マスマーケティングとデジタルマーケティングは対立するものとして語られるが、消費者の期待をよりよく超える、という意図は変わらない。弘法筆を選ばず──マーケターは目的に対して最適な“筆”を選べる姿を目指すべきだ。そのためにマーケティングにおけるデジタル化とは何かを整理して理解しよう。

本質を体得していれば道具を選ばない(c)Josiah_S/Shutterstock
本質を体得していれば道具を選ばない(c)Josiah_S/Shutterstock

 もし兵法で有名な孫子がタイムスリップで現代にやってきて今の社会環境になじんだら、企業や軍隊の有能な参謀になるだろうか。あるいは平家物語に登場する弓の名人、那須与一は弓をライフルに持ち替えて腕利きのスナイパーになるだろうか。ひょっとすると葛飾北斎は希代のCGアーティストになるだろうか。

 彼らは本質を体得しているはずだから道具の変化に対応できる、という考え方がある。弘法は筆を選ばない。多分、孫子も那須与一も北斎も、道具を選ばない。反対意見も存在する。それぞれの能力を発揮するには固有の道具が必要で、道具が変われば彼らの能力も凡庸なレベルになるだろうというものだ。

 実験できないので正解も提示できないが、それぞれの主張はマーケティングにおける諸活動と技術(道具)の関係をどのような視点で見ているかを示していて、興味深い。後者の視点が示すような、道具に依存した形でのみ発揮できる能力というのは、残念なように思われる。さらに言えば、お気に入りの筆以外でも筆を選ばない弘法は素晴らしいが、多様な「筆」が開発される現代の環境下では、目的に対して最適な筆を選べる弘法こそが目指すべき姿かもしれない。

 プロフェッショナルとして社会に貢献するためには、本質を体得したいものであると思う。道具の習得に終始するのではなく、目的を達成するために効果的に道具を選び、使えるようになるべきだ。将棋の名手が、チェスも上手だと聞くこともある。将棋の名手は競技の本質をつかんでいるので、桂馬もナイトも両方うまく扱えるのかもしれない。

デジタル技術がもたらすものとは?

 生活のデジタル化を通して、消費者のブランド体験をより包括的かつ端的に数値で理解できるようになった。データは表層的には数字の集合であるけれど、本質的には消費者の行動や体験、認識を数値化したものだ。新しい種類のデータが入手できるということは、新しい視点での消費者理解が可能なことを意味する。新しい種類の望遠鏡、例えば赤外線を受光するような望遠鏡を手に入れることに似ている。今まで見えなかったものが見えるようになる。新しいインプットは、今までと同じ脳みそにも新しいアイデアをもたらし、斬新な活動へとつながる。こうしたデータは、天才性を持つ一部の人にしか見えなかったものを我々に見せてくれる可能性がある。

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