@Yam_eye・2020年4月10日 「野生の勘」あるいは「嗅覚」などと言われる無意識下の統合的認知は、それを信じて行動した経験を重ねることで、少しずつ研ぎ澄まされる。逆に、そうした内的シグナルを無視する行動を重ねるたびに鈍る。

ミサゴ。水辺に生息する猛禽(もうきん)類、英名はOsprey。水彩、2021年
ミサゴ。水辺に生息する猛禽(もうきん)類、英名はOsprey。水彩、2021年

 野生の勘、嗅覚、直感などと呼ばれる、論理的にはうまく説明できない無意識の認知のようなものは、AI(人工知能)のアウトプットに似ているなと思うことがある。囲碁のようなゲーム内の一手であれ、絵画や文章などの複合的なコンテンツであれ、近年の機械学習のアウトプットは必ずしも人の推論に沿うものではなく、しばしば意外なものを見せてくれる。なぜそのような出力に至ったのかについては、設計者ですら説明できないという。

 原理的にはAIが大量の既存のコンテンツを学習し、さまざまな重みづけをしながら推論していることは間違いない。しかし、それが十分な学習件数に至るとどのようなデータからどのように推論したのかは、もはや誰にも分からない状況になる。いささか逆説的だが、そのような説明できない出力をこそ、私たちは「勘」と呼んできたのではなかっただろうか。そもそも機械学習というプロセスそのものが「勘」の正体であり、私たちの脳内でも無意識の機械学習が進んでいるのではないかと考えると、それはそれでなかなか楽しい。

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