@Yam_eye・2018年11月08日 ぼくがデザイン事務所を5人以上に大きくしなかったのは、「変化する自由、やめる自由」を失いたくなかったからなんですよね。スタッフを雇う時にも「3年後もこの会社があるなんて思わないでください」って念押ししてから雇っていました。長期的な視野で考えたいからこそ、変化する自由が重要なのです。フロンティアは定住の先にはない。

スケッチはパナソニックのプロモーション映像のためのイメージボード、2012年。映像制作はWOW(東京・渋谷)
スケッチはパナソニックのプロモーション映像のためのイメージボード、2012年。映像制作はWOW(東京・渋谷)

 30代の頃に、東京大学の客員助教授(今で言う特任准教授、3年の任期付き)就任が決まったとき、「転機だねえ!」と友人に言われて少し違和感を持ったのをよく覚えている。「いやいや、すでに転々でしょ」と答えた。工学部にいながらデザイナーとして企業に拾ってもらい、それも辞めてフリーランスになった私にとっては、この程度の変化は今に始まったことじゃないと思えたのだ。

 そもそも私の仕事は、実に変化に富んだものだった。オフィスビルや列車のような巨大なものから、腕時計やSIMカードのような小さなものまで、サイズ、仕事の期間、作業量なども一桁以上の幅がある。対象もプロダクトに限らず、ユーザビリティーテスト中心のプロジェクトもあれば、ソフトウエア設計や、映像制作、絵本の執筆などもあった。それらをたいてい私と妻と1人、2人のスタッフでこなしてきた。どうしても手に余るときには、その道のプロや企業の協力をプロジェクトごとに依頼した。デザイン事務所をコンパクトに維持したのは、さまざまなプロジェクトに対応するためであり、何をデザインするかを限定したくなかったからである。

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