エステーの鹿毛康司氏といえば、「消臭力」や「ムシューダ」「米唐番」などのユニークなCMシリーズを手掛けてきた日本を代表するクリエイター。同社の執行役を務めながら、エグゼクティブ・クリエイティブディレクターとして今も年間10本程度のCM制作に携わっている。一方、TVISION INSIGHTSは、モーションセンサーカメラを使って視聴者の顔の向きをリアルタイムで計測し、実際にテレビ画面を見ているかどうか、独自のアルゴリズムで「注視度:AI(アテンション・インデックス)値」を分析しているユニークなスタートアップだ。視聴者を強烈に引き付けるエステーのCMの秘密を、TVISION INSIGHTSのデータで解き明かす対談企画の前編をお届けする。

TVISION INSIGHTS 郡谷康士氏(以下、郡谷) 当社が計測しているデータは、従来の「視聴率」と区別する意味で、「視聴質」と呼んでいます。先日、その核となるAI値(注視度)を基にした「2017年度 業種別テレビCM注視度ランキング」を発表したのですが、そのなかでエステーの「消臭力『愛と平和と消臭力』篇30秒」が化粧品・トイレタリー部門で圧倒的な1位を獲得しました。また、以前発表した年間総合ランキングでは、並み居る大手企業を抑えて4位につけています。
エステー 鹿毛康司氏(以下、鹿毛) いきなりのプレゼントで、率直にうれしいです。
郡谷 我々のランキングは、1000GRP(GRP=延べ視聴率)以上流れたテレビCMにおける1000GRP時点のAI値を抽出していまして、数値が高いほどCM放送時に視聴者が画面を注視した時間が長く、人数が多い傾向にあることを示しています。
鹿毛 CM放送回数が関係なくて、素のクリエイティビティーを評価されているのがありがたいですよね。放送後の意識調査で「好きなCMは?」と聞くと、どうしても広告の出稿量が結果に関係してきてしまう。その点、リアルタイムでテレビ画面を見ているかどうかは「人の行動」ですから、クリエイティブ評価に“ウソ”がない。このデータは生身の人間の行動を数字に置き換えたもので、クリエイティブへのピュアな評価ですよ。
郡谷 ありがとうございます。ちなみに、1位になった「消臭力『愛と平和と消臭力』篇30秒」のAI値は「0.94」で、化粧品・トイレタリー全体の平均値が「0.72」ですから、大幅に高い数字です。実際の毎秒データを見てみましょうか。
鹿毛 ええ、お願いします。
郡谷 冒頭からF1層(女性20~34歳)とF2層(女性35~49歳)のAI値が高い状態ですね。特にF1層は6秒目あたりからぐいぐい作品に引き込まれて、最後までAI値が高い水準です。最初、西川貴教さんが稲刈りするシーンから入っていて、バックに「刈ってみようか、置いてみようよ~」と音楽が流れます。そして、床屋さんのシーンに切り替わって「(バリカンで)刈ってみようか、押してみようよ」などと続いていく構成。その小気味いい場面転換のたび、西川さんの歌う楽曲に「ハッ」と合いの手が入っていて、視聴者はそこに反応しているようです。
鹿毛 エステーのCMって、ただ面白ければいいみたいにノリで作っていると勘違いされますが、実はしっかり計算しているんです。普通は企業がマーケティング戦略を考えて広告会社やCM制作会社に委託するんですが、僕の場合は、戦略をつくる人とクリエイティブをやる人とを同時にやるので、戦略とクリエイティブと行ったり来たりがとてもしやすい。そういう意味で有利な作り方ができます。
郡谷 制作会社さんに任せ切りではなくて。
鹿毛 共存体制です。企業理念から経営戦略、マーケティング戦略まで、一気通貫でCMに落とし込むことは一方通行だとできにくい。この両方をやることはとてもまれな事例だと思いますが、クリエイティブをしながら戦略に立ち戻ったり、逆に戦略をどうクリエイティブで表現するかを見つめ直したり、行ったり来たりの振り子のような動きをすると、整合性がとれるし強いものがつくれる。僕の場合、とうとう自分で作曲したり監督までしたりして(笑)。
郡谷 そもそも企画・制作体制からして違うと。具体的には、どうやって視聴者の目をくぎ付けにしているんですか?
鹿毛 先ほどの消臭力の「愛と平和と消臭力篇」における「ハッ」という合いの手もそうですが、最新の消臭力のCM「仕事を遊ぼう篇」も見てください。イントロで、目覚まし時計に模した消臭力のパッケージから「ジリリーン」と音がして、そこから西川貴教さんの「イエーイ、イエーイ、イエーーイ」という歌が入り、視聴者は思わず目がいく。放送量の少なさをカバーして、さらに商品に目を向けさせる戦略とクリエイティブの行ったり来たりの結果出てくるアイデアです。
郡谷 確かに、テレビをつけていたら「何だ何だ」と目がいきますね。
鹿毛 どうしてアテンションが重要かというと、テレビCMを作って視聴者に訴求するということは、例えば無数のネオンサインがきらめく歌舞伎町に小さな看板を出すようなもの。1カ月で4000種類くらいのCMが放送されるなかで、視聴者の目に留まるのは本当にごく僅かですよ。だから、エステーと競合する日用品メーカーは、花王さんにしろP&Gさんにしろ、数百億円規模で広告費を投入してGRPを稼ぐわけです。ある意味、“力技”で面を取る戦略。しかし、エステーがかけられる予算は数十億円ですから、自ずと競合大手と同じ戦略は取れません。
郡谷 広告宣伝費としては雲泥の差があるんですね。
鹿毛 そうです。また、広告宣伝のセオリーとして、AIDMA(アイドマ)がありますよね。Attention(注意)→ Interest(関心)→ Desire(欲求)→ Memory(記憶)→ Action(行動)の頭文字を取ったもので、今もこの法則は有効だと思っているのですが、でもこの情報量の多い時代にそれだけでいいのかと。僕は、AIDMAの前にもう一つの「A(Attention)」が必要だと考えています。いわば、「A-AIDMA」です。最初に強烈なアテンションを生んで、一つひとつのクリエイティブが視聴者に届く確度を上げる工夫が必要なんです。そういう意味では、郡谷さんが取り組んでいるAI値は「本当に見られているのかどうか」を示すので、クリエイティブの指標としては非常に重要な示唆があると思います。
郡谷 ありがとうございます。
鹿毛 極めて感覚的ですが、そもそもCMの8割ぐらいは見られていないでしょう? だから、みんな出稿量(GRP)で強さを出すわけですよ。企業の宣伝担当者は社内で出稿量は発表しますが、クリエイティブの評価はなかなか発表できない。もし発表すると、怒られるかも(笑)。
郡谷 そうなるかもしれません(笑)。
鹿毛 広告業界も、テレビにしろ雑誌にしろ枠を売ることが前提になっています。実は広告が視聴者に届くかどうかの議論がそこにはなく、過去の一般的な平均値で、どれだけ枠を取ればどれだけ届くという前提のビジネスモデルです。クリエイティブ視点はそこにありません。実際にどう見られているかを解明すればもっと広告業界にとっては前進すると思います。
郡谷 我々も、こんな指標もあるということで、提案させてもらっています。
鹿毛 そこは応援しますよ。
心に残るCMは目線移動が激しい?

