日本でのMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の普及促進を目指す初の組織として2018年12月に立ち上がった「JCoMaaS(ジェイコマース)」。都市交通計画の中心的な研究者である横浜国立大学理事・副学長の中村文彦教授と、自動運転の第一人者として知られる東京大学の須田義大教授が参画。日本の交通をリードしている“両横綱”が見据えるMaaSの未来とは?注目の対談の前編をお届けする。
まずは、お二方の専門分野について改めて教えてください。
東京大学・須田義大氏(以下、須田氏) 私はもともと、鉄道車両や自動車を中心とした機械工学が専門で、そこから通信技術やサービス、自動運転技術などに研究範囲が広がっています。MaaSに関連して、18年10月に国土交通省が立ち上げた「都市と地方の新たなモビリティサービス懇談会」の委員も務めており、日本におけるMaaSの在り方などの議論を進めています。19年度からは国交省が予算を付けて、地域でのMaaS実証実験を促進する計画。また、経済産業省では国交省とも連携する形で「スマートモビリティ推進協議会(仮称)」を立ち上げる予定があるなど、国を挙げてさまざま動きが出てきています。
東京大学としては、18年7月に「東京大学 モビリティ・イノベーション連携研究機構(UTmobI)」を新設。自動運転を中心とした革新的なモビリティ研究をリードする組織で、千葉県柏市の東大柏キャンパスを主な舞台に自治体や交通事業者、柏ITS推進協議会と連携し、自動運転とMaaSに関連したプロジェクトを進めています。さらに学学連携としてモビリティ系の組織がある13大学と協議会をつくってさまざまな連携を進めており、その第1号の取り組みが戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)の受託事業として、東大と同志社大学の共同研究で始まります。自動運転が世の中をどう変えるのか、安全性に対するインパクトや環境性能などを定量的に予測するプロジェクトです。
横浜国立大学・中村文彦氏(以下、中村氏) 私は、都市交通計画が専門です。バスを中心にしていましたが、その情報通信の活用や海外の都市計画との比較なども行い、地域交通を考える上で鉄道や自動車のことも研究対象としています。現在、多くの都市の交通課題解決に取り組んでいますが、最近MaaSに関連しては「ヨコスカ×スマートモビリティ・チャレンジ推進協議会」を立ち上げました。
横須賀市は、日本の携帯電話の研究開発拠点だった「横須賀リサーチパーク(YRP)」の活性化や、東京都心から電車でわずか1時間の距離にあるにもかかわらず、厳しい人口減少の問題に直面しています。横須賀はリアス式海岸のように谷が入り組んでおり、最も高台にある住宅にたどり着くには約200段もある階段を上る必要がある。それでも、年金暮らしの高齢者は利便性の高いエリアに引っ越せないでいます。
このように横須賀はさまざま都市と交通の問題を抱えています。戦略タスクフォースには、日産自動車や京浜急行電鉄、パナソニック、NTTドコモなどが参画しており、MaaSによる課題解決のショーケースの1つとなるべく、取り組みを進めています。
MaaSで移動データの質が変わる
機械工学と都市交通計画という、まったく異なる専門分野ですが、MaaSという1つの到達点を互いが見据えている点が興味深いところです。これまで、お2人の接点はありましたか?
