エキナカ「エキュート」やルミネの新業態「ニュウマン」など駅をベースにした商業空間の新しい形を次々に仕掛けてきたルミネの新井良亮相談役は常に30年くらい先を見ようと努力している。「『見えないから見えるようにする』のがビジネスで、それを当たり前のようにやるのが経営」と言う。

ルミネの新井良亮相談役(右)は日本国有鉄道に入社し、電車運転士や新宿駅、渋谷駅で勤務した後、国鉄とJRの人事関係業務に約20年携わる。1987年、国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)に入社。東京地域本社の事業部長、本社常務取締役を経たのち、エキナカやウオータービジネスなどさまざまな新規事業を立ち上げる。2009年代表取締役副社長・事業創造本部長に就任。11年ルミネ代表取締役社長を兼務、12年JR東日本副社長を退任。17年ルミネ取締役会長に就任。18年同社取締役相談役に就任
ルミネの新井良亮相談役(右)は日本国有鉄道に入社し、電車運転士や新宿駅、渋谷駅で勤務した後、国鉄とJRの人事関係業務に約20年携わる。1987年、国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)に入社。東京地域本社の事業部長、本社常務取締役を経たのち、エキナカやウオータービジネスなどさまざまな新規事業を立ち上げる。2009年代表取締役副社長・事業創造本部長に就任。11年ルミネ代表取締役社長を兼務、12年JR東日本副社長を退任。17年ルミネ取締役会長に就任。18年同社取締役相談役に就任

 本連載は、「この人の『勘』や『感』の見方を知りたい!」と思った方にお会いし、仕事に「勘」や「感」は必要なのか、どのように磨けばいいのかについて、成功談も失敗談も含めて聞いていくものです。それも、難しい書き言葉ではなく、分かりやすい話し言葉で。読者の皆さんにとって、未来に向けたヒントになれば幸いです。

 今回はルミネの相談役である新井良亮さんとの対談の第4回になります。東日本旅客鉄道(JR東日本)の副社長を務めた後、ルミネの社長から会長を経て相談役に。新しい施策を次々に打ち出し、ルミネの業容を広げてきました。新宿駅南口にある「ニュウマン」もその一つ。「ルミネ」とは異なる小売り業態として世に出し、すでに2020年に横浜駅での大規模出店も決まっています。また、17年にシンガポール、18年にはインドネシアのジャカルタで、日本ブランドをセレクト展開したショップを開きました。

 前回は「ルミネジャカルタ」についての話が中心でした。海外でのプロジェクトをルミネの若手社員に任せることで、知識でなく経験を身に付けてほしい。身をもって経験したことは蓄積され、熟成されていくという大きな視点――。今回は、新井さんはどれくらい先を見据えて勘と感を働かせているかを突っ込んでみました。

アジアの鉄道事業との連携も視野に

川島 前回までのお話でルミネが今あえてアジアに出店している理由を伺いました。

新井 忘れてならないのはルミネがJRグループに所属しているということであり、現地の鉄道事業と連携を図っていくことも視野に入れています。例えば、鉄道と商業を結び付けるのもその一つ。エキナカを展開してきたJRの資産を生かし、現地の鉄道と連携してやっていくことも考えています。あるいは、駅周辺の開発に関わっていくという方向もあると思います。

川島 それはまたスケールの大きな話で、JR時代にエキナカ業態である「エキュート」などを生み出した新井さんらしい発想です。あのときも随分と苦労されたのではないでしょうか。

新井 JRという企業はいかに安全で正確に人の移動を行うかを旨としてきたわけで、商業でいえば利便性が最優先事項だったのです。そこに、新しい価値付けをした商業という、全く異質な文化を持ち込んで形にしていくわけですから、相当な手間暇を掛けました。社内の常識を覆すようなことをしたわけですからいろいろありましたが、当たり前のことをやっただけと思っています(笑)。

川島 そこまでして、どうして新しいことに挑戦しようと思ったのですか。

新井 どうしたら、人々の日々の暮らしを豊かにしていけるのかという視点に立てば、未来に向けて欠かせないことと感じたからです。

30年くらい先を見ようと努力している

川島 今振り返ると日本のエキナカは世界の先頭を行くくらいの存在になっていて大成功したわけですが、当時は海のものとも山のものとも知れなかったわけです。どうしてあのタイミングで「やろう」と思われたのか、新井さんは、どれくらい先の未来を見据えて動いているのですか。

