途中で低層に切り替えた理由

川島 今回お目見えしたのは地上4階建てで木造りの建物ですが、当初はもっと背の高いビルの構想もあったとか。

黒川 そうなのです。最初は事業計画として、法律の許容範囲いっぱいの10階で計画していました。いわゆる普通のビルと一緒で、一部を店舗と自分たちのオフィスに当て、余裕があれば、どなたかに借りていただけばいいという考えだったのです。ところが、副社長やビル建設に携わる社員たちから、「低層階にしたらいいのではないか」という提案が出てきたのです。すでに計画はかなり進んでいましたので、その話を聞かされたときは、「唐突に何の話だ」という思いを抱きました。

川島 低層にするという意見を最終的に受け入れた理由はどんなところにあったのですか。

黒川 歴史を振り返ると、赤坂店は過去に何度か建て替えているのですが、それぞれの時代背景とつながっています。祖父の時代に建て替えたのは1932年で、戦時色が強まっていったころでした。祖父は皇室を大変崇拝申し上げており、最後まで自分がお守りするのだという思いがあって、お城のような建物にしたという話を聞きました。

 また、半世紀ほど前の1964年に建て替えたとき、私は大学生だったのですが、まさに東京五輪の年で、日本が高度経済成長期の時代です。首都高ができてクルマがすごいスピードで走るようになり、新幹線の登場で東京から大阪までの移動時間が半分くらいになるなど、さまざまな変革が次々と現実化していました。大きな趨勢として、大きく、豪華、速くといった方向での可能性がどんどん広がっていき、世の中が「これから」という明るさや希望に満ちていた。そういう時代にあって、ああいう建物を建てた意味があったのだと思います。

川島 どっしりとした重厚感とモダンな風情が同居していて、おっしゃるように、右肩上がりの時代があって、人々が描いていた未来図的な要素がどこか漂っていたように感じます。

黒川 そう思うと、時代によって店に求められているものは変わっていくということに改めて思いが及び、今回のリニューアルで低層にした意味もあると思えてきました。

虎屋社長決断の裏側 とらや赤坂店の高層ビル化計画を低層に変更(画像)