オンライン企業を創業して成功するなど、起業家の顔も持つ米ニューヨーク大学教授のポール・ローマー氏が2018年のノーベル経済学賞を受賞した。「イノベーションと経済成長との関係を理論化した」ことが受賞理由とされるが、その理論は難解。そこで多摩大学大学院の紺野登教授に読み解いていただいた。

「内生的経済成長理論」と呼ばれる理論を確立したポール・ローマー氏(写真:UPI/アフロ)
「内生的経済成長理論」と呼ばれる理論を確立したポール・ローマー氏(写真:UPI/アフロ)

 ポール・ローマー氏は、「内生的経済成長理論」と呼ばれる理論を確立した世界的経済学者の一人で、「技術的イノベーションを長期マクロ経済分析に統合した」貢献が評価された。1997年に米タイムの「米国で最も影響力のある25人」に選出されたことがあり、これまでもノーベル経済学賞の有力候補と見なされていた。

 しかし、ローマー氏の論文、著作は日本語で出版されておらず、日本ではローマー理論に対する認識が低かったのは残念である。筆者は一橋大学名誉教授の野中郁次郎氏との共著『知識創造経営のプリンシプル』でローマー氏の理論と実践について紹介し、これまで十数回開催してきた学際的な場である「トポス会議」にビデオで登場していただいたこともある。

 ローマー氏は、経済学の異端児である。人々に実用益をもたらす経済学を主張し、従来のマクロ経済研究を批判する一方、世界銀行のチーフ・エコノミストも務めていた。オンライン教育事業を立ち上げて、成功を収めている起業家の顔も持っている。

 今回の経済学賞は「炭素税の提唱者」として知られるウィリアム・ノードハウス氏との共同受賞だった。これは、国家や企業にとって「イノベーション」と「環境」とが経済的成長の鍵になるという、心すべきメッセージであろう。

知識創造に注目した「内生的経済成長理論」

 ローマー氏が提唱しているのは、「知識イノベーションがもたらす長期的成長」に関する理論である。アダム・スミスの頃から、技術革新が経済成長に大きな影響を与えることは認識されていた。にもかかわらず、新古典派のマクロ経済研究では、新技術の創造(=イノベーション)をモデル化できず、人口成長率(という外生的要因)で経済成長率が決定されるとしてきた。

 新古典派の理論に従うと、例えば、発展途上国の人口成長率を(ほぼ)同じだと仮定すると、各国の経済成長率は一定水準に落ち着くはずである(=ほとんど同じ水準になる)。しかし実際の経済成長は人口とは関係ない要因によって、高くなったり低いままだったりする。

 そこで、技術的な変化を成長要因として考慮に入れた理論として、80年代に登場してきたのが内生的理論である。新古典派の理論では採り入れていなかった、企業の研究開発などで生み出される人間の知識やアイデアを、経済成長を左右する変数として採用したのだ。

 ローマー氏は90年の論文で「知識は、使用してもなくならない」という特性に着目。企業内の個人や組織が生んだアイデアや革新的技術が、社会的資本として共有され、他の企業にも伝搬することで、それが最終的にどのように国家の生産性を向上させるのかを明らかにした。

 また知識は、研究開発に投じられる人員(人的資本)と、蓄積された知識の量によって増加していくが、それを応用した技術革新(イノベーション)が、どのようにして製品や事業の開発に結びつくかは国家の政策などにも依存する、とした。

 しかし、P.ドラッカーの著作を引くまでもなく、これだけなら、いわば常識的な洞察である。

知識イノベーションをめぐる3者の関係
知識イノベーションをめぐる3者の関係

 ローマー氏が優れていたのは、例えば単に新技術だけを見るのでなく、社会や企業がその新技術について有効なルールを発見し、それをどう適用(実用化)するのかという能力が成長の要因になるとした点である。

 例えば特許や知的財産戦略を考える際には、規制のためのルールでなく、新しい特許などを生み出す意欲を高める制度設計をするというバランスが必要で、特許を軸に企業や人々の相互作用を生み出す社会的規範、ルールこそが重要とした。

 80年代から進んだアイデアのグローバルな流れ(知識の流通)は経済を発展させ、世界を変化させてきた。そのハブになったのは建物の集まりとしての都市や、産業の集積としての都市ではなく、人々のアイデアや知識が交わる「場」としての「都市」であった。

