まだ見ぬ私に出会える。スマホで顔写真を撮って入力すると、最も似合うヘアスタイルが自分の顔と合わさった合成画像で表示される。花王の独自開発によるAIを搭載した、そんなアプリが登場した。パーソナライズな提案で「きれい」への欲求をかき立て、最後にヘアケア商品情報にひもづけるのだ。

 2019年4月、花王はヘアスタイリング剤「リーゼ」のブランド刷新に際し、プロモーションツールとして、AIプログラムを独自に開発したヘアスタイル提案アプリ「Style Change」をブランドサイトに導入。翌5月に日経BP主催の「人工知能サミット2019」で事例講演を行った開発担当者は、これを「ありそうでなかったAI」と紹介した。20~30代女性をターゲットにしたこのアプリ、開始後1週間のアクセス数は約6万回だった。

 「一人ひとりのきれいに貢献する」を使命とする花王は、販促や顧客との関係づくりに、AIをどう活用するのか?

ゲーム感覚で「きれい」への欲望かき立てる

リーゼのブランドサイトに導入したアプリ「Style Change」は、外見も好みも一人ひとり異なる利用者に対し、「おすすめの髪形と髪色を提案する本格的なヘアシミュレーター」(花王)である。日本ファッションスタイリスト協会監修の「Styling Map」というシステムで「顔の個性を数値化するAI」と、花王が自社でプ ログラムを開発した「髪の長さや状態を判別するAI」を搭載する。

 使い方は簡単。スマートフォンやタブレット端末で3つの情報をインプットする。まずは顔を撮影、そして肌(手首)の色となりたいイメージを選択して入力。これで完了だ。AIは顔立ちや骨格、髪の長さを分析し、髪形(30種類)とカラー(20種類)を組み合わせた全600通りの中から、その人に最適のヘアスタイルを選び出す。「最も似合うベスト3」と「髪の長さを変えずに印象チェンジの3タイプ」、この6通りのヘアスタイルが、自分の顔と合わさった“合成画像”で表示される。

撮影時の照明の影響を考慮し、コンピューターによる肌色の自動識別機能は現状では搭載していない。「肌の色」は利用者本人が手首の色をチェックする。なりたいイメージには「ゴージャス」「ワイルド」といった選択肢もあり、ゲーム感覚でアプリを楽しめる
撮影時の照明の影響を考慮し、コンピューターによる肌色の自動識別機能は現状では搭載していない。「肌の色」は利用者本人が手首の色をチェックする。なりたいイメージには「ゴージャス」「ワイルド」といった選択肢もあり、ゲーム感覚でアプリを楽しめる

 誰でも、こんな具合に遊べちゃうのだ。

 <1>顔をきちんと見せて撮影

撮影は明るい場所で、証明写真を撮るように顔正面をカメラにまっすぐ向ける。前髪が眉毛にかからないように撮るのがポイント
撮影は明るい場所で、証明写真を撮るように顔正面をカメラにまっすぐ向ける。前髪が眉毛にかからないように撮るのがポイント

 <2>顔立ち・骨格からタイプを判断

「顔立ちの個性」をAIが分類、数値化する。日本ファッショ ンスタイリスト協会監修によるStyling Map-APIを外部連携で利用
「顔立ちの個性」をAIが分類、数値化する。日本ファッショ ンスタイリスト協会監修によるStyling Map-APIを外部連携で利用

<3>タイプ別におすすめの髪形・髪色を提案

おすすめヘアスタイル6通りの“合成画像”を一覧で表示する。画面の右上に現れる指南役のお姉さんは、AIスタイリストという役柄の「リイゼさん」
おすすめヘアスタイル6通りの“合成画像”を一覧で表示する。画面の右上に現れる指南役のお姉さんは、AIスタイリストという役柄の「リイゼさん」
顔立ちや骨格をもとに、リイゼさんが利用者のタイプを判断し、似合う髪形×カラーの組み合わせを導き出す、という設定
顔立ちや骨格をもとに、リイゼさんが利用者のタイプを判断し、似合う髪形×カラーの組み合わせを導き出す、という設定
30種類の髪形×20種類のカラーを組み合わせた全600通りのヘアスタイルパターンを搭載
30種類の髪形×20種類のカラーを組み合わせた全600通りのヘアスタイルパターンを搭載

 イメチェン画像が気に入れば、そのヘアスタイルをつくるのに適した商品情報が得られる。泡で染めるカラーや、熱のダメージを低減するローション、形を整えやすくするフォームといったヘアスタイリング剤だ。そのほかヘアアイロンやコテなど道具の使い方アドバイスもあり、初心者にも分かりやすい(うまくできるかはともかく……)。

 利用者に語りかける言葉はフレンドリーだ。その一例が、「新しいあなたを見てみる」というフレーズ。ブランドコンセプトは「Happy New Me!」。「ヘアスタイルを変えて、いつもとは違う新しい自分に出会える楽しさ」を花王はうたう。誰もがゲーム感覚で楽しめる。楽しさの根底にあるのは、徹頭徹尾、「私が主役」。これだ。

 「似合う髪形が分からない……」と悩む女性にとって、Style Changeは「マジ使える」かもしれない。男性にも言えることだが、髪は人の印象を左右する重要なパーツなのだ。

 なかには今の自分の髪形に不満のない人もいるだろう。それでもまだ見ぬ私に出会う期待感、そして「私がきれいになる」ヒントを簡単に得られる“儲(もう)け感”。利用者にとって、これがStyle Change最大の価値だ。各人の顔立ちに合わせ、好みに近づけるヘアスタイルの提案は、プチ変身への欲求をふとかき立てる、かもしれない。

