@Yam_eye・2013年12月27日 紙に向かってスケッチしている時間が貴重なのは、あれだ、スケッチブックが、ネットにつながってないからだ。白い紙の上には、ちゃんと「孤独」がある。
いつものようにペンを握って白い紙に向かう。白い紙は、何もない部屋と同じ。これから私が空想世界を展開するための場所である。
この空白の部屋に来るのは大抵、何かを思いついたときだ。新しいプロジェクトを始めると最初のうちは、調査したり何かを見に行ったり、人に会ったりばかりしている。そうこうしているうちにふと「いいこと思いついた!」瞬間がやってくる。そうとなれば、移動中であろうとスケッチブックを開き、白い紙に対面する。
思いついた「いいこと」は多くの場合とても曖昧なものであり、はっきりと最終形が見えているわけではない。まずは集中力を高めて、そのアイデアのコアになる構造や印象を白い紙に投影しつつ、紙に触れるか触れないかの空中でペンを動かす。その動きのなかで所々に残されるかすれた線が、今から描こうとしているもののプロットになる。見えていたから線が引けたのか、線を引いたから見えてきたのか、自分でもよく分からないが、何本か線を引くうちにビジョンらしきものに出会える。その瞬間から一気に、創造世界の構築が始まる。世界をつくるのに必要な一つひとつの部品を脳内から取り寄せて、紙の上で組み立てていく感覚に近い。
一方で、数本の線を引いただけで、これはだめだと感じるときもある。そういうときはためらわずに紙を変える。何がまずかったのかよく分からなくても、ともかく真っ白からやり直す。想像の羽は軽やかでなくてはならない。同じところをぐるぐる回ってしまうのは避けたい。だからこそ紙はふんだんに必要である。
以前は、描く紙は選ばないほうがいいと思っていた。実際、40代半ばまでは画材に対してもあまりこだわりがなく、プレゼン用の最終スケッチでない限り、オフィスで使うコピー用紙と安価なボールペンを使っていた。学生の頃に描いていた漫画の画材にはこだわっていた気がする。漫画はそれ自体が作品だからだ。スケッチは思考過程の描き散らしでしかないので、安価で手に入りやすいことを優先していた。
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