ソニーは2019年2月20日、優れた人材、技術・デザイン力、多岐にわたる販路、資金調達などを総動員して、紙1枚のアイデアからでも事業化を支援する「SSAP」を発表した。ソニーのアセットと総合力を惜しみなく投入してでも、この新規サービスで手に入れたかったものとは何だったのか。

SSAPの前身「SAP」で事業化が決まったハイブリッド型スマートウオッチ「wena wrist」のプロトタイプ
SSAPの前身「SAP」で事業化が決まったハイブリッド型スマートウオッチ「wena wrist」のプロトタイプ

 ソニー社内のクリエイターたちが温めてきたアイデアの種を、事業化する取り組みとして14年に始まった「Seed Acceleration Program(SAP)」は、5年間の活動で多数の実績とノウハウを蓄積。その成果を、同社は社外の大企業やベンチャー企業、大学、NPOにも開放し、「Sony Startup Acceleration Program(SSAP)」として事業化した。

SSAPは大企業やベンチャー企業、大学、NPOからアイデアや人材を受け入れ、ノウハウや環境を提供する
SSAPは大企業やベンチャー企業、大学、NPOからアイデアや人材を受け入れ、ノウハウや環境を提供する

 SAPの立ち上げからプロジェクトのリーダーを務めてきたソニー Startup Acceleration部門 副部門長 Startup Acceleration部 統括部長 兼 Open Innovation & Collaboration部 統括部長の小田島伸至氏は、SSAPの特徴についてこう説明する。

 「これまでのソニーのオープン・イノベーションは、ハードウエアやIP(知的財産)の提供、自社のアセットの活用、出資などで協業を始めて、クリエイターのビジョンを実現させてきた。これからは『ノウハウと環境の提供』という新しいアプローチも加えていく。それによって、かなり早く共同開発を実現していけるようになる」

ソニー Startup Acceleration 部門 副部門長の小田島伸至氏
ソニー Startup Acceleration 部門 副部門長の小田島伸至氏

 小田島氏の言葉通り、社員のジャスト・アイデアを事業化し、拡大まで請け負うノウハウの提供は、サービスの対象となる企業や大学にとってSSAPの魅力となり得たか。それを確かめるべく、18年10月からSSAPの前身である「SAP(Seed Acceleration Program)」に参画している京セラに話を聞いた。

京セラの新技術に優れたUXを付加するノウハウを提供

 京セラ 研究開発本部 システム研究開発統括部 ソフトウェア研究所 副所長の横山敦氏は言う。

 「(SAPで)良かったと思うのは、技術力の実績に基づいたノウハウ、情報の信頼感」

京セラ 研究開発本部 システム研究開発統括部 ソフトウェア研究所 副所長の横山敦氏
京セラ 研究開発本部 システム研究開発統括部 ソフトウェア研究所 副所長の横山敦氏

 京セラは材料やデバイスでは、優れたノウハウや技術を持ち合わせていた。そこで一般の消費者に、価値を付けて提供する新しいイノベーション力、新規事業のノウハウ、価値の最大化のプロセスなどを学びながら、新たな技術を製品へと仕上げるため、SAPに参画した。現在は京セラ独自の圧電デバイス技術について、製品化の実証検証を支援するインキュベーションの段階にある。その結果を受け、事業化の判断が今年4月中に下される予定だという。

 「自社で作ってもある程度できると思うが、今回、ソニー流の価値を付加した結果、製品に新しいUX(ユーザー体験)を与えることができた。(京セラの)最先端のデバイスとソニーの最先端の考え方やデザインが組み合わさることで、一般消費者に対して、さらにステップアップできた」(横山氏)

京セラがソニーのSAPの支援の下、事業化に取り組んできた圧電素子を使った「オーディオ/振動アクチュエーター」の解説
京セラがソニーのSAPの支援の下、事業化に取り組んできた圧電素子を使った「オーディオ/振動アクチュエーター」の解説

 確かにソニーの総合力を注ぎ込み、売れる製品にまで持っていくノウハウを吸収したほうにはメリットがあるだろう。逆に時間とコストをかけて蓄積したノウハウを提供するソニーにとっては、何か埋め合わせられるだけの“実入り”でもあるのだろうか。ある種の損失につながりはしないか。

 小田島氏に尋ねると、予想とは正反対の答えが返ってきた。

ソニーの“人”に対する信頼感を高めるサービス

 「(SSAPの)ノウハウは、差し障りのないものはどんどん公開していこうと思っています。全く同じやり方をまねしていただいてもいい」と小田島氏は言い切る。

 「他社と(協業を)始めてみたけれど、相手のマインドセットがそうでもなくて、時間が無駄になるということがよくある。これが同じくらい熱していると、一気に話が進む。その状態を先に作っていてほしいので、(ソニー側は)ノウハウをどんどん提供していく。そうしないと、なかなか事業は生まれない。これは事業を生むことがポイントだから」(小田島氏)