新井 おおよそ30年くらい先を見ようと努力しています。そうは言っても、明日のことだってよく分からないのに、30年先なんて見えるわけがないとも思っていますが(笑)。でも「見えないものを見えるようにする」のがビジネスで、それを当たり前のようにやるのが経営なのです。見えるものを当たり前にやっていたらそれは経営ではないわけで、見えないものを見えるようにする努力を日々必死で続けていくことで、独自のビジネスが創られる。しかも、その先に将来の夢を描いていかなければならない。私ができているかどうかはおいておいて、夢も希望もない人は経営者にならないほうがいいし、将来を語れない人を経営者にしてはいけないと思っています。

川島 その夢の原点ともいえる、人々の日々の暮らしを豊かにしていくという考えを持つようになったのは、いつごろのことなのでしょう。

新井 国鉄改革のころでしょうか。ものすごく大きな変革でした。その渦中に私自身もいたので、負の局面を数え切れないほど見聞きし、身をもって経験もしました。たくさんの犠牲がありましたが、一方でたくさんの方々のサポートもあった。心ある人たちの支えがこれだけあるならば、私は本気でそれに応えていかなくてはならないと感じ、不眠不休の日々を過ごしました。

川島 JRからルミネに移られても、その視点を貫いていらっしゃるわけですが、経営にとって勘や感は大切なのでしょうか。

新井 特に経営トップにとってはなくてはならないものだと思います。そこがダメになっていくと、組織全体に及んでいきます。鯛は頭から腐りますから(笑)。

川島 勘や感はトップじゃなくても磨くことはできるのでしょうか。

新井 誰でも磨くことができると思います。生まれながらの天才だって磨かなければ才能を発揮できないし、勘や感は日常の生活やビジネスの場で磨いていかなければならない。とにかく現状に甘んじることなく、日々努力していくことです。

山を一つ越えたら、次に向かってほしい

川島 その意味では、ファッション小売業も曲がり角にあって、なかなか夢が描けない状況が続いています。

新井 百貨店やショッピングモールをはじめ、ファッションビルも厳しい局面にあります。そんな中で、私は中間組織や機能はいらなくなっていくと捉えています。例えば本来的な機能を果たしていない卸業などは昔ながらの業界構造の中にまだ残ってはいますが、これからどんどん淘汰されていく時代を迎えています。なぜなら、ものも情報もニーズも、作り手と使い手が相互にやり取りするダイレクトなビジネスが主流になりつつあるからです。

川島 そういう大変革の時期に、ルミネは相変わらず成果を出し続けていますが、将来をどう見ていますか。

新井 決して安泰ではなく、次の時代に向けてもっと変革し、新たな領域での挑戦をしていかなくてはならないと考えています。山を一つ越えたら、次に向かってほしいと思うのです。自分では富士山に登っていて、もうすぐ頂上に着くと思っているようでも、いつかはエベレストに登ってほしいということです。そこそこのレベルにとどまることなく、世界最高峰の高みに挑むくらいの高い志と情熱を持つことが大事です。

川島 世界最高峰と言われ、怖気づく人もいるのでは?

新井 失敗してもいい。何度も挑戦し、経験を積み重ねることが大切なのです。そしてなぜ最高峰を目指してほしいかというと、高い山は低い山に比べ、圧倒的に広く雄大な裾野を持っているからです。つまり、高い山を望むには、広い裾野=業容を備えていなければなりません。広い裾野があるからこそ、高いレベルに到達できると思っています。

川島 ルミネは、新井さんが経営トップに立って6年が過ぎようとしていますが、社員の勘や感が磨かれてきたという手応えはありますか。

新井 随分と変わってきたと思います。まず、上から指示を出さなくても、自分たちでさまざまな提案をするようになってきました。ルミネの企業理念は「お客さまの思いの先をよみ、期待の先をみたす。」ですが、それをどう具現化しようかということを踏まえた提案や、本当の独自価値はどこにあるのかを考えた提案といったものが出てきています。

川島 新井さんの思いが伝わって形になってきたということですね。

新井 組織の中の歯車で終わらないでほしいのです。つまり、自分ができることは何なのか、どういうふうに企業や社会に貢献できるのかを日々考えて行動することです。一度しかない限られた人生を生きるなら、ある仕組みの中で同じことを繰り返すのではなく、自分なりの関わり方をして必死に生きていくほうが良いのではないでしょうか。

川島 いい会社ですね(笑)

新井 最近は「新しいことに挑戦できそうだからルミネに入りたい」という若い人も出てきていてありがたいのですが、逆に会社としてそれにしっかり応えていかなくてはと、自分を戒めています。

川島 経営トップが夢を語ってくれると、社員の心は動きます。ますますこれからのルミネが楽しみになりました。ありがとうございました。

(写真/的野弘路)