@Yam_eye・2017年12月30日 時間があったら、「手に握るもの」を木材で、心ゆくまで作ってみるといい。手の感触と視覚と素材の循環対話。始めてしばらくは、いつまでたっても終わらないような気がするが、徐々に収束し、ふと調和という終着に至る。

スケッチは刀匠、宮入法廣氏の工房で拝見した「刀子(とうす)」
スケッチは刀匠、宮入法廣氏の工房で拝見した「刀子(とうす)」
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 私にとって手で立体を作る手作業の時間は、特別な時間である。もしかすると、それは最も幸福な時間の過ごし方かもしれない。手の中に収まる程度の素材をナイフで削ったり、やすりをかけたり、ペーパーでひたすら磨いたり。対象は木材だけでなく、金属や鉱物であることも、あるいは粘土やプラスチックのときもある。手の中で少しずつ形を変え、徐々に繊細な手触りになってゆく素材たち。それは素材との長い問答の時間にも思えるし、素材を通して自分と向き合う修行のようにも感じる。「手修行」とでも呼ぼうか。

 もちろんスケッチを描くことも模型を作ることも手作業ではあるが、そうした構想を伴う手仕事は、少し意味合いが違う。CADなどと同じく、ある種の設計シミュレーションなので、心は未来に奪われていて素材を見ていない。もっと手早く作る方法はないか、などとつい効率を考えてしまうこともある。それはそれで楽しくはあるが、純粋な手修行に比べれば、様々な社会の要請に答えようとする、煩悩にまみれた時間であるとも言える。