ファッションのラグジュアリーブランドのやり方を参考にし、スイーツ界のトップブランドにまで成長した「ピエール・エルメ・パリ」。同ブランドが携帯電話やクルマまで、異色のコラボに取り組むのは新しい発想につながるからだという。
本連載は、「この人の『勘』や『感』の見方を知りたい!」と思った方にお会いし、仕事に「勘」や「感」は必要なのか、どのように磨けばいいのかについて、成功談も失敗談も含めて聞いていくものです。それも、難しい書き言葉ではなく、分かりやすい話し言葉で。読者の皆さんにとって、未来に向けたヒントになれば幸いです。
今回は前回に引き続き、「ピエール・エルメ・パリ」の日本代表を務めるリシャール・ルデュさんに登場いただきます。もともとシェフでありパティシエでもあったリシャールさんが、なぜ日本でビジネスを手掛けることになったのか。スイーツ界の人気ブランドとなっているピエール・エルメ・パリの独自性をどう打ち出していったのか。さらに一度はピエール・エルメ・パリを辞めて日本を離れたリシャールさんが、エルメ氏に請われて戻ってからブランドを確立させたお話に、成功にいたるまでには多くの迷いや試行錯誤があったと感じ入りました。とともに、ちゃめっ気があってエネルギッシュなリシャールさんのキャラクターに、鍛えて磨かれた「感」が息づいているからではと思ったのです。
今回は、ブランドとして成長を遂げたピエール・エルメ・パリの今とこれからについて聞いてみました。
川島 前回はピエール・エルメ・パリが独自の価値を作っていくにあたり、ファッションのラグジュアリーブランドのやり方を参考にしたというお話を伺いました。
リシャール 商品はもちろんのこと、ショップやパッケージのデザインも含め、独自のイメージを作ることを徹底したのです。そのために、外部の優れたクリエイターと一緒に、数多くの仕事を重ねました。1999年、舞浜の「イクスピアリ」に出店した「サロン・ド・テ」はフランス人の著名デザイナー、アンドレ・プットマンに依頼したのです。その2年後の2001年、パリで初めてのショップを作りました。つまりピエール・エルメ・パリの世界初の路面店は日本で生まれたということです。
川島 まずは日本で名を上げたということですね。びっくりするような話です。
リシャール 80年代後半から90年代前半にかけての日本は、欧米のラグジュアリーブランドが大きな盛り上がりを見せていた時代。バブル景気の余波が続いていて、景気もそう悪くはなかったのです。ブランドがあふれている日本市場で、パリ発のパティスリーという看板はあったにせよ、「ピエール・エルメ・パリ」は新参者であり、確かなポジションを築くのは容易なことではありませんでした。それをある程度できたから、パリでの展開もスムースに行ったのだと思います。
川島 その後、東京・青山通り沿いの一等地に路面店ができた時も、大きな話題を呼びました。全面がガラス張りで床は大理石、店内には、宝石のショーケースのような什器(じゅうき)に、美しいお菓子の数々が並んでいる。フランスから上陸したパティスリーは他にもたくさんありましたが、クラシックだったり重厚な雰囲気だったりするものばかり。そんな中にあってピエール・エルメ・パリはモダンでありながら上品なたたずまいで、それまでにない雰囲気を持っていると感じました。
リシャール あのショップは05年にデザイナーの片山正通さんにお願いして作ったのです。“美的であること”や“モダン=時代にフィットしていること”はお菓子のブランドでも必須ですが、私は「お菓子はアートの一つ」と捉えています。だから、さまざまな分野のアーティストとコラボして、商品作りやイベントをたくさんやってきました。
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