJ3まで全部で55。AFCチャンピオンズリーグに参戦するようなトップクラブから地域密着型のクラブまで、事業規模も特性もさまざまだ。こうしたクラブ間の企業体力の差などを補い、日本のサッカー市場全体を盛り上げる仕組みづくりに取り組むのが日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)だ。その中でデジタル施策などを統括するJリーグデジタル社長の出井宏明氏が「日経クロストレンドFORUM2019」に登壇し、デジタル戦略の詳細について講演した。

「日経クロストレンドFORUM2019」で講演するJリーグデジタル社長の出井宏明氏(写真/新関雅士)
「日経クロストレンドFORUM2019」で講演するJリーグデジタル社長の出井宏明氏(写真/新関雅士)

 Jリーグがデジタル化に着手したのは2014年。公式サイトのリニューアルと選手の名前のSEO強化などを手始めに、せっかくサッカーに関心を持ってくれた人を失わないようにすることから始めた。

 16年は顧客データ基盤の整備に取り組んだ。サービスごとに存在していたIDを「JリーグID」に統一。17年は顧客データを活用して既存顧客の単価向上、新規顧客の獲得などを推進した。18年はBIツールの導入やプライベートDMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)の導入検討などを進め、19年は顧客体験の進化をテーマにさらなるデジタル活用を加速している。

ファンベース拡大に向けて、環境整備と活用支援を両輪とした戦略設計を進めている
ファンベース拡大に向けて、環境整備と活用支援を両輪とした戦略設計を進めている

ファン、パートナー、リーグの「三方よし」目指す

 出井氏によれば、デジタル戦略で重視した点は2つある。1つはファンベースの拡大に向けた環境整備と活用支援を両輪で進めることだ。リーグ主導で顧客データ基盤を整備し、データ活用のためのテクノロジー導入を進めても、実際にその仕組みを運用するのはファンと日常的に接する各クラブだ。専門人材を抱えるほど余裕のある大クラブでなくても、容易に運用できる仕組みをつくろうと考えた。

 もう1つはパートナーとの協業だ。顧客データ基盤はJリーグ主導で整備したが、チケット販売およびゲートシステム、EC、スマートフォンアプリ、スタジアムWifiなどのフロントサービスは、パートナー企業との協業で提供することにした。

 留意したのは、ファン、パートナー、リーグが「三方よしになること」と出井氏は語る。

データ活用のためのプラットフォーム構築をベースに、ファン、パートナー、リーグが「三方よし」になるようフロントサービスでの協業を進めている
データ活用のためのプラットフォーム構築をベースに、ファン、パートナー、リーグが「三方よし」になるようフロントサービスでの協業を進めている

 これらのフロントサービスの利用履歴は、全てJリーグIDを介して顧客データ基盤に蓄積される。例えば、新しいゲートシステムでは、スタジアムに入る瞬間に誰が試合を見にきたのかを把握できる。また、アプリは「誘い、誘われを起こす」というコンセプトを掲げ、既存のファンをターゲットにさまざまな機能を提供している。

 アプリ会員がポイントを貯めるとチケットが2枚もらえるなどの仕組みを提供しており、誰かと一緒に観戦してもらうことでファンの裾野を広げることを狙う。

 また、Jリーグやクラブの公式サイトの閲覧履歴も顧客データ基盤に格納される。こうした顧客データを分析し、顧客体験の向上とビジネス機会の拡大につなげている。

Jリーグが提供しているデジタルマーケティング環境のアウトライン
Jリーグが提供しているデジタルマーケティング環境のアウトライン

 データ活用を促す施策では次の2点に工夫を凝らした。1つは一部のクラブに協力を募り、成功する仕組みができてから他のクラブに展開するプロトタイピングである。これにはJリーグから「使ってください」と指示するより、仲間のクラブから「使った方がいい」と勧められた方が、より使いたくなる心理を利用する狙いがある。

 その代表例がスタジアムWifiだ。19年現在、鹿島、仙台、吹田、豊田など一部クラブのホームスタジアムでの採用にとどまるが、今後は全てのスタジアムへの展開を計画しているという。

各チームのデジタル人材を育成する

 もう1つがデジタル人材育成講座の開催だ。受講する担当者の知識レベルに合わせて3つのコースを用意し、自分たちでデータ活用のPDCAサイクルを回せるようサポートすることにした。各クラブでは専任スタッフを一人配置するだけでやっとというところも多い。この取り組みによる最大の効果は、クラブ間に仲間意識が生まれたことだという。出井氏は「講座が終わった後に必ず飲み会を設定するようにした」と述べ、クラブ間の担当者同士のネットワークが施策を進める上で良い効果をもたらしていると語る。

新規来場者の前回来場からの残存率のデータから「壁」が2つあることを発見した。1つは3回の壁、もう1つは6回の壁で、6回を超えると残存率が横ばいになる
新規来場者の前回来場からの残存率のデータから「壁」が2つあることを発見した。1つは3回の壁、もう1つは6回の壁で、6回を超えると残存率が横ばいになる
川崎フロンターレの会員がスタジアムの北西方面に多いことがデータから見えてきたという。北西には鉄道路線が走っており、経験則とも合致する。こうした分析をさらに進めてマーケティングの精緻化を目指す
川崎フロンターレの会員がスタジアムの北西方面に多いことがデータから見えてきたという。北西には鉄道路線が走っており、経験則とも合致する。こうした分析をさらに進めてマーケティングの精緻化を目指す

 データ活用から得られた知見も多い。例えば、「新規ファンが定着するには少なくとも3回の来場が必要」「川崎フロンターレのファンはスタジアム北西部に在住」などだ。この2つは経験則がデータから裏付けられた例であるが、新しい気づきもあった。他クラブのファンに人気のマスコットの存在から、「マスコットファン」というセグメントがあるという仮説を立てた。19年2月の「FUJI XEROX SUPER CUP 2019」の企画として、クラブマスコットに触れ合える「もふチケ」、全マスコットとの記念写真を撮影できる「超!もふチケ」を販売したところ、即時完売となった。

 1つのクラブだけのデータを見ていては分からなかったマスコット市場を発見できた例と出井氏は語る。

ファンベース拡大に向けて、動画や画像などのデジタルアセットを、より活用・拡散できる環境の整備を進める
ファンベース拡大に向けて、動画や画像などのデジタルアセットを、より活用・拡散できる環境の整備を進める

 Jリーグとしてこれから投資を強化したい領域は、動画や画像などのデジタル資産の活用と拡散を促す環境の整備という。動画については、すでに毎週のゴールハイライトを中心に制作したものが1万本を超えた。過去の全試合の映像もデジタル化が完了している。このデジタル資産をファンの体験向上や競技力向上に活用していく計画だ。

 さらに野球やバスケットボールなどの他の競技リーグとも協力し、週末に何らかのスポーツを見て過ごすライフスタイルの定着に向け、さまざまな施策を展開し、日本のスポーツを盛り上げていく考えだ。

(写真提供/Jリーグデジタル)

この記事をいいね!する