 それは個人の欲求、人的資本、社会的関係資本を結びつける場であり、いわゆるコワーキングスペース、フューチャーセンター、イノベーションセンター、リビングラボのような場が、イノベーションを生み出すのである。

 こうした考えからローマー氏は、「チャーター(憲章)都市」という構想を打ち出し、ニューヨーク大学で「都市化プロジェクト」を立ち上げている。これはルールに基づく知の場としての「経済特区」を創設し、発展途上国の政策者が都市の成長による経済的機会を享受できるように、社会改革を支援するプロジェクトである。

日本のイノベーションに必須の構想力

 昨今、日本でもイノベーションが一種のブームとさえなっているが、その本質を理解しないまま海外企業のノウハウをまねたり、担当組織を設置してもイノベーションを起こし得るのかどうかは疑問であろう。

 では、企業のイノベーションに、ローマー理論は役立つだろうか。理論的には、より多くの人的資本を蓄積した国家がより成長するはずだが、日本は停滞している。あくまで私見だが、日本をローマー的視点から見ると以下のような指摘ができる。

ローマー理論から見た「日本企業の課題」
ローマー理論から見た「日本企業の課題」

 筆者はこういった状況を乗り越えるには、個と組織、そして国家の「構想力」が不可欠と考える。いわばビッグピクチャーを描く力だ。21世紀の社会にふさわしい都市構想、事業をリニアな価値連鎖ではなくエコシステム(生態系)として捉える観点、企業と大学と国家がより協調する基礎研究政策、構想を具現化するイノベーションのプロジェクトマネジメント方法論(目的工学)開発などが、イノベーションを起こすと考えている。

 企業においては知識創造を中核に据えた「イノベーション経営」と組織文化への転換を導く全員の構想力が必須だと思われる。

 リーマンショックから10年。日本企業の利益は横ばいのままだ。米国は大型投資や産業の主役交代、新規分野拡大で回復を果たし、中国はその米国をGDPで抜き去ろうとしている。成長の鍵はイノベーションなのだ。

 折しも、筆者が代表理事を務めている一般社団法人ジャパン・イノベーション・ネットワーク(JIN)では、イノベーション経営の国際的な標準化(ISO)活動に関わっている。その意味は、イノベーション経営に関する知識がグローバルに伝搬し、早晩いかなる国家や企業も実践できるようになるということである。つまり、「我が社はイノベーションには無関係だ」といった回避は許されなくなる。

 今回、ローマー氏が経済学賞を受賞したことが示唆する意味を、真摯に受け止める時期が来た。さもなくば、さらなる沈滞を免れえない。

イノベーションを実現するための行動指針
 今回ローマー教授の業績を解説してもらった紺野教授が代表理事を務めるジャパン・イノベーション・ネットワーク(JIN)は、「大企業からはイノベーションは興らないという定説を覆すために、大企業・中堅企業のイノベーションを支援。イノベーションを興し続ける企業を、第一段階で100社生み出し、日本をイノベーションが興り続けるイノベーション国家に変革する」ことを目指している一般社団法人である。
イノベーションを興すための経営陣の5つの行動指針(一般社団法人ジャパン・イノベーション・ネットワーク「イノベーション100委員会レポート」から)
イノベーションを興すための経営陣の5つの行動指針(一般社団法人ジャパン・イノベーション・ネットワーク「イノベーション100委員会レポート」から)

 活動内容は多岐にわたるが、その1つとして、企業経営者をメンバーとした「イノベーション100委員会」を組織。さまざまな提言活動を展開している。その1つが、上に示した「イノベーションを興すための経営陣の5つの行動指針」だ。

 「指針1:経営者は変化を見定め、変革のビジョンを発信し、断行する」「指針2:創造性と効率性、2階建ての経営を実現する」「指針3:価値起点で事業を創る仕組みを構築する」「指針4:社員が存分に試行錯誤できる環境を整備する」「指針5:組織内外の壁を越えた協働を推進する」など主に経営者に向けて、具体的な行動を呼びかける内容になっている。

 このうち「2階建ての経営」という言葉は聞きなじみがないかもしれない。これは、従来の本業(1階)での効率的な事業展開と、事業創造活動(2階)とを両立させる経営のことを指している。

 こうした活動に加えて、紺野教授の記事にもあるように、ISOが進めているイノベーションマネジメント(経営)の標準化(ISO化)についても関わる。JINの提言やISO化などは、暗中模索で取り組むケースが多いイノベーション実現の手掛かりとなる可能性があるだろう。(安倍俊廣)
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