「ユージーン・スタジオ/新しい海 After the rainbow」は、東京都現代美術館で開催される、初の平成生まれのアーティストによる個展だ。ユージーン・スタジオは今、世界のアートシーンでも注目が高まっている。今回の個展における注目ポイントを横浜美術大学・学長である宮津大輔氏が解説する。

 拙著『アート×テクノロジーの時代』(光文社/2017年)で、4組の先駆的アーティスト集団を取り上げてから、およそ4年半――。そこで取り上げたアーティストたちの中から、21年3月のライゾマティクスに続いてユージーン・スタジオによる「新しい海 After the rainbow」展(会期:21年11月20日~22年2月23日)が東京都現代美術館で開催されている。発行当時、彼らのアートは「それってアートなの?」と言われることも少なくなかったが、今では世界的に評価が高まっていることを考えれば、現代アートを取り巻く認識の変化に隔世の感がある。

 ユージーン・スタジオとは、米国生まれの寒川裕人(1989年~)によるアーティスト・スタジオであり、平成生まれのアーティストによる個展形式の展覧会は東京都現代美術館では初となる。これまでもユージーン・スタジオの作品は現代SF小説家との共同制作や、完全な暗闇で能を演じるパフォーマンス/インスタレーションなど斬新なものが多かった。

 現在開催中の展覧会では、平面作品から大型インスタレーション、映像作品、彫刻作品などによって構成され、「ホワイトペインティング」シリーズ(2017年~)や《善悪の荒野》(2017年)といった彼らの代表作に、多くの新作が加わっている。展示をとおして、彼らの社会的実践活動に共通する視点や創作のベースにある哲学をひもといていきたい。

 会場に入ってまず目に入るのが、まぶしいばかりの白いキャンバス群による、ホワイトペインティングシリーズである。真っ白なキャンバスには一見何も描かれていないように見えるが、新型コロナウイルスがまん延する以前、世界各地で、場所によっては100人を超える人々が実際にキスしたキャンバスである。その痕跡を、絵画のフォーマットに落とし込んだのが同作品である。美術評論家ディヴィッド・ギアーズは、同シリーズを「愛と記憶にまつわる移動式の礼拝建築」と評している。キスには脳内の「コルチゾール」というストレス・ホルモン値を下げ、「オキシトシン」という愛情ホルモンの上昇を促す働きがあるという研究結果が報告されている。このことを踏まえ考えると、この作品評にも納得がいくのではないだろうか。

 一方で多くの人がつけたキスの痕跡には、それぞれの唾液に含まれる遺伝子をも含んでいる。こうした点に立脚すれば、ホワイト・ペインティングシリーズは21世紀における人類の遺伝子標本と認識することも可能である。

「ホワイトペインティング」シリーズよりアーカイブ (c)EUGENE Kangawa 2021
「ホワイトペインティング」シリーズよりアーカイブ (c)EUGENE Kangawa 2021
「ホワイトペインティング」シリーズ展示風景/2017年 Photo by Keizo Kioku(c)EUGENE Kangawa 2021
「ホワイトペインティング」シリーズ展示風景/2017年 Photo by Keizo Kioku(c)EUGENE Kangawa 2021

 白いキャンバスが連なるホワイトキューブを抜け、次の空間に足を踏み入れると、そこには新作《海庭》(2021年)の世界が広がっている。地下2階から地上2階まで吹き抜けとなった開放的な空間を、鏡で囲んだインスタレーションは、まるで水平線が無限に続いているようにも見える。床一面はさながら、さざ波が打ち寄せる海である。

 《海庭》の英題“Critical”というタイトルは、臨海あるいは境目や境界を表す臨界といった意味を有する。

 同作品は、展示空間が海抜ゼロメートル以下であることからインスピレーションを得て制作された。江戸時代には東京湾沿いで、度重なる埋め立てによって現在の姿となった東京都現代美術館周辺地域も、このまま地球温暖化が進み、海面が上昇し続ければ、海中に没する可能性が決してゼロではないことを暗示している。

 また、この英題はスプラトリー諸島や、尖閣諸島、竹島を巡る領海・領土問題に代表されるように、本来一つにつながっていながら、国家や民族などの思惑が衝突する政治問題≒領海、排他的経済水域(EEZ)についての意味をも包含しているように思われる。さらに臨界という言葉は、核分裂連鎖反応において、体系内の中性子生成と消失の均衡が保たれて反応が維持される状態を意味する。そこから連想されるのは、アジアにおける福島第一原発処理水の海洋放出摩擦であろう。

《海庭》展示風景/2021年/水、砂、鏡 Photo by Keizo Kioku (c)EUGENE Kangawa 2021
《海庭》展示風景/2021年/水、砂、鏡 Photo by Keizo Kioku (c)EUGENE Kangawa 2021

 続いては、展覧会において得難い鑑賞体験をもたらす《想像 #1 man》と対峙することになる(同作品の鑑賞には、事前に配布される整理券が必要)。この作品は、鑑賞者が一切の光を排除した完全な暗闇に入り、そこに置かれた立体/彫像に触れ、存在を感じるというものだ。「この像は、誰も一度も見たことがない。像はすべて真っ暗闇の中で創った。今後も永遠にそうしようと思う」と寒川が語る通り、その像を見ることは、誰にとっても永遠にかなうことはない。一人ずつ扉の先にある空間へと入る際には、光を発するスマホなどのデバイスを一切持ち込むことができないからだ。この作品が提示しているのは、視覚的な情報が遮断されたところにあっても、人は気配を感じ取り、触れること、さらには想像することで、“見る“ことができるという点であろう。

 同作品の体感後、人間にのみ与えられた想像力の強さに思い至るのではないだろうか。人間は、ラスコー洞窟壁画や縄文土偶のような根源的祈りに端を発し、偶像崇拝を禁じてもなお「嘆きの壁」に聖なるものを感じたり、米国の画家バーネット・ニューマン(1905~1970年)が色面に描いた数本の色の帯に崇高(Sublime)を見いだしたりしてきたのである。

 続いての「レインボーペインティング」シリーズ(2021年~)は、距離を取れば淡いグレーからオフホワイトに至るグラデーションのペインティングに見える。しかし、近づいて見れば微かに異なるカラーを一筆ごとに重ねた点描画であることが分かるはずである。それぞれの筆勢≒描点を独立した個人の存在に見立てれば、その全体像はまさに多様性に富んだ人々の集まりであり、まるで「今は個人の肖像画ではなく、人々、群像の肖像画が必要だと思った」と述べるアーティストの思いを体現しているようである。

「レインボーペインティング」シリーズ “群像のポートレート”展示風景/2021年/油彩、キャンバス Photo by Keizo Kioku (c)EUGENE Kangawa 2021
「レインボーペインティング」シリーズ “群像のポートレート”展示風景/2021年/油彩、キャンバス Photo by Keizo Kioku (c)EUGENE Kangawa 2021

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