ラジオ番組や女性誌で女性の悩みに答え続けている作詞家・コラムニスト・ラジオパーソナリティーのジェーン・スー氏。新刊『女のお悩み動物園』(小学館)も話題だ。そんな彼女に聞いた、今どきの女性の悩みとは。そしてそこから見える企業と消費者のコミュニケーションに必要な要素とは。
作詞家・コラムニスト・ラジオパーソナリティー
小学館の女性向けファッション誌「Oggi」の連載「女のお悩み動物園」が2020年11月に書籍化された。相談者を16種の動物に例え、キャラクター別に悩みとの向き合い方を提案する。「私たちは、“社会”という“動物園”に暮らしている“動物”のようなもの」。そう語るジェーン・スー氏に、今どきの女性の悩みやタイプ、そうした女性にさまざまなメッセージを発信する企業コミュニケーションのあり方を聞いた。
PV至上主義ではこぼれ落ちるものがある
新刊『女のお悩み動物園』では、女性を16のタイプに分け、それぞれ動物に例えて紹介されています。
もともとの連載は「実録・女の動物園」というタイトルで、さまざまなタイプの女性を動物に例え、「こんな人、あなたの周りにいませんか?」と投げかける、いわゆる「あるある」ネタとして書いていたんです。そうした書き方に今よりも寛容で、遊びの部分も許される時期でした。
その後、この連載は内容がお悩み相談に変わるんですが、それらをまとめて書籍化しようとしたとき、どうしようかと。考えた結果、仕事やプライベートなど悩みの内容で分けるのではなく、女性のタイプごとに「こういう人だったらこういう悩み方するよね」と分類してみました。仕事の悩み一つ取っても、「私の仕事を誰も手伝ってくれない」と悩む人もいれば、「人に『これをやって』となかなか言い出せない」と悩む人もいます。それって環境や事象の差というより性質の差じゃないかと思って。分類の軸を変えてみたら、結構いい感じに振り分けられたと思います。
悩む女性に共通点はあるんでしょうか。
悩みを抱える人にまず伝えたいのは「最短で答えを求めるのはやめたほうがよい」ってことですね。これは太字で書いてほしいくらい。
効率重視になりすぎてしまっているということでしょうか?
そう。みんな損をしたくないというか、答えに早くたどり着きたがりすぎる。そんなの面白くないけど大丈夫? という感じがします。
その傾向は近年強くなっているのでしょうか。
どうだろう。以前と比べてどうかは分からないけれど、昔からその傾向はあるんじゃないかな。テクノロジーの進化で社会のスピード感が上がったから、そう感じるだけで。
テクノロジーが発展した分、情報へのアクセシビリティーが高まっていますから、「これがベスト」という答えを求めやすくなっている側面はあるかもしれませんね。
思ったらすぐ発信できるという点も影響しているでしょうね。テクノロジーの進化と焦りが比例しているようにも思います。
“PV至上主義”の影響もあると思います。例えば、私はラジオの番組を持っています。長くやっていれば最終回を迎えるものもありますが、それは必ずしも聴取率が悪いからではない。コンテンツの善しあしって、数字だけで測れるものじゃないじゃないですか。
でも、ウェブ媒体が登場して、雑誌や書籍でいうところの部数よりシビアなPVが注目されるようになって、評価が数値化できるようになった。それで全ての良しあしを決めようとする傾向はあるんじゃないかと思います。「PV数は取れないだろうけど発信したいことがある」「後々の人に残していきたいコンテンツがある」という発想が隅に追いやられてしまうこともあるかと。
それはマーケティングにも通ずる話だと思います。商品やサービス開発において、いくらもうかるのか、何%利益が上がるのかということが問われがちですが、ブランディングや長期的な企業戦略という視点では数字に表れない部分が大事だったりする。
そう! そういうニュアンスの話ができない。
定量化すること、数値化すること自体は私も大事だと思います。でも、それが全てだと思うこと、「数字が取れないのにやる意味は何ですか」と思ってしまうことはまずいんです。
例えば映画だと、どのハリウッド俳優が出演しているかによってヒットするかどうかがある程度決まるといわれていますよね。トム・クルーズがやる限り「ミッション:インポッシブル」シリーズは売れるだろうなというのはあるじゃないですか。でもそれのみの基準で映画が製作されたらつまらないですよね。全部が“記号”になっていくと、その記号に当てはまらないものがこぼれていく。