 本人さえ気づいていないかもしれない、そんなニーズまで探り当てる。この気軽なアプリの、楽しませつつも奥深いパーソナライゼーションは花王にとって、汎用品のあふれる市場で商品を差別化するための価値訴求になる。

ニーズに特化したAIは、ありそうでない

 花王でAI・機械学習システム設計を担当する情報システム部門 ESM部 アナリティクステクノロジーグループ グループリーダーの菅原英氏は、同社のAI活用についてこう語った。

 「日常会話を理解したり、性別や年齢、感情を判別するAIはすでに存在する。しかし、例えば食器洗いとか、ヘアスタイリングといったニーズに特化したAIサービスはありそうでないのが現実。花王としては、既存の技術やサービスの上手な使い方を考えながら、新たなAIの活用法も自分たちで開発に取り組む」(菅原氏)

 「一人ひとりの“なりたい姿”まで理解した上で、すべての人のきれいに貢献するのが花王の使命。理解を深め、知見を高め、商品やサービスで還元する。AIを使うのは、量と質の両面で活動の変革につなげるためだ。多くの人を瞬時に理解し、新たなサービスの提供や海外での展開も可能にする。AIの技術を介して、花王とお客さまとの間でパーソナライズ”に主眼を置いたおつきあいを何回も繰り返す。去年より今年、そして来年へとさらに理解が深まるようなループを描く関係を構築したい」(同)

顧客の“なりたい姿”まで理解して、知見を高め、商品やサービスで還元する。AIの技術を介し、パーソナライズに主眼を置く関係づくりを目指す
顧客の“なりたい姿”まで理解して、知見を高め、商品やサービスで還元する。AIの技術を介し、パーソナライズに主眼を置く関係づくりを目指す

膨大な研究データをAIに学習させた“武器”

 「どの企業よりも消費者のニーズを理解する」。「花王ウェイ」と呼ばれるこの行動規範に基づき、同社では一般消費者のヘアスタイル調査を30年以上にわたり継続している。10万を超える対象者の髪形・髪色を美容師研究員が分類し、トレンド分析と商品提案を行ってきた。しかし、SNSが普及した今、その手法は、いうなれば“時代遅れ”。かつては業界がつくる流行をマスコミが報じ、一般消費者がフォローするという流れをとらえやすかったが、今は誰もが発信者になれる。「人手を介した分析では追いつかない」(菅原氏)のだ。

今はSNSの普及で誰もが発信者になれる時代。市場調査や分析を人間が行うという従来のやり方では、現状のスピードに追いつかない
今はSNSの普及で誰もが発信者になれる時代。市場調査や分析を人間が行うという従来のやり方では、現状のスピードに追いつかない

 そこで、AIの力を活用する。花王は蓄積した膨大な研究データをAIに学習させ、ヘアスタイルを自動判別するAIプログラム「hAIr」の開発にチャレンジした。データは10万人超の画像にひもづけて、髪の長さ、前髪、ウエーブなどの子細な情報まですでに分類済みだ。この研究資産は花王の宝。他社が持たない武器になる――。こう考えた。

 「Googleなどの画像解析用APIサービスにもヘアスタイルに関するものがあるが、しかし、既存のものはウエーブの形や、前髪を上げているか下げているかまで細かく分類するタグ付け自体ない。まさに“ありそうでなかった”AIと言える」(同)

ヘアスタイルをAIで自動的に判別するソリューションを、自分たちで作ってみようとチャレンジした
ヘアスタイルをAIで自動的に判別するソリューションを、自分たちで作ってみようとチャレンジした

 興味深いのは、このAIプログラムhAIrは、もともとは社内の研究所用に開発したというウラ話。途中で「一般消費者向けに活用しては」とのアイデアが販売部門から上がり、ヘアスタイル提案アプリへと発想を広げたのだという。

 「髪形を認識するだけでなく、その人がどうありたいかまで深く分析するAIツールで、最後の最後に花王製品にひもづけ、よりパーソナライズな提案がしたい、と」(同)

 社内では 「早くやろう!」と幹部に背中を押され、試作段階から小売事業者らにも好評で、とんとん拍子に公開までこぎつけたというヘアスタイル提案アプリStyle Change。実は「人工知能サミット2019」においても花王のAI活用事例講演は、申し込み受け付け開始後いち早く満席になった講座の1つ。関心の高さがうかがえる。

ターゲットは、ヘアスタイルに関心が高く、スマホを使い慣れた20~30代女性。「見たことのない自分に出会う楽しさ」をコンセプトに、“ありそうでなかった”AIの開発に取り組んだ
ターゲットは、ヘアスタイルに関心が高く、スマホを使い慣れた20~30代女性。「見たことのない自分に出会う楽しさ」をコンセプトに、“ありそうでなかった”AIの開発に取り組んだ

 Style Changeはwebアプリ形式なのでアクセスは簡単。スマホに何かをインストールする必要はない。小売店のリーゼ売り場に設置したQRコードPOPや、リンクを張ったECサイトのHPなどから利用者を送客する仕組みだ。

 「今後、動画のリアルタイム処理やコンテンツの拡充にも挑戦したい」と菅原氏は力を込める。全国の美容室にも連動するようなサービスが実現したら、なお面白いだろう。きれいになる進化は止まらない。

(写真提供/花王)

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