@Yam_eye・2015年01月28日 私は漫画を書き始めたときもデザイナーを始めたときも、最初は徹底的に「神作家」のまねをして絵やモデルを作った。そのうち「自分はどうしてもこうしたい」が見つかる。それが個性の起点。

1982年に描いたシド・ミード風スケッチのうちの1枚
1982年に描いたシド・ミード風スケッチのうちの1枚
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 1982年、日産自動車造形部に配属されたばかりの私は、広々としたモデリング作業場の一角に設置されたものを見て、あまりの美しさに衝撃を受けた。そこにあったのは、初代日産マーチのための実物大のFRP(繊維強化プラスチック)製モックアップ。高い天井からの柔らかい光の中で、ぬれているようなしっとりとした情感をたたえて輝いていた。

 このモックアップを制作したのは、ジョルジェット・ジウジアーロ率いるイタルデザインだった。20世紀後半の数々の名車を生み出したカーデザインの巨匠が全盛期に自ら制作し、イタリアから直送されてきたものだ。生産型であるマーチは私の入社前に発表されていたため、役割を終えたそのモデルはただ静かに置かれていた。

 自分にとってのジウジアーロは、今風に言えば「神」だった。私はそれからも、その神モデルの前に何度も足を運んだ。光の反射を眺めながら周囲をぐるぐる回ったり、なめるように細部を観察したり。傷つけないよう薄いフィルムを当てながらカーブをゲージ計測したりもした。

 私が最初に作ったスケールモデルの細部には、外観は全く違うものだったが、ジウジアーロ先生の猿まねが随所に盛り込まれていた。初めての評価会でチーフデザイナーに言われた。「バンパーの複合カーブとか結構難しいものなんだけど、新人にしちゃ上手だなあ」。「そりゃ神様のまねなんで…」と、心の中だけでつぶやいた。