「変なホテル」のブランディングを担当するGRAPHの北川一成氏と共に、広告やパッケージにとどまらない総合的なデザイン戦略の重要性を、実例を基に考える連載企画。今回は富久錦(兵庫県加西市)。1839年創業の老舗の酒蔵だ。民事再生からの復活の裏には、デザインの力があった。
富久錦(兵庫県加西市)は、1839年に創業した老舗の酒蔵だ。27年前の1992年から、純米酒のみを醸造している。アルコールを添加する安価な普通酒が主流だった時代に「良質な米のうまみを生かした酒こそ本物の日本酒であり、酒蔵の良心である」として、コストも手間もかかる純米酒のみの醸造にいち早く切り替えた。
そのタイミングで、ロゴマークも一新。デザインを手掛けたのがGRAPHの北川一成氏だ。富久錦が純米蔵に挑戦する姿勢と同様に、北川氏は「日本酒のラベルといえば筆文字」という常識にとらわれず、マークを中心に据えた斬新なラベルをデザインした。
今では、おいしい日本酒といえば純米酒を思い浮かべる人は多いだろう。日本酒のラベルも、富久錦を手本にしたようなモダンなデザインが増えており、先見性があったことが分かる。だが、経営は理想どおりには進まなかった。
2007年に民事再生法の適用を申請。過剰な設備投資の他、いくつかの引き金はあったが、富久錦の稲岡敬之社長と北川氏は「富久錦の強みを商品に生かせていなかったから」と分析した。稲岡社長は、商品ラインアップを整理し、新商品の開発に着手。その開発資金を捻出するために別ブランドも立ち上げた。
その結果、12年後の現在、富久錦は見事に復活している。13年と比較すると現在の売り上げは20%増。その後押しとなっているのがラベルのマークだ。「関西エリアの得意先に営業に行くと、ラベルを見ただけで『純米蔵の富久錦さんだね』と思い出してくれる。蔵の説明が必要なく、取引が驚くほどスムーズに進む」と稲岡社長は話す。
課題:飛び抜けた個性がなかった
課題は、民事再生後も売り上げが伸び悩んでいたことだった。13年から代表を務める稲岡社長は経営を立て直すために、あらためて商品ラインアップを見直し、コストカットも実行した。
「純米酒でも手が届きやすい、顧客にとってコストパフォーマンスの良い商品が少なくなかった。地元で一番売れていた人気の純米酒は、特に利益率が低過ぎた。薄利多売にならないように、安価な商品の製造はやめた」(稲岡社長)。
状況を変えるには、将来の富久錦を代表するような新商品が必要だと考えた。富久錦が純米蔵に切り替えた当時、日本酒の主流は普通酒で、純米酒の割合は5%程度といわれていた。そのため、良質な原料で丁寧に造ったおいしい純米酒であれば、それだけで富久錦の個性として受け入れられていた。
しかし、昨今は話題の酒蔵で造る日本酒の多くは純米酒で、珍しくなくなった。「ようやく時代が追いついてきたとも言えるだろう。米の産地である利点を生かすことが、富久錦らしい酒造りにつながるはずだ」と北川氏は話す。
検討:開発資金をどう捻出するか
民事再生をした会社の酒は売りづらい──稲岡社長は、ある得意先でそう言われたという。民事再生を機に社名を変更する会社もある。だが、富久錦は江戸時代から続くブランドを守ることを選択。まずは、ネガティブなイメージを払拭するためにも、富久錦の主力となる新商品の開発と同時に、開発資金を捻出するために別ブランドの立ち上げを検討した。
別ブランドは富久錦とは立ち位置を変え、訴求力が高く、飲食店で好まれる「チャレンジングな味わい」の商品にしようと考えた。「別ブランドは、あくまでも富久錦ブランドを立て直すための手段。富久錦の既存商品をリニューアルして販売する方法もあったが、それだと得意先が売りにくいという状況は変わらないと思った。別ブランドでこれまでと違った販路を狙うことで、短期間で売り上げを伸ばせる可能性が高いと判断した」(稲岡社長)。
GRAPHと連携をとりながら、別ブランドの立ち上げと新商品開発を同時に進めていったという。
解決策:地域性を最大にアピール
富久錦は14年に純青という別ブランドを立ち上げた。さらに富久錦の新たな主力商品として、16年7月に純米吟醸「播磨路」、同年11月に生酛純米「播州古式」を発売。
「播磨路」はかつて販売していた商品名を復活させたが、中身は一新した。「播州古式」は、江戸時代から伝わる古式醸造法を現代的にアレンジして仕込んでいる。特徴はいずれも地元で収穫した、品質の高い米を使っていることだ。富久錦のある兵庫県南西部は「播州(播磨)地域」と呼ばれ、日本を代表する酒米「山田錦」の産地でもある。恵まれた環境で酒造りを行っていることは、富久錦が伝えるべき魅力だと考えた。
そこで、商品名に地域の名前(播磨/播州)を入れ、さらに播磨路の季節商品は「新緑の播磨路」や「錦秋の播磨路」など、風景が思い浮かぶようなネーミングにした。ラベルのデザインは、日本酒を飲むシーンが増えていることから、日本料理だけでなく、西洋料理のテーブルにもなじむものを目指した。「初期のデザインとほぼ同じだが、よりモダンな印象に仕上げた。側面に記載した商品説明も、イメージが伝わりやすいようにデザインした」(北川氏)。
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