鹿毛 あまり褒めてばかりだと何なので、ここからはちょっと切り込みます(笑)。視聴者の目がテレビ画面に向いているかどうかは重要なんですが、一方でクリエイティブ側としては画面の「どこを見ているか」も大切にしているんです。
郡谷 確かに現状のシステムでは目線の動きまでは取れていません。F1(女性20~34歳)やM1(男性20~34歳)といった視聴者の属性ごとにAI値がどの秒で上がっているかは確認できますが……。
鹿毛 CMのどのタイミングで見られているかも必要なんですが、同時に視聴者の目が画面のどこを見て移動しているのかが重要です。過去いろいろ世の中の他社CMを分析したんですが、例えば訴求したい商品には目がいかずタレントさんの顔や美術に目がいっていることが多いですね。また、たぶん企業側が情報を詰め込み過ぎたのだと思われますが、同じ画面でも視線が分散されて、結局何も心に残らない結果になったりしています。僕の場合は、アテンションを取るということだけではなく、どのタイミングでどこに目線を持っていきたいかということはかなり設計しています。


郡谷 我々がお付き合いしているある企業は、AI値のトータルは高いのですが、毎秒のAI値の推移を分析すると、実はストーリーを面白くしようと頑張るばかりに、伝えたいメッセージが出てくる段階でAI値がぐっと下がっている。本当に伝えたいことが、実は視聴者に見られていないという悩みを抱えています。
鹿毛 それ、本当に悩みどころなんですよね。CMの目的をつくる企業側の思惑と、クリエイティブをつくる(側の)思惑が一致しないんですよね。これは意外と難しい。CMが見られるだけでなく、商品やサービスに着地させないといけない。そういう作り方をしないと本当はいけないんですけどね。
それと、僕が意識しているのは、目線移動ができるだけ大きくなることです。目線移動が大きいほどCMはヒットすると、私は経験論で確信しています。エステーの消臭力のCMは、かなり目線移動を大きくしています。純粋なクリエイティブ評価であるTVISIONさんのランキングで上位に入りました。こうなると少ない出稿量でもヒットしたりします。クリエイティブと出稿量の掛け算が影響するCM総合研究所発表のCM好感度ランキングでもトップクラスに入りました。
郡谷 その目線移動の大きさとCMヒットの法則、いずれデータ化させてください。現状のシステムでは人の顔に21個の特徴点を付けて、その距離を測ることで顔の全体の向きを測っていますが、目線を追うことも技術的には不可能ではありませんから、ぜひ。
(後編に続く)
(写真/高山 透)