@Yam_eye・2016年11月26日 バラエティー番組の画面のテロップや色彩や効果音が醸し出す、慣れないと戸惑うほどの「騒がしさ」を見ると、動画に電飾に騒々しい音楽をこれでもかと重ねる繁華街を思い出す。この国のクリエイターたちが経済原理だけで動くときに共通する、ある種の過剰さなのかもしれない。

 繁華街、家電量販店、チラシ、スーパー、ECサイトなどに共通する、高彩度の文字やビジュアルをこれでもかと重ねる過剰なデザインは、私たち日本人には日常的な光景である。韓国や中国など、他のアジアの商業地域にも同じような過剰さは存在し、旅先で立ち並ぶ極彩色の看板に出合うと、ふと、懐かしさのようなものすら感じることもある。

 それに比べるとヨーロッパの街は、どこか抑制が利いている。景観や環境をコントロールすることに意識が向いているのか、繁華街といえどもなんとなく静かだ。実際、景観条例などの制定においても、ヨーロッパの国々は先進的だった。いわゆるヨーロッパ的な「伝統的グッドデザイン」の文脈では、こうしたアジアの商業的景観は、無計画さの象徴のように語られる。

 慶應義塾大学SFCの加藤文俊研究室の修士学生だった郡司斐さんは、このアジア特有の過剰さを研究テーマに選んだ。彼女は、一般的には「不愉快なもの」「文化的価値の無いもの」と言及されることが多い「粗悪なもの」について、肯定的な側面から調査・分析を行った。論文では、そうした「粗悪なデザイン」が、実は様々な試行錯誤のすえに生みだされた、人々の欲望・欲求に働きかけるための工夫であると位置付けられている。

 その上で、そこに「輝かしい未来」を見出すことは難しいとしつつも、移り変わりの激しい消費環境の中で生き残ろうとする意志や率直さが、力強い魅力につながっているのではないかと考察する。

 ウェブデザインの世界では、このような閲覧促進機能はページビュー数などで容易に数値化できるため、彼女の言うところの「粗悪さ」を積極的に推進している傾向にある。例えば、メルカリの米国版は日本版よりも色彩が抑制され、明らかにスッキリしている。しかし同社によれば、日本のプロダクトチームが米国版と日本版、両方のデザインと機能開発を担当しているという。つまり日本のサイトに存在するある種の騒がしさは、調査に基づいて計画的になされたものと考えられる。