今の仕事を継続すべきか、転職などで環境の変化を求めるか──。マーケターにとって、仕事で成果を出すのと同じくらい、自分のキャリアアップは重要な問題だ。日本でポップアーティストとして一世を風靡しながら、すべてを捨てて米国に渡り、今度はジャズピアニストとして成功しつつある大江千里氏の決断から、キャリアの選択がもたらす意味を考える。

大江千里(おおえ せんり)氏
1960年生まれ。83年にシンガーソングライターとしてデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」「ありがとう」などのシングルがヒット。2008年ジャズピアニストを目指し渡米し、ニューヨークのTHE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICに入学。12年、大学卒業と同時に自身のレーベル「PND Records & Music Publishing Inc.」を設立。同年1stアルバム「Boys Mature Slow」でジャズピアニストとしてデビュー。現在、ニューヨークだけでなく米国各地、南米、欧州でライブを行いながら、アーティストへの楽曲提供やプロデュース、執筆活動も行う。

『格好悪いふられ方』『十人十色』などヒット曲を連発していたポップスアーティストの大江千里さんが、人気絶頂のときに日本での活動を停止し、ジャズアーティストになることを目指して渡米したのが2008年、47歳のときです。なぜ、それまでの成功を捨ててまで「ジャズ」を選んだのですか?

大江千里氏(以下、大江氏) 実はジャズには15歳のときに出合っていました。それまでに聞いたことのないようなハーモニーや色彩感、フレーズの自由さ、いろいろなことがすごく興味深くて、中古レコードであれもこれもと買いあさり、テキストまで買って実際に理論の勉強も始めていた。けれど、作詞作曲をやって歌う方が忙しくなり、結局、ソニーミュージック傘下の「EPIC(エピック)」レーベルからポップスアーティストとしてメジャーデビューということになったので、ジャズはいったん僕の中で自動的に脇に追いやられたんですね。ただ、いつかジャズを深く理解して、自分でジャズの曲を書いて、ピアノでそれを演奏したいという夢は、潜在意識の中にあったはずなんです。

 そんな僕も40代に入って、自分の人生を表す色彩の中に陰の部分ができるのを、だんだん理解できるようになってきた。そのころ、母親が亡くなったり、割と年齢の近い仲の良かった友達が亡くなったりして、命には限りがあるということをまざまざと見せつけられもした。そうして、1回しかない限りある人生を後悔ないように生きるには、何かやり残していることがあるのではないか、と自分に問うようになったんですね。

 そんな07年のある日、東京・六本木にある六本木ヒルズのショーウインドーにぱっと自分の顔が写ったとき、目の奥の奥の奥に、諦念というんじゃないんだけど、少し表情がないというか、遠くを見ているような迷いを感じた。今だったら、例えば昔から大好きだったジャズをゼロから学んで、ある程度のところまで、つまり、仕方ないと自分で諦めのつくところまで、頑張ってやれるだけの時間と気力、パワーが残っているんじゃないかと思ったんですね。

 そのままの勢いで、40代前半に行ったり来たりしていたニューヨークのアパートの近くにあった「ザ・ニュー・スクール・フォー・ジャズ(THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSIC)」のWebサイトを慣れないまま見てみたら、海外からも受験できると英語で書いてあった。そこでジャズのベースの先生に受験できそうだと話したら、「いいんじゃない、やろうよ。ボランティアで協力するよ」と言われて、あっという間にその気になって…。

 Webサイトを一生懸命読んで。じゃあベースとドラムとピアノという構成で、ソニー・ロリンズの曲と、後はアントニオ・カルロス・ジョビンの曲とって何曲か選んで録音し、送ったんですよね。そうしたら合格だから即TOEFLを取りなさいという話になって。それで慌ててTOEFLを受験して。気が付いたら年が明けて08年1月10日、雪の降るニューヨークへ向かっていたという感じでしたね。

周囲から見ても僕が次にやることを探しているのが明らかだった

日本の大江千里のファンからすると、人気絶頂のときに、いきなりポップスに見切りを付けてニューヨークへ行っちゃいましたという感じでした。日本のポップス界で築いた大江千里という実績やブランドに、未練はなかったんですか。

大江氏 まずポップスの世界ではある程度やったなという“やりきり感”みたいなものが、僕の中のどこかにありました。そこへさらに、今までは漢字で書く「大江千里」というポップアーティスト、シンガーソングライターとして全身全霊のエネルギーを掛けて活動してきたけれど、もしかしたら人生というのはそれだけではない可能性を秘めているはずだと気が付いてしまった。

 そうなると自分の前の信号がすべて青になって、自分の乗っているクルマのアクセルをどんどん踏み込んでいく感覚ですね。いや、実はニューヨークにあるジャズのスクールに受かったんだけどさ。ああ、それはおめでとうみたいな、気を付けて行ってらっしゃいみたいな、だんだんそういう感じになってきて…。

 その年、つまり07年の暮れにはクリスマスコンサート、東京・新大久保にある東京グローブ座でロングランのコンサートが決まっていたんですよ。テーマも「今年はスクールクリスマスだ」と宣言していてね。そうしたら自分が本当にスクールに行くことになっちゃって。

 普通なら所属事務所の人も、コンサートだけはやってから行ってくださいと言いそうじゃないですか。でも僕の所属事務所の人は、「いいですよ、コンサートは全部キャンセルしておきます。うちの事務所との契約もキャンセルにしておきます」みたいな感じで。えーっ、俺、ポップスアーティストを本当に辞めるわけ、みたいな(笑)。でもファンクラブは解散しちゃうし、戻る場所というか、退路もきれいに断たれてというか、そんな感じで、とんとん拍子で物事が進んでいきました。

 今から振り返れば、自分もそうですが、僕の周りの人間から見ても、僕自身が次にやることを何か探しているというのが明らかだったんでしょうね。ファンもおそらく、それをどこかで察知していたんだと思います。だから、「Yahoo!ニュース」に、僕がジャズマンになるために今の仕事を辞め、ニューヨークのジャズの大学に行ったという記事が出ても、ファンの多くは、びっくりしつつも、どこかでそんな気配はあったなと感じたんじゃないでしょうか。

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