日本ではメジャーレーベルの手厚いサポートの下で活動していた大江千里氏は、米国では一転して個人レーベルを立ち上げ、1人だけでビジネスを始めた。手間はかかるし、収入も限られるが、自分の限界がはっきりと分かるため、人との出会いや人との協業に価値を見出し、良い結果につながりやすいという。

大江千里(おおえ せんり)氏
1960年生まれ。83年にシンガーソングライターとしてデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」「ありがとう」などのシングルがヒット。2008年ジャズピアニストを目指し渡米し、ニューヨークのTHE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。12年、大学卒業と同時に自身のレーベル「PND Records & Music Publishing Inc.」を設立。同年1stアルバム「Boys Mature Slow」でジャズピアニストとしてデビュー。現在、ニューヨークだけでなく米国各地、南米、欧州でライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデュース、執筆活動も行う。

大江千里さんは、自分の中で思ったことがジャズで表現できるようになってから、自分でジャズのレーベル「PND Records & Music Publishing Inc.」を米国で立ち上げて、1人で全部やりますというスタイルで音楽活動を始めました。日本で十分過ぎる実績があるにもかかわらず、スモールビジネスとして1人でやろうと思われたのはなぜですか。

大江千里氏(以下、大江氏) 日本にいたときには、ソニーミュージックという大きな会社のレーベルに所属し、事務所もそこの傘下にあって、大きいチームの中で連係プレーをしていました。でも米国に来て、その全部との関係が切れて1人になったとき、自分に何ができるだろうかと考えたのがきっかけですね。多少時間はかかっても、1人でできることをちょっとやってみようというのが始まりでした。

 ただ、思ったよりも結構大変でした。とにかく時間がかかるんですね。1個のことを調べて、それを思った通りの形にするまで、パソコンを使っても3日ぐらいかかる。最初はこんなことをしていて、レーベルを立ち上げられるんだろうかと思いながら手を動かしてました。どうやったらCDが出るんだとか、発注する際のこの品番号は合っているんだろうかとか(笑)。

1人でビジネスをすることで、出会いも助けられる機会も増えた

 よかったのは、1人でやることで新しい出会いが増えたことです。近所のタイ料理のレストランでかわいがられて、気がついたらまかない飯を一緒に食べる間柄になっていた。今はその店は元の場所にはないのですが、いまだに「また店をやっているんだよ」と必ず連絡がくる。そうすると、仮に場所が遠くても、食べに行けば、またまかない飯を食べているわけです。

 そんな中から、大江千里という人は一緒に何かをすると時間がかかる。でもやる気はあるんだなと思ってくれた人が手を差し伸べてくれるようになりました。実際、米国でCDデビューするだけでなく、日本にも凱旋公演ができた。ジャズで凱旋公演するときは東京の「ブルーノート」で絶対にやりたいんだと手紙を出したら、ちょっと間があってから「やりましょう」と返事をいただいて実現したわけです。そこからまた新しくいろいろな人と関係が始まって、結局、日本でのアルバム発売はソニーミュージックにやってもらうなど、またソニーミュージックの人たちとかかわることになりましたし。米国で1人で始めたことで、自分自身の本当のパイというか、自分が立っている大きさみたいなものがはっきり見えてきましたね。

 今、米国で一緒にやっているマネジャーや、それにロサンゼルスに拠点を置いている宣伝チームなども、他のミュージシャンに紹介してもらったり、旅行会社の人が紹介してくれたり、そういう人のつながりの中で出来上がった関係です。だから僕自身は基本的に1人なんですけど、人との出会いで僕自身を前に進める車輪が増えているというか、そんな感覚ですね。

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