「変なホテル」のブランディングを担当するGRAPHの北川一成氏と共に、広告やパッケージにとどまらない総合的なデザイン戦略の重要性を、実例を基に考える連載企画。今回は東京・浅草で外国人旅行者に大人気の“茶室ryokan”。狭小というハンディを逆に魅力に転換したブランディング戦略とは。
東京・浅草にある「茶室 ryokan asakusa(ちゃしつ りょかん あさくさ/以下、茶室ryokan)」は、2019年9月1日にグランドオープンした都市型の旅館だ。コンセプトは茶室で、茶会の心得である「一期一会」をテーマに宿泊客を手厚くもてなしている。運営は、不動産会社のレッドテック。GRAPHの北川一成氏は、ブランディングを担当している。
メインターゲットはインバウンド(訪日外国人)で、現在の稼働率は67%(19年11月現在)。宿泊者の約8割が外国人旅行者だという。広告は一切行っていないが、予約が順調に入っている。その理由は、旅行サイトでの口コミが高評価だからだ。「エクスペディア」では5点満点中4.8(19年11月現在、以下同)、「ブッキングドットコム」は10点満点中9.5。ちなみに、人気の高級旅館「星野や 東京」の評価は、ブッキングドットコムで9.2である。
茶室ryokanは、狭小地の新たな活用事例としても注目を集めている。敷地面積はわずか約86平方メートル(26坪)、6階建ての延べ床面積は約337平方メートル。11室すべて和室で、ベッドは設置していない。最も小さな客室は約5畳で、最大の客室でも約10畳だ。
19年10月の平均客室単価は3万2000円(税別)。レッドテックの石川裕芳社長は「現状、単月で黒字化できている。7月のソフトオープンから主に外国人の口コミの評価を参考にしながら徐々に価格を上げていき、9月の平均客室単価は2万2000円だった。10月は9月より1万円引き上げたが、稼働率は10ポイントアップ。サービスをさらに充実させながら、平均客室単価3万5000円で稼働率70%を目指している」と話す。
課題:約5畳の客室の生かし方
客室数11室の小規模な旅館にした理由について、石川社長は次のように説明する。
「宿泊者の顔と名前を覚え、一人ひとりと誠心誠意向き合い、人間味のあるサービスを提供することが理想。それを自分たちが実現するには、会社の規模やお客様となじむことを考えても12室前後が適正だと思った」
顧客満足度を高めて客室単価を上げることで、少ない部屋数でも利益を確保する計画だ。部屋数が少ないため、土地代が比較的安い狭小地を活用でき、初期投資も抑えられる。拠点は今後、増やしていく予定で、現在も都内で開業の準備を進めているという。「狭小地であれば、大手の同業者と競合になる可能性もない」(石川社長)。
北川氏が携わったのは、浅草に土地が見つかり、建設が決定した段階からだ。約86平方メートルの狭小地に13室程度の客室を設ける前提で図面を起こしたところ、すべての部屋が約5畳になった。当初から狭くなることは予想しており、茶室をコンセプトにすることは漠然と考えていた。だが、図面に起こすと想像以上に部屋が狭く、茶室というコンセプトを採用すべきか迷っていた。そのことを含めて、北川氏にブランディングの相談をしたのだ。
検討:宿泊施設の新ポジション
客室の狭さを補って機能的にデザインすることは可能だろう。だが、同様のコンセプトのビジネスホテルやカプセルホテルは既に存在するため、新規性はない。競合のいない新しいポジションを得るためには、狭さをマイナスとして捉えてそれを極小化するのではなく、狭さをプラス、つまり「魅力」として感じられるようなストーリーが必要だった。
北川氏は「茶室というコンセプトはストーリーの柱となる。無駄をそぎ落として生まれるものこそ美であるとする『茶の湯』の世界と、狭い客室は重なる部分が多い。茶室のエッセンスを取り入れた現代的で新しい旅館であれば、オンリーワンになれる可能性がある」と提案した。
狭小地なので、スペースを効率的に活用する必要もあった。限られた空間で、高いホスピタリティーをどう実現するか。サービスも茶室や日本文化の体験というテーマを基に、独自に開発した。
例えば、旅館といえば仲居による布団の上げ下ろしや、朝夕食付きのスタイルが一般的だ。だが、特に布団の上げ下ろしは、外国人旅行者にとっては日本のライフスタイルの体験となるため、原則として宿泊客に行ってもらうことにした。
食事については、浅草かいわいには老舗の名店やおいしい飲食店が多いことから、夕食の提供はせず、ホテルのスタッフも通うお薦めの店を紹介することにした。そうすることで、大型の厨房が必要なくなり、地域の飲食店との連携を深めることもできる。
北川氏は、ネーミングも担当。「ホテルでもなく、昔ながらの旅館でもない。今までにない新しい旅館であることが直感的に伝わる名称を検討した」(北川氏)
解決策:狭さが価値になるストーリー
「茶の湯の精神や日本文化、ライフスタイルを体験できる唯一無二の宿泊施設」──こんなストーリーでブランディングを進めた。茶室ryokanという名称のポイントは、「旅館」を「ryokan」と表記したことだ。漢字とローマ字を組み合わせることで、1泊2食付きの本格的な旅館のイメージから離れることができ、現代的な宿泊施設だとアピールできると考えた。
建築や空間も、茶の湯の世界を現代的に解釈してデザインしている。道路に面した場所にある中庭は、茶室でいう「露地」に見立てたものだ。1階には共有スペースのラウンジがある。その奥の待合スペースで宿泊客は履物を脱ぎ、温かいお湯で足を洗う。江戸時代の旅人は履物を脱いで足を洗ってから旅籠(はたご)に入っていたことから、それに倣ったのだという。
待合スペースには、北川氏のプロデュースによる、漫画をモチーフにした現代アートを飾っている。伝統文化と日本のサブカルチャーが体感できる、茶室ryokanらしいスペースと言えるだろう。
どの空間も天井は低く、必要最低限の明るさで非日常感を演出。客室の扉は、茶室の出入り口の「にじり口」をイメージして小さめに設計した。「天井を低めに設計したことで、6階建てが可能になった。その結果、4人で利用できる広めの部屋や露天風呂なども設置できた」(石川社長)
マークのデザインは「今日は(こんにちは)」の「今」がモチーフ。こんにちはという挨拶には、「今、この瞬間を大切にする」という意味が含まれており、一期一会の精神を可視化したものだという。
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