 SSAPの目的はあくまでも「事業を生み出すこと」で、「ノウハウの提供」はそのために不可欠な手段というわけだ。

 先に述べたように、小田島氏はソニーのオープン・イノベーションにはないSSAPの強みとして「ノウハウ」と並んで「環境」を挙げた。その代表格が、インキュベーションのフェーズで「アクセラレーター」たちが支援してくれる「環境」だろう。

 アクセラレーターとは、豊富な実戦経験を誇る同社の社員だ。彼らは対象者に伴走しながら、ビジネスデザイン、セールス&マーケティング、コミュニケーション・海外戦略、技術戦略、財務戦略、商品企画、経営管理、デザインなど、おのおのの専門分野の知識や技術力によって、商品・サービスの開発や新規案件の事業化・収益化を支援する。

 京セラの横山氏は振り返る。「他社だからどうのというのではなく、常に率直なところでたくさんの方に伴走してもらえた。そういうホスピタリティーというか、『人に対する信頼感』が非常に高かった」。

SSAPのアクセラレーター。各専門分野に精通した経験豊かなソニーの社員が常時100人以上控えている
SSAPのアクセラレーター。各専門分野に精通した経験豊かなソニーの社員が常時100人以上控えている

必要なら、ソニー“未使用”の最新技術でさえ提供する

 ノウハウや環境だけではない。小田島氏は必要であれば、メーカーの命ともいえる最新技術でさえ差し出すという。たとえその技術が、ソニー社内で“未使用”だったとしてもだ。虎の子の技術を提供するのだから、全くハードルがないわけでもないが、それにしても思い切ったものだ。

 「『違う所でやったほうがいい』という場合もありますが、ソニーの最新技術を入れたものもある。そこは社内で相談しながら判断する」(小田島氏)

 「紙1枚のアイデア」とはいうものの、SSAPは相手が希望するすべての案件を受け入るわけではない。それでは今後、どのような条件でターゲットを選ぶのだろう。

 「割とシンプルで、チームの能力、ユニークネス、論理だった実現計画が書けているか、競争優位性、実現性、この5つのポイントを見ている」(小田島氏)

 また料金設定については「(費用や期間は)なるべく自然の摂理でやりたい。最初、期間は最初3カ月くらい、費用は数百万円くらいから始める。見返りは何か、リターンは何か、毎回、相手の財務状況を見ながらやっていくことを考えている」と小田島氏。

 「SSAPは“オール・インクルーシブ型”なので、それぞれのプログラムで体系を変える。例えばコンサルティングしながらフィーをいただくこともあるし、逆にベンチャー企業によくある話だが、『今はお金がないのでうまくいった暁に』という話もある。レベニューシェアや優先交渉権なども含めてやっていく」(小田島氏)

 収益方法の柔軟性を含め、SSAPがオープン・イノベーションをベースとしたビジネスであることは理解できる。しかしソニーが提供するアセットや人材といった総合力の大きさを考えると、SSAPが自社に対し、それらのコストに見合うだけの貢献を果たせるサービスといえるのだろうか。

優れたアイデアと人材を集めてソニーに貢献

 「われわれがやりたいのは事業なので、優れたアイデア、優れた人材に入っていただいて、一緒にやっていくのが一番のポイント。その際、新しいものを生み出す『ソニー』というシンボル、軸が重要になってくる。そこにスタートアップや起業したい人材が集まるということ」(小田島氏)

 つまり、優れたアイデアと人材を集めて新しい事業を生み出すことが、ソニーに対する重要な貢献になるわけだ。

 「世の中がそうなってきていると思うが、ソニーのリソースだけだと“ソニーの尺”以上に大きくならない。基本的には他社と組んでコレクティブ・インパクト(Collective Impact=互いの強みやノウハウを持ち寄って、課題を解決するアプローチ)を作っていく。完全に共存共栄の時代に入ったのではないかと思う」(小田島氏)

 最後に、社内向けのSAPから「ソニー」の名前を冠した社外向けのSSAPになったことで、一番変わることは何かと尋ねると小田島氏は目を輝かせて答えた。

 「ソニーの限られた人数から、無限に広がる感じになっている。シームレスに社外と組めれば、恐らくものすごくたくさんの事業を生んでいけるだろう。そこは(SAPのときと)変わってきて、今はアイデアの個数が二桁以上ある感じ」

 ソニーの最新事業SSAPが目指すのは、オープン・イノベーションの先にある完全共存共栄の事業創出・拡大ビジネスを推進することで、自社の人材や技術などの枠を超えたスケールで新たな市場を創出する、一つの「次世代型のマーケティング手法」なのだろう。

(写真/酒井康治=日経クロストレンド)

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