@Yam_eye・2021年09月20日 あまりに空が青いので、スマホを真上に向けて撮ってみたら、思ったよりドラマチックになった。

2000年に描いたデジタルカメラのコンセプトスケッチ、来なかった未来の1つ
2000年に描いたデジタルカメラのコンセプトスケッチ、来なかった未来の1つ

 まだデジタルカメラが珍しかった1990年代半ば、四国の田舎町にある本家のお墓参りに行った日の夜のことである。私はノートパソコンを開き、日中に撮ったばかりの写真を親族のお年寄りたちにスライドショーとして披露した。「ええっ! さっき撮った写真がもう見えるん?」と驚きの声が上がった。見せた写真が全て1つのメモリースティックに入っていることを説明すると「そしたら、一つひとつの写真は米粒より小さいのお……」。おしまいには「いや、長生きはするもんじゃ」などというドラマのような決まり文句も聞こえた。デジタルによる即時性とペーパーレスが魔法に見える時代だった。

 デジタル技術がもたらす社会変化を語るときに、写真のデジタル化を事例として挙げる識者は多い。初期のデジタルカメラは「現像いらず」と「ストック場所に困らない」が最大の売りだった。それは、フィルムカメラに慣れた人々には驚きの変化ではあったが、写真のデジタル化がもたらす社会変革は止まらなかった。2000年代に入り、携帯電話へのデジタルカメラの実装は、人々の生活習慣さえも変えてしまう。あらゆるイベントで一斉に掲げられるスマホ、メモ代わりの撮影、SNSでの写真映えが目的化した旅行と食事、ニュース番組ですら現地の人がスマホで撮影した映像を中心に構成する時代になった。今や私たちは、いつでもどこでも写真や動画を撮影し、瞬時に地球全体で共有する世界の住人である。100年前に「写真撮影は全ての人に必須の技術になるだろう」と予言した芸術家がいたそうだが、果たして彼は自分の行動がいつのまにか記録されているかもしれない撮影社会を想像していただろうか。

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