記号化は人に対しても働くかもしれません。マーケティングでも、「30~40代の女性」というと主婦またはワーキングマザーが主流で独身女性はターゲットになりづらかったり。
そうそう。しかも独身の中でも経済力には差があって、裕福な人とそうでない人とに二極化している。そんなこともあまり重視されていないと思います。
多様性の担保はリスク回避に必須
記号化から外れていく人に目を向けられるようにするには、どうすればいいのでしょう。
日経クロストレンドの読者にも企業で働く会社員が多いだろうと思いますが、大企業の人と話しているとリテラシーの度合いが部署によって違いすぎると感じることがあります。
例えば人事部の人と営業の人では、OKとNGが全く違ったりすることも。社内教育の差もあるでしょうね。お悩み相談を受ける中でも「自分の悩みは社会構造の問題に起因するものなのか、単なる個人の悩みなのかが分からない」と言われることがあるんですが、大前提として(社会の問題について)教育を受けていないと自分で気づけることではない。学校や企業がきちんと教育するしかないと思います。
大企業でも炎上が後を絶ちません。これも教育の問題ですね。
人権意識やマイノリティーへの認識がアップデートできていないのであれば、それは社内教育のまだら感の表れだと思います。人事が見たら「ヒーッ」と血の気が引くようなCMを作ってしまうケースとかあると思いますよ。
社内のリテラシーがまだらなら、あらゆる企業に炎上リスクがありますね。
そうです。今や多様性の担保はリスクヘッジとして不可欠です。どこからも突っ込まれないようにしようとか、今どきの考え方だから、とかではない。多様性について当事者意識のない人が表面的な理解で多様性のあるものを作ろうとすると、燃えがちなんです。
逆に多様性をきちんと認識している人が作れば、もし誤解があったとしても、後からきちんと伝えたかったメッセージを説明できるはずです。
多様性の担保はもはやリスクを回避するための最低限のものということですね。
企業にとっては売り上げだけでなく存続価値に直結するものだと思っておいたほうがいい時代なのだと思います。
新型コロナウイルス感染症の拡大などもあって、社会はどんどん変化しています。そんな中、個々人の価値観も揺らいでいます。
認識しておくべきことがあるとすれば、答えがすぐ出るとは思わないほうがよいということでしょうね。あとは変わることを恐れないこと。自分をこうだと決めないこと。「はい、これが正解です」と言って、みんながそれに向かって走っていくようなことは多分もうないと思います。
マーケティングでは「いかにしてたくさんの人にモノを売るか」が命題の一つですが、変化への対応が必要になりそうです。
私はマーケティングのプロではありませんが、消費者の1人として見ていて、過去にはうまいキャッチを付けたりカタカナや頭文字からなる呼び方を作ったりすれば人を乗せられる時代もあったと思うんです。
でもそれはもう完全に終わっている。これだけ人の好みやライフスタイルが多様化すれば、「同じ旗の下に皆が集まる」なんてことはない。むしろ「その言葉、あなたたちの中だけで空回りしているみたいだけど大丈夫?」って思うことのほうが多いです。業界の中ではこれで通じるんだろうなと思うけれど、その外にいる人には“てにをは”以外、何を言っているのか分からない。言葉の持つムードだけが熱として皮膚に感じられるだけで、何も伝わらない。
以前のインタビューで「『ダイバーシティー&インクルージョン』といった言葉が上滑りしているような感覚がある」と指摘されていました。
「SDGs(持続可能な開発目標)」や「サステナビリティー」もそうですよね。そして、こうやって「本当に分かっているの?」と指摘するところまでが既定路線になってしまっているじゃないですか。
「こういう人たちをこういうふうに捉える」「こういう人たちはこういう消費をするんです」って分析するのがマーケティングの一つの方法だと思うんですが、これだけモノも選択肢もある中で「欲しい」という欲望をどう喚起していくのか。手取りが月13万円という非正規雇用の人たちもいる中で、「それでも欲しい」と思わせる熱量をつくり出せるのか。それがマーケティングには今、問われているような気がします。
消費者に向けてどんなメッセージをどのように出すかが、より一層大切になりそうですね。
本当にそう! 言葉遊びじゃない、本質的な言葉で語ってねと思います。
(写真/稲垣純也)