虎屋17代目の黒川光博社長に、とらや 赤坂店のリニューアルにまつわるエピソードから、老舗企業として変えることと変えないことの判断、どのように伝統の技を磨き続けているかなどを聞きました。
本連載は、「この人の『勘』や『感』の見方を知りたい!」と思った方にお会いし、仕事に「勘」や「感」は必要なのか、そして、どのように磨けばいいのかについて、成功談も失敗談も含めて聞いていくものです。それも、難しい書き言葉ではなく、分かりやすい話し言葉で。読者の皆さんにとって、未来に向けたヒントになれば幸いです。
今回は前回に続き、虎屋の社長である黒川光博さんに登場いただきます。前回は、新装オープンしたばかりのとらや 赤坂店について、途上で低層プランに切り替えた理由は、人の心に根差したものが求められていく時代と感じたからだということ、社長は大きなことをはっきりさせる役割であることなどのお話を伺いました。
今回は、長い歴史を築いてきた企業として、変えることと変えないことの判断、どのように伝統の技を磨き続けるかなどについて、赤坂店のリニューアルにまつわるエピソードも含めて聞きました。
壁の漆喰は5回もやり直しました
川島 新しくなった赤坂店を訪れて、外観にも内装にも木が豊かに使われていて「これって気持ちが安らいで心地いいなあ」と改めて感じ入りました。
黒川 建築を手掛けた内藤廣さんに、自然に触れる、ほっとする、温かさを感じる、ゆっくりできる場にしてほしいと申し上げ、それを形にしていただいたのです。
川島 オープンに向け、内藤さんがつづられた文章には「簡素にして高雅」ということを念頭に置いたということで「街に大きな庇を差し掛け、空間に奥行きを与え、さらに陰影を与え、檜の板壁と黒漆喰(しっくい)の大壁の質感がそれを受け止める」と記されています。
黒川 外壁も店内もエレベーターの中にも、木をふんだんに使っていただきました。私が作る過程で感銘を受けたのは、多くの方のプロとしての仕事ぶりでした。例えば、漆喰は久住章さんという方にお願いしたのですが、この方の仕事には一種のすさまじさのようなものを感じました。
川島 久住さんといえばテレビ番組で拝見したことがありますが、その道の第一人者の方ですね。2階の売り場にある「鐶虎(かんとら)」のマークを掲げた壁も、黒々とした大きな設えで目を引きましたが、あれも漆喰なのでしょうか。
黒川 あれは黒漆喰の磨き壁というものです。ただ久住さんは、あれだけ大きな壁面を手掛けたことはないとおっしゃって、20人くらいの職人さんと一緒に取り組まれていました。それで、思うような仕上がりにならないと、なんと5回もやり直しをされたのです。
川島 えっ、5回ですか?
黒川 私なんかは「これで十分ではないか」と感じましたが、久住さんは「まだダメ」だと。さらに「やり方をもう少し研究するから、来年もう一度やらせてください」と言われていて、どこかで塗り直していただく予定です。すさまじいプロ魂を感じました。
川島 作り手の労を惜しまない仕事ぶりが人の温もりみたいなものになって、お店の心地よさとして伝わってくるのかもしれませんね。

日々の研さんと挑戦の先に500年の歴史がある
川島 木の部分もどうやってやったんだろうという緻密な細工があったり、ここまでダイナミックに空間を彩るのかという部分もあったりして、訪れる人の気分に大きく影響してくると感じました。
黒川 内藤さんにお願いしたことの一つに、「自然を感じたい」ということがありました。外の風が感じ取れる場を作りたいと思ったのです。その結果、3階の菓寮にはテラスを設け、窓は開放できるようになりました。現実的には乗り越えなければならない壁がいくつかあったのですが、そこは何とか突破しました。
川島 3階にある菓寮は、大きな窓越しに御所の広々とした緑の空間を望むことができて絶景です。テラスに出ると、風の爽やかさというか、緑を前にした空気のおいしさというか、都心では得難い経験ができると実感しました。
黒川 内藤さんのお考えの中には、屋根は当初、本当の瓦にするという案もあったのですが、地震を含めた天災に対する安全性を考えて、瓦の良さを生かしながら軽いものにできないかと工夫を重ね、チタンを使うことになりました。そういうプロの方々の仕事に触れながら、うちもプロであらねばと改めて思いました。「プロなんだから、菓子を作るところもお見せしたらどうか」ということで、そういう場も設けたのです。
川島 3階の菓寮の一画は、職人さんたちがお菓子を作っているさまを窓越しに見ることができます。あれがすごく面白くて、つい見入っちゃいました。「残月」を焼いている様子を見たのですが、銅板で焼いている生地は機械のように大きさも厚さも均一、熱々の焼きたてを手でじかにとって作っているのですね。
黒川 うちの職人たちも、お客様がご覧になられているということから背筋がピンと伸び、自分たちの持っている技をさらに磨きたいという意識に変わってきています。私は勝手に、お子さんがいらしたら、遊びの焼き物を作ればいいと言ったりしていまして。
川島 遊びの焼き物ですか?
黒川 例えば、亀のかたちにして焼いたら、お子さんが喜ぶじゃないですか。
川島 素人が聞くと、亀のかたちにするのは難しそうですが。
黒川 プロなんだから、それくらいのことは、当然できなくてはいけないでしょう(笑)。
川島 プロとしての職人技を磨き続けてきた先に、500年近い虎屋の歴史があるのですね。ただ、日々の研さんと挑戦こそが大事というのは、他の仕事でも言えることと、ちょっと反省です。

革新よりも目の前のお客様に喜んでいただくことが大事
川島 老舗というと「伝統と革新」のバランスにまつわる話が多いのですが、黒川さんは、そのあたりをどう捉えていらっしゃいますか。
黒川 「伝統と革新」という言葉は私も以前よく使っていたのですが、ここ十年ほど自分からは使わないことにしています。「革新」と言えるほど思い切ったことは果たしてどれくらいあるかと考えていたら、おこがましくてそんなことは申し上げられないと思ったからです。そんな大層なことの前に、今、目の前のお客様に喜んでいただくために何をするのかを考え、即座に実行していくことが大事です。それは必然であって、革新ではないと思うのです。
川島 必然であって、革新ではない?
黒川 瞬間瞬間の判断が大事であって、基準や枠組みにとらわれ過ぎることがあってはいけない。ただ世の中が刻々と変化しているのも確かなことで、動く世界の中で、自分がふらつかないためには、まず「自分」から行動して変わらなければならないと思っています。
川島 500年にも及ぶ歴史の中で、転換期に対して変わらなくてはならない決断がいくつもあったと思うのですが。
黒川 時代の大きな変わり目には、それなりの動きがありました。最近でいえば、東日本大震災は一つのきっかけでした。あの大災害の折り、この会社の存在意義はどこにあるのだろうということを見直さなければならないと強く思いました。今こそ毅然とした姿勢や覚悟を持つ必要があると感じたのです。未曽有の震災に遭っても、やるべきことをきちんとやっていたら覚悟はできる。そのために必要なことはどんどんやっていかなければならないと強く思いました。とともに、この10年~20年もかなり大きな変革期と言えると思います。
川島 次回は、その変革期における企業の在り方について、突っ込んだ質問をしてみたいと思います。
(写真/鈴木愛子)