須田氏 東京大学で中村先生が助手をしていた頃(1993年)に、私はカナダのクイーンズ大学から東京大学に戻りました。そのとき、ちょうど「交通ラボ」という東大工学系の学科横断で研究プロジェクトを行ったことがありました。交通と名が付く研究をしている者がみんな集まり、自動運転や自動車と公共交通が連携したサービスなど、現在の研究や活動の原点となったプロジェクトです。そこで中村先生ともご一緒して、図書も出版しました。
中村氏 そうそう、交通ラボやりましたね。
須田氏 思えば、その頃から公共交通と自動車が協調していく社会、今でいうMaaSの基本概念となることを想像していましたよね。我々もしっかりキーワードをつくればよかったんですよ(笑)。
機械工学の分野において鉄道と自動車は“親戚”なのですが、これまでの歴史の中でこの2つはサービスとしてなかなか交わることがありませんでした。それが今や急速に変化していて、例えば西日本鉄道とトヨタ自動車が一緒にMaaSアプリ「my route(マイルート)」の実証実験に取り組むなど、新たな時代を迎えています。私が一生かかってもできないと思っていたことが今、急展開しているのでMaaSには非常に期待しています。
中村氏 なるほど。私は大学院生の頃からバスなどの都市交通システムと情報通信技術(ICT)に関心があって、85年に都営バスのデータ活用を研究しました。ICTの黎明期ですから取れるデータは基礎的なものでしたが、雨の日や乗車人数が多いバスの運行時間は遅れるなど、数字で交通を理解できることが画期的でした。
このようにICTの導入で人々の行動や事業の在り方が変わることは昔から分かっているのです。しかし、ICTへの投資は特に行政機関において予算を判断する際に、社会性の費用便益を計算しにくいのが難点。それでも、情報技術を活用して使いやすい公共交通にしないと、マイカーに依存している人は公共交通を使ってくれません。その点、情報技術を核とした取り組みであるMaaSは非常に期待できる動きで、今後それをどう発展させていくかが課題となります。
具体的にMaaSが社会や人々の生活に及ぼすインパクトはどう捉えていますか?
中村氏 私は現状抱える都市の課題に対して交通で解決できることがあるのではないかと取り組んできました。もちろん、MaaSでなくても解決できることはありますが、多くの可能性があると思っています。
その1つとして、MaaSは移動に対するハードルを一気に下げることができるでしょう。大都市では移動手段のいろいろな選択肢がありますが、かえって複雑で使いにくいことがあります。あらゆる交通手段を一括検索・予約・決済できるMaaSアプリがあることで、その複雑さは軽減されるかもしれません。私の母は一人暮らしをしているのですが、あるときパソコンの操作方法を教えるとネットショッピングのやり方を覚えて、彼女の人生は大きく変わりました。このようなことがMaaSでも起きるかもしれません。
また、人々がリアルタイムにどのような移動をしているのか、MaaSによって交通行動のデータの質が激変することを期待しています。これまでは「パーソントリップ調査」という非常にアナログ的な方法で交通行動を把握してきました。これは10年に1回、秋のある日についての交通行動を手書きで用紙に書いてもらうという方法で、現在の交通計画はこれを基にしている。しかしMaaSが普及すれば、もっと多くのユーザーの実際の行動が可視化されるので、交通計画での分析の精度が格段に向上するでしょう。
須田氏 交通データという側面では、自動車はETC 2.0を活用して交通行動を細かく把握できています。自動車以外でも、Suicaなどの交通系ICカードである程度情報は取れていますし、NTTドコモの「モバイル空間統計」などもあります。それらにより、都市単位で詳細かつリアルタイムでデータが使えるようになると、MaaSで実現できる機能も増えてくると思います。
一方で、ユーザー側の視点に転じると、MaaSは人々のライフスタイルまで変えるインパクトがある。世界では、もうすでに大きく変わってきています。例えば、ライドシェアのような新しいモビリティサービスは、私たちの世代ではなかなか普及しないと思っていましたが、世界的に受け入れられています。東京都内ではマイカーが減っており、自動運転を研究している私のところにも、運転免許を持っていない学生が来る時代ですから。新しいモビリティサービスと、それによって実現できるライフスタイルのバランスのよい方向に持っていきたいと思っています。
中村氏 私は交通の需要とは本来、何らかの「目的」の派生だと考えています。例えば、JR山手線を利用している人は、乗車自体が目的なのではなくて、買い物など何らかの用事があって乗っているわけです。したがって、目的先が変わらないとなかなか移動も変わりません。
しかし、移動は主観的なものです。私の趣味である音楽を例にとると、横浜アリーナでのコンサートに行きやすいと思っている人は、好きなアーティストのイベントがあればパッと駆け付けるわけです。その半面、横浜アリーナまでの行き方が分からない、行きにくいと感じていると、足が遠のきます。つまり、何らかの目的に対して、「行きやすい」と考えられる状態をつくると、人の行動は変わる。MaaSは、その行きやすさを向上させるものなので、暮らしや移動がガラッと変わるかもしれません。
(後編 に続く)
(写真/古立康三)