「変なホテル」のブランディングを担当するGRAPHの北川一成氏と共に、広告やパッケージにとどまらない総合的なデザイン戦略の重要性を、実例を基に考える連載企画。今回は2018年に起業したばかりのベンチャー企業。若き経営者が北川氏にチーフデザインオフィサー的な役割を託したワケとは。

QuestHubの新しい名刺(左上)と以前の名刺(右下)。新名刺では、企業理念をあえて抽象的なものにした。コミュニケーションを誘発するのが狙いだ
QuestHubの新しい名刺(左上)と以前の名刺(右下)。新名刺では、企業理念をあえて抽象的なものにした。コミュニケーションを誘発するのが狙いだ

 QuestHub(クエストハブ)は、主に海外投資家向けに日本企業についてリサーチするコンサルティング会社だ。QuestHubのメンバーはビジネスリサーチのプロフェッショナルで、調査力を有するスペシャリストと連携して業務を進める。同社は2018年4月に創業したばかりのベンチャー企業で、大熊将八社長は26歳。現在のメンバーは4人で、平均年齢は26歳と若い。近々、資金調達をして増員する計画もあるという。

 GRAPHの北川一成氏との出会いは、ある会食の場だった。大熊氏が名刺のデザインを相談したことから、付き合いは始まった。現在、北川氏はQuestHubのCDO(チーフデザインオフィサー)のような立ち位置で、経営やデザインの相談に乗りながらブランディングをしている。起業直後からブランディングを開始したQuestHubの18年度の売り上げは目標を達成しつつあるという。

課題:ロゴマークの予算は10万円!?

 QuestHubのブランディングの課題は「デザインを誤解していたことだった」と北川氏は言う。QuestHubが名刺を作ろうと検討していると知った北川氏は、まず大熊社長の意向を聞くために事業計画や今後の方針、デザインに対する考えについてヒアリングをした。すると、大熊社長は「デザインやブランディングは大事だとは思っているが、自分たちはBtoB企業なので、さほど重視はしていない」といった話をしたという。北川氏は、「デザインを押し売りするつもりはないが」と前置きをして、次のような話をしたという。

 「QuestHubがクライアントである投資家に文書で情報を提供するとき、内容が重要なのは当然だ。ただ、書類を渡すときの封筒や書類の紙質、字体などによって、同じ内容でも印象が変わる。文書を手渡しする場合、そのときの服装や言葉遣い、しぐさなどからも、QuestHubがどういう会社かを、クライアントは感じ取っている。たとえ出身大学や経歴がハイレベルで華々しくても、競合他社にも同様に実力のある人たちは大勢いる。そうした他社との違いを言葉ではなく、直感的に伝えるのがロゴやマークの役割であり、それはBtoBでもBtoCでも同じだ」

 大熊氏は「ゆくゆくはデザインが必要だと考えていたが、むしろ、起業直後の今の段階でデザインを活用すれば、他社と差異化できる可能性が高いことが分かった。メンバーにすぐ相談して、GRAPHさんにブランディングをお願いすることにした」という。ただ、1つ問題があった。QuestHubは、ロゴマーク制作の予算を5万円から10万円と考えていたことだ。北川氏は「その金額で引き受けるデザイン事務所はあるだろう。ただ、どんなに優れたデザインでも、会社の成長に伴ってメンテナンスが必要になる。継続してブランディングすることで、デザインが経営に役立つものになる。スタートアップで初期投資を抑えたい気持ちも理解できるので、契約の方法を検討しようと伝えた」という。

19年春、QuestHubが立ち上げる個人投資家向けのWebメディア「スゴカブ」のロゴ。スゴカブのブランディングもGRAPHが担当している
19年春、QuestHubが立ち上げる個人投資家向けのWebメディア「スゴカブ」のロゴ。スゴカブのブランディングもGRAPHが担当している
検証途中の「スゴカブ」のロゴ案 ©2019GRAPH
検証途中の「スゴカブ」のロゴ案 ©2019GRAPH

検討:言語の抽象化

 当時、QuestHubが使用していた仮の名刺には、「バイアスのない情報で世界を繋ぐ」というコピーが入っていた。QuestHubの理念だという。「世の中の情報はどこか偏っていると感じていた。バイアスのない情報を投資家に提供したいという思いから、QuestHubは始まった」と大熊社長は言う。

 しかし北川氏は、「言葉でストレートに表現すれば、相手はそのまま受け取ってくれるかといえば、人はそんなに単純ではない。かえって伝わらないこともある。例えば、『おいしいラーメン屋』と店主自ら看板を出していたら、かえって『本当?』と疑いたくなるはずだ」と指摘した。実際、大熊氏は仮の名刺で名刺交換をすると、「バイアスのない情報なんてないですよ」「理想はそうですけどね」などと相手から突っ込まれることも少なくなかったという。そこで、北川氏は「バイアスのない情報で世界を繋ぐ」という理念に共感する人を増やすためにも、意味を限定し過ぎず、抽象化して表現できないか検討することにした。

解決策:ロイヤルティー契約の締結

 北川氏は「バイアスのない情報で世界を繋ぐ」という理念を、「feel the rain」という抽象化した英文に置き換えることを提案した。内容が全く異なるように思えるが、共通する意味がある。feel the rainは、ボブ・マーリーの歌の歌詞「Some people feel the rain. Others just get wet.」のワンフレーズだという。雨に対する捉え方は人それぞれであり、ただ雨にぬれたと感じる人もいれば、恵みの雨や悲しみの雨、喜びの雨だと捉える人もいる、という意味だ。物事には多面的な意味があり、できる限りバイアスをかけずに見ようとするQuestHubの理念を表している。

 「QuestHubの魅力は、老舗や伝統ではなく、若さと可能性を秘めていること。迷いながらもバイアスのない情報で世界をつなぐことを目指していることを抽象化して伝えるほうが共感が得られるはずだ」(北川氏)。

 feel the rainは、名刺の右上に配置し、コミュニケーションの誘発を狙った。実際、名刺交換のとき「feel the rainとは何ですか」と聞かれ、「自分たちの会社の理念について説明する機会が増えている」(大熊社長)という。

 GRAPHとは継続的にブランディングを行い、なおかつ初期投資も抑えるために、成功報酬型のロイヤルティー契約を結んだ。毎月1回ミーティングを実施し、北川氏は、アップデートした業務内容などをCDO的な立場で共有しているという。「経営戦略の一環としてデザインを提案するためにも、数年は継続して付き合う必要がある。ブランディングは本来、そうあるべきだと思う。特にQuestHubはスタートアップなので、業務内容が変わっていくことは普通のこと。アートディレクターが併走していれば、ニーズに合った提案ができるはずだ」と北川氏は話す。

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