JR東日本でエキナカ「エキュート」と地域活性化プロジェクト「のもの」を仕掛け、カルビーに移ってからはアンテナショップ「カルビープラス」や日本の流通菓子を集積させた「Yesterday’s tomorrow」と、一貫して人々をワクワクさせる場づくりを手掛ける鎌田氏。その鎌田氏が今注目する「日本の古き良き日常」とは?

鎌田さんといえばエキナカの仕掛人という印象が強いですが、駅の中に商業空間をゼロからつくるというそれまでになかった取り組みで一番苦労したことは何だったのでしょうか。
鎌田 社内外の人にこのコンセプトをどうしたら納得してもらえるか、でしたね。なかでも、鉄道の領域として使われていた場所の用途を変えようとしたことに苦労しました。それまでは鉄道施設の余った場所を商業スペースにしていたので、鉄道サイドからすると、コンコースの床の色やトイレの便座の数、照明まで提案されたことに驚いていました。でも駅全体を一つの空間ととらえると、それは必然だったんです。
そんななかで、「これはいけるな」と思った瞬間はあったのでしょうか。
鎌田 そこに至るまでにずいぶん時間がかかったのですが、立場が違えば価値観が全く違うということに気づいたことです。何にこだわるかを認め合えば、話し合いができるんです。AとBのデザインを用意して、「私たちはA」「我々はB」と主張しても平行線なんです。でも、生活サービス事業サイドは床の色や質感にこだわりたい、鉄道サイドは強度やすべり抵抗度などの機能は死守する、ということが分かれば、そこは折り合えるわけです。
気持ちが折れなかった理由は?
鎌田 最終着地点が目先の売り上げや利益ではなく、新しい駅の空間を創るという夢だったからです。便利で楽しくて、そこを利用しているお客様が喜ぶ姿を思い浮かべていました。そういう思いは最初の段階からチーム全員が共有していましたし、だから踏ん張れたのだと思います。
エキナカがうまくいく、と最初から自信があったのでしょうか。
鎌田 自信はありませんでしたが、駅がこうなったら自分は使うしうれしい、という気持ちが強かったです。自分の周りの人たちも利用者としてそれに共感してくれたので、なんとなく失敗する気はしませんでした。ただ出店を依頼しても「駅ではモノは売れない」とお断りが続き、理想の姿ができるかどうか、不安でいっぱいでした。
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