2018年3月に群馬県が発表したデータは衝撃的だった。「4人に1人は100mの移動に自家用車を利用」しており、鉄道やバスを含めた「公共交通の利用は僅か2.8%」といい、今や米国以上に「自動車大国」となっている日本の現状があらわになった。モビリティ革命「MaaS(Mobility as a Service)」に向けて一気にパラダイムシフトを図っている米国とは、大きな乖離がある。都市・交通のシンクタンクである計量計画研究所の理事 兼 研究本部企画戦略部長である牧村和彦氏がロサンゼルスを視察し、そこから日本が学ぶべきポイントをまとめた。

併せて、日経クロストレンドの特集「クルマや鉄道・交通業界に地殻変動 モビリティ革命『MaaS』の真相」も参考にしてほしい。

「デジタル世代の交通技術戦略2018(ロサンゼルス市)」で示された将来都市像。クルマ中心から人中心のモビリティ・デザインへ、パラダイムシフトが起きている 出典:ロサンゼルス市
「デジタル世代の交通技術戦略2018(ロサンゼルス市)」で示された将来都市像。クルマ中心から人中心のモビリティ・デザインへ、パラダイムシフトが起きている 出典:ロサンゼルス市

 前回、米シアトルの衝撃的な交通事情(「マイカー通勤が1割減! 米シアトルの最先端モビリティ革命」)をレポートしたが、同じく18年6月に視察したロサンゼルスも、以前とはまるで別の街に生まれ変わっていた。

 これは決して大げさな話ではない。13年ぶりに訪れたロサンゼルスのダウンタウン(都心部)は多くの人でにぎわい、洗練されたデザインのバスが右からも左からも次々とやってくる。配車サービスのUberやLyft(リフト)、自転車シェアリングが街中にあふれている。1980年代には公共交通やカープール・レーン(相乗り車が優先利用できる専用レーン)などがほとんどなかったロサンゼルスは今、新たなモビリティサービスを戦略的に取り入れ、MaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)の世界観を実現することによって、誰もがどこへでも安心して移動できる街に変貌を遂げていた。

 一体、ロサンゼルスで何が起きたのだろうか?

MaaSアプリ「GoLA」の異次元な体験

 ロサンゼルスで最も注目されているルート検索のアプリと言えば、ロス市役所がゼロックスと共同開発した「GoLA(ゴーエルエー)」だろう。これは、市内の公共交通だけではなく、自転車シェアリングやカーシェアリング、配車サービスなどを包含したマルチモーダルなルート検索サービスであり、一部の移動手段は、このアプリを通して予約や決済までできる。まさに、フィンランドのベンチャー企業、MaaSグローバルが展開するモビリティサービスの統合スマホアプリ「Whim(ウィム)」と同じような位置付けだ(「MaaSに必要なエコシステムとは? 先進フィンランドの教え」)。

 早速現地でGoLAアプリを使ってみた。アプリを立ち上げると、まず自分が利用したい交通サービスを最初に指定する画面が現れる。公共交通は26社から取捨選択でき、タクシーや空港シャトルバス(FlitWays)、配車サービス(Lyft)、カーシェアリング(Zipcar)、自転車シェアリングなど、さまざまな交通手段が指定できる。また、個人の車両の好み(電気自動車からSUVまで)、徒歩や乗り継ぎにかかる時間の“限界値”も細かに指定できる。画面を見れば分かる通り、ユーザーフレンドリーな使い勝手のいいUI(ユーザー・インターフェース)に仕上がっている。

ロサンゼルス市役所がゼロックスと開発したMaaSアプリ「GoLA」の検索画面
ロサンゼルス市役所がゼロックスと開発したMaaSアプリ「GoLA」の検索画面

 自分の現在地から目的地までを指定すると、時間順(Sooner)、費用順(Cheaper)、エコ順(Greener)といった3つの切り口で、それぞれ複数の推奨ルートが案内される。上の画面はロスの中心部からターミナル駅のユニオンステーションまでのルート検索結果だ。日本人には見慣れないロゴマークが多いが、例えば時間順だと配車サービスのLyftが最上位に表示され、このアプリから予約や決済が可能。今予約すれば、7分後にはLyftのクルマが配車され、一番早く目的地に到着し、料金は3ドルである旨が案内表示されている。2番目のプランは地下鉄レッドライン、3番目は自転車シェアリングで、いずれもこのアプリを通して予約ができる(中央の画面)。そして、右端の画面上部にある4番目のプランはカーシェアリング(ZipCar)を使うもので、現在地付近のシェアカーが止まっている駐車場まで、きめ細かな案内がされる。

 このMaaSアプリがあれば、広大なロス市内でのビジネスや観光、日常生活のなかで、いつでもどこへでも不安なく移動できる。現地で利用してみると、マイカーの魅力であるドア・ツー・ドアの利便性に負けないサービスであったし、何よりもその日のTPOに合わせて自分好みの交通手段が自由自在に選べるのは、「全ての交通サービスが自分のポケットの中にある」という、今までに感じたことのない異次元の感覚だった。

“モビリティ大国”にかじを切ったLAの英断

 ロサンゼルスは高速道路や街路網への投資はほぼ終えているが、慢性的な交通渋滞は全米でもトップレベルの状態が続いている。3方を山で囲まれた地形条件のため、大気汚染などの環境問題も相変わらず深刻だ。このような交通問題への対処として、90年以降、本格的に大量輸送機関への投資を進めてきており、地下鉄だけではなく、LRT(ライトレール)、BRT(バス高速輸送システム)など、現在8系統が運行している。

 まさに今、ダウンタウンから放射方向に伸びる大量輸送の“骨格”が整いつつあり、こうした新たなモビリティへの戦略的な投資が花開きつつある。下記の路線図を日本人に見せて、これがロスであると回答できる人は、果たしてどれだけいるだろうか?

 今やロスは、ハリウッド、サンタモニカ、ロングビーチなど、著名な観光地には地下鉄で行けるようになっている。また、お隣のアナハイムにあるディズニーランドや大谷翔平が所属する本拠地エンジェルス・スタジアムまでは、アムトラック(全米鉄道旅客公社)の2階建て通勤鉄道でアクセス可能だ。

ロサンゼルスの幹線公共交通網のマップ。地下鉄とLRT、BRTが一体で表現されている点も特徴的
ロサンゼルスの幹線公共交通網のマップ。地下鉄とLRT、BRTが一体で表現されている点も特徴的
ロスの地下鉄は6系統まで拡大。交通系ICカードの「Tap」で乗車できる
ロスの地下鉄は6系統まで拡大。交通系ICカードの「Tap」で乗車できる
BRT(バス高速輸送システム)のオレンジラインは専用道を走行。シアトルと同じく、優先信号によって一部の区間、バスが交差点で止まらない最先端の技術が採用されている
BRT(バス高速輸送システム)のオレンジラインは専用道を走行。シアトルと同じく、優先信号によって一部の区間、バスが交差点で止まらない最先端の技術が採用されている

 これだけ大規模に新たなモビリティへの投資を進めてきたロサンゼルスの意義とは何か。現地を歩いてみると、免許を持てない人、移動に困難がある人、外国からの観光客に対して、ユニバーサル・デザインという発想が根底にあるのではないかと感じた。また、自動車を所有できない人、所有に魅力を感じない人、「デジタルネイティブ世代」と呼ばれる若い世代に対し、積極的な移動機会を与えていこうというチャレンジングな試みを、奨励する価値観が社会に根付いているのだろう。MaaSや新たなモビリティへの先行的な投資は、短期的な収支や時間短縮効果などの直接的な生活メリットだけでは測り得ないもの。そのため、最初に都市の再生や交通まちづくりといった大義があり、「まずはやってみよう」というアジャイル開発の思想で進められているようだ。

 加えて、自動運転社会が到来したとしても、既にロスの道路の処理能力は限界に達しており、さらなるマイカーの増加は許容できるはずもない。古くから都市の成長管理を進めてきたロサンゼルス市の選択肢、将来進むべき道は自ずと明らかであり、待ったなしの対応が求められている。実際、09年に策定されたDOT(交通省)の長期交通計画においても、クルマ利用だけに依存しないマルチモーダルなモビリティへの投資計画が示され、ロス市内への地下鉄やBRTの計画が目白押しとなっている。

09年の長期交通計画では、46系統ものBRT(バス高速輸送システム)が候補路線として提案されている
09年の長期交通計画では、46系統ものBRT(バス高速輸送システム)が候補路線として提案されている

 既に開業しているBRTの路線について個別に見ると、ロサンゼルス市の南北を結ぶ「シルバーライン」は高速道路の中央部分を一般車と分離した「HOVレーン(相乗り専用レーン)」を走行する。また、北西部の「オレンジライン」は専用道を走行、西部の「ウィルシャー(Wilshire)ライン」は、片側1車線の専用レーンを走行している。他にも相乗り専用レーンが数多く整備されてきている。これら特定の車種や車両の専用空間は、今後の自動運転車両の走行空間として有効に機能する可能性があり、モビリティ革命を牽引する重要な先行投資が行われているということだ。

 今回、米国西海岸のシアトルとロサンゼルスの視察を通じて、クルマしか選択できない社会から多様なモビリティが選択できる社会へ、米国が大きく方向転換している様をまざまざと実感した。多様なモビリティを介したデジタル革命が、まさに起きているのだ。これはシアトルやロサンゼルスだけではなく、米国のさまざまな都市で巻き起こるビックトレンドだ。これこそが「第四次産業革命」であり、日本政府が提唱している「Society5.0」、すなわちサイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムで人間中心の社会を実現する変革が、モビリティの分野から次々に生まれている。米国は“自動車大国”ではなく、今や「モビリティ大国」と言っても過言ではない。

 翻って日本の現状に目を転じると、今、我々はどこに向かっているのだろうか。

 今や日本の主要な地方都市は、米国以上に“自動車大国”となっている現実があり、まだパラダイムシフトは起きていない。18年3月に群馬県が発表した交通まちづくり戦略によれば、「4人に1人は100mの移動に自家用車を利用」しており、鉄道やバスを含めた「公共交通の利用は僅か2.8%」、バスの利用に至っては0.3%にとどまると報告された。これは群馬県に限った話ではなく、日本中で起きている社会現象だ。

 さらに言うなら、高齢者が免許を返納した後に安心して移動できる交通サービスをどれだけ提供できているだろうか。免許や自家用車を持てない人たちにも、自由な外出の機会を十分与えられているだろうか。デジタルネイティブ世代と呼ばれる若者たちに、移動の機会を創出していく積極的な先行投資をどれだけしてきているだろうか――。

 18年6月に閣議決定された政府の新成長戦略「未来投資戦略2018」の提言のなかでは、MaaSに代表される次世代モビリティシステムの構築が変革を牽引していくフラッグシップ・プロジェクトとして位置付けられた。まさに、日本はこれからだ。産官学が連携し、今こそ大きなビジョンを描きつつ、それに向かって一歩一歩着実に実行していくことが求